人差し指に刻まれる龍の力
俺と先生は龍へと近づく。
ウードは先ほどの出来事で疲れてしまったのか、気配を感じない。
時と空間を司る神龍トーラスイディオムはばたりと倒れて、ぐったりと首を前に投げ出している。
呼吸は巨体には見合わない、か細いもの。
彼は死を迎えようとしていた。
大空の支配者たる龍は、光を失いかけている黄金の瞳を俺たちに向ける。
「見事。人の身で我の力を防ぎ切るとは、驚嘆に値する」
「いえ、我々にも届く力として、トーラスイディオム様から配慮を頂いたからです」
「ふふ、エクレルよ。謙遜は無用だ。貴様たちのおかげで、静かなる死を迎えられる」
死という言葉に反応して、俺は龍へ話しかけた。
「今から、あの、死んじゃうんですか?」
「ああ、永きに渡る肉の檻から解放されるというわけだ。喜ばしいことだ」
「え、そ、そういうもんなんですか?」
「強すぎる力を持つ者にとって、肉は力の枷であるからな。故に、このような面倒な死を迎えることになる。本当に苦しき生の時間だった……」
龍は瞳に空を映す。
その姿はどこか寂しげなもの。
だけど、空を映していた瞳に俺たちを映すと、彼は少し笑った。
「ふふ、最期に貴様たちのような者に出会えたのは幸運であった。人は、時に我らの想像を超えてゆく。少々、生が名残惜しくなったぞ」
「もったいないお言葉です」
先生は頭を垂れる。俺も真似をして続く。
龍は苦しそうに一度大きく息を吸い、吐き出した。
「コフ~……身の内に残る僅かな魔力が暴走し、我はこの世から消失する。だが、その前に礼を渡さねばな。エクレルよ、杖を掲げ前へ」
「はい」
先生は一歩前に出て、龍へ杖を掲げた。
すると、龍の右目より光が抜け出て、杖の先端にある龍の像に飛び込んでいった。
龍の像は紫色の光を淡く放つ。
「空間に干渉する力の祝福。その杖を用いれば、今まで以上に空間の魔法を身近に感じられるだろう」
先生は両手で杖を胸に抱く。
「トーラスイディオム様。あなたから頂いた祝福。スキーヴァー家の家宝として、遥か先まで伝えていきます」
「ふむ、それは我がアクタに残した力の記憶。大事にしてやってくれ。続いて、ヤツハ。前へ」
「え? はい」
先生は後ろに下がり、俺は龍の前に立つ。
龍は俺を真っ直ぐと見つめ、瞳に姿を映し込む。
そして、言葉ではなく心で話しかけてきた。
(ヤツハ。いや、地球人の笠鷺燎というのか)
(え、なんで?)
(ふふふ、我は龍ぞ。これしきのことわからぬと思うてか。もちろん、貴様の身に宿る危険な魂も感じ取っている)
(ウードのことまで……)
(この念話は悪しき魂には聞こえぬ。これから話すのは我と貴様だけの密か事だ)
(はい)
(これから貴様が歩む道。それをコトアが利用しようとしているようだ)
(女神様が?)
(我は彼女に与する存在ゆえに、積極的に力は貸してやれぬ。だが、貴様がこれから歩む道への助力程度ならば可能だ)
(それは?)
(それはだな……ん?)
トーラスイディオムは一度、心を揺らめかせる。
何かを感じ取った。そんな風に見えた。
(どうしました?)
(ふふ。どうやら、これもまた……)
(トーラスイディオム様?)
(なに、大したことではない。ヤツハよ、左手を前に)
(はい……)
何か妙な様子を見せたが、彼はそれを捨て去り、話の歩を進める。
俺は仕方なく言われるがままに左手を前に差し出した。
(貴様には我の力の一部を分け与える。これは貴様だけの魂に刻む力)
(俺だけの?)
(さぁ、受け取るがいい。我が力の篝火を)
彼の左眼が紫と金の混じる光を放ち、光は俺の左手の人差し指に吸い込まれていく。
その間、暖かさも痛みもなく、何も感じることはない。
全ての光が人差し指へ吸い込まれたところで、俺は指先を見つめた。
(爪が、紫色になってる)
人差し指の爪の色が、金のラメ混じる紫の色へと変化していた。
龍は指を見つめながら語る。
(それは笠鷺燎の魂にしか見えぬ力。笠鷺燎の身に宿る力だ。今はただ、色の染まった爪先だが、時が来れば貴様の助けとなるだろう)
(時とは?)
(さてな……死が私を包み、先を見る力は衰え、見えなくなってしまった。もはや、これは戯言なのかもしれん)
トーラスイディオムの腹部に黒い球体が現れる。
彼は心の声を止めて、巨大な口にて声を産む。
「どうやら、最期の時が訪れたようだ。己の力に飲み込まれ、我は消失する。さらばだ、空間の担い手たちよ」
黒い球体はどんどんと大きくなっていき、トーラスイディオムを包み込んだ。
そして、一気に収縮して、跡形もなく消えてなくなった。
先生は両手の指を交互に絡め、祈りを捧げる。
「大空を統べし大いなる一族。その頂に立つ、時と空間を司る神なる龍。誇り高きトーラスイディオムよ。女神の寵愛を授かり、無上世界の扉を開き給え」
俺も先生に合わせて、両手の指を交互に絡め、黙祷をする。
こうして、龍との戦いを終えた。
彼との戦いで、コトアの考えの一端に触れることができた。
『これから貴様が歩む道。それをコトアが利用しようとしているようだ』
俺はこれからどんな道を歩み、コトアは一体俺の何を利用をしようとしているのか?
彼女の影を踏むことはできたが、影は闇だけを残して、その全容は今も見えない。




