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マヨマヨ~迷々の旅人~  作者: 雪野湯
第十四章 絶望の先にあるもの

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決着

 ヤツハは地を蹴り、命育みし豊穣の大地を駆け抜けた!

 黒騎士は死神の鎌をもって、命を刈り取る!


 二人の無数の剣撃は衝撃となり周囲へと広がる。

 衝撃は耳奥に痛みを走らせ、鼓膜を突き刺す。

 一撃に幾重もの剣撃が鳴動し、音は洪水となって周りにいる者たちを呑み込んでいく。

 空気を軋ませ亀裂を生む音は、頭に槌打(つちう)つ痛みを響かせる。

 

 だが、誰も耳を押さえることも頭を押さえることもなく、二人の戦いを見届ける。


 

 飛び散る火花に火花が重なり合い、煌びやかな大輪の花々が二人を包む。

 黒騎士の兇刃(きょうじん)によって、ヤツハの血は霧となって漂う。

 ()でてはすぐに消え去る火の花。

 血霧(けつむ)は火をよく映し、星のように凛と輝く。

 

 紅く、美しく、儚き幻想的な光景。


 同時にそれは、命の()(つい)えようとする情景でもある。

 

 

 黒騎士は剣を振り下ろす。

 ヤツハは半歩後ろに下がり、これを躱す。

 だが、剣はすぐに跳ね上がり、地面より天へ駆け抜けた。



――ヤツハを両断する一撃――



 しかし、ヤツハの瞳は刃をしっかりと見つめていた。

 彼女は柄頭(つかがしら)を黒騎士の刃にぶつけ、剣を弾き飛ばす。

 これには()しもの黒騎士も驚きの声を上げた。


「何っ!?」


 このとき、ヤツハが怯え一歩下がっていれば、このような反撃は不可能だった。

 怖れを捨て、半歩のみ退いたおかげで間合いは途切れることなく、反撃に転じることができた。

 その切間(せつま)は……ヤツハが剣にて一太刀切り伏せるには十分すぎる時間。

 二度と訪れることのない好機……。

 

 そのはずなのに――――ヤツハは、黒騎士の眼前で切り伏せた剣を手放したっ!?



 辛うじて戦いに目が追いついていたフォレとバーグは驚愕する。

 ヤツハが手にして剣は、己の身を守り、黒騎士を穿つ、絶対に手放せない牙。

 それを彼女は手放したのだ。


 フォレとバーグの思考は一瞬の空白を生む。

 

 それは――黒騎士も同じっ!


(いっけぇぇぇぇぇぇぇえぇぇ!!)


 ヤツハはさらに深く踏み込み、黒騎士の胸に飛び込んでいく!

 黒騎士から奪った時間は刹那よりも短き(つぶ)の時間。

 

 それでもヤツハは迷わず駆ける。

 黒騎士は剣を返し、ヤツハの首を刈り取ろうとする。


 もし、もしっ、この時! ヤツハに少しでも迷いがあれば首と胴は離れていた。

 しかし、死を恐れず希望のみを瞳に宿し、前へ突き進んだヤツハが失ったものは――僅か髪数本!


 ヤツハの瞳は絶大な魔力を帯びた黄金の輝きを放ち、その魔力は右拳に集約され紫光(しこう)を纏う。


「はじけとべぇぇえぇぇぇぇ!!」



 

 …………(こぶし)は黒騎士の左腹部へと叩きつけられた。

 

 鈍い音が広がる……その音は、鎧を貫いた音ではない。

 鎧がひしゃげた音でもない。

 

 音は、聞く者全てへ嘔気(おうき)を産むもの。


――拳が崩れる音。骨が砕け散る音。


 次に聞こえたのは、ヤツハの悲鳴――。


「うぎゃぁぁあ!! うあわあああ! ひぎぃぃぃぃい!!」



 彼女は真っ赤に染まった右手を見つめながら、涙と唾液に塗れる叫び声を轟かせた。

 雪原のように白く、白魚のように美しかった指はぐしゃぐしゃに変形し、五本の指全ての爪は剥げ落ちている。

 もはやそれは、人の指先とは思えぬ姿。


 しかし、そうなるのも当然の結果。

 剣も魔法も通さぬ黒き粒子を纏う鎧を、素手で叩きつけたのだから……。


 誰もが、ヤツハの馬鹿げた行為に絶句した。

 禍々しい黒騎士の鎧に素手をぶつけるなど、正気の沙汰ではない。

 狂人の行為。

 

 誰の目にもそう映る。

 だが、フォレだけはヤツハの姿を見つめ、悩乱(のうらん)し、地面を掻き毟っていた。


(なんて、無茶を! ヤツハさん!)


 ヤツハは地面に倒れ、痛みに塗れる右手を体から少し放して、悶え打つ。

 本当なら、左手で右腕を支えたい。

 しかし、それすら叶わない。

 フォレは痛みに気を失うことも許されず、ひたすら叫び声を上げ続けるヤツハの姿を見つめ、涙を落とす。


(ヤツハさん、ヤツハさん! 私は、俺は情けないっ!)

 地面を掻き毟る指先に血が滲む。

 だが、その痛みは、ヤツハが味わっている痛みと比べれば、棘の痛みすらない。


 

 黒騎士は地面に転がり悲鳴を上げ続けるヤツハへ、一歩、足を踏み出した。

 

 そして――片膝を落とし、黒き粒子を霧散させ、動きを止めた。

 


 その光景に、戦いを見つめていた数多の瞳たちは驚く。

 黒騎士の鎧には傷一つない。ヤツハの拳は無意味だったはず。

 

 ヤツハは歯を食いしばり、痛みに耐えながら、地を這うように一度は捨てたフォレの剣に近づく。

 彼女はしっかりと左手で剣を握り締めて、何度も足を崩しふらつきながらも、剣を支えとして立ち上がった。

 ヤツハは黒騎士に近づき、刃を彼の首に当てる。そして――



「く、黒騎士ぃぃ! 俺のぉぉ、俺の、俺の、勝ちだぁぁぁぁ!!」


 

 ヤツハは高らかと勝利を宣言する。

 叫ぶ声には血が混じる。

 喰いしばった歯茎からは血が溢れ、涙と涎に顔を汚し、右手は原形を失っている。


 だが、その姿を誰も醜いだと感じていない。

 むしろ、貴き姿……。


 黒い絶望を纏いし騎士は片膝をつき、ヤツハへ(こうべ)を垂れている。

 美しき少女は騎士の肩に剣を置き、彼を見つめる。



 それは女神に剣を捧げた騎士の光景。



 血染めの女神は息も絶え絶えに、剣を黒騎士の首に当てたまま何もできず、じっとしている。

 彼女は剣を騎士に当てることで、やっと立っていられる状態。

 

 黒騎士はピクリと指先を動かし、自身の首に賜った熱籠る冷たき刃に軽く触れた。

 ただ、それだけの行為で、ヤツハは体をふらつかせて、地面に倒れる。


 そして、右手の痛みに狂う。


「うがぁぁぁ! うぎぎぎぃぃ! あああぁぁぁぁ!」


 黒騎士は何事もなかったかのように、すっくと立ち上がり、ヤツハを見下ろす。



「何を企んでいるのかと思えば、よもや、空間魔法とはな……」


 そう……ヤツハが右手に宿した紫光(しこう)は、空間魔法。

 彼女は空間を揺るがす攻撃呪文を黒騎士へ叩きつけたのだ。

 衝撃は黒き粒子の壁を貫き、黒騎士の肉体へ到達していた。

 だからこそ彼は片膝をついた。

 だが、黒騎士の命を刈り取るには及ばなかった。


 

 フォレは、悲鳴を上げ右手を(かば)うこともできずに、痛みにのたうち回るヤツハを涙の中に映す。


「空間魔法……ヤツハさん。あの時のように!」

 風に乗り、覚悟を口にしたヤツハの言葉。

 フォレの耳に届いた呪文――それは地下練習場で聞いた空間魔法の枕詞。


 空間魔法とは、制御を完璧に行わなければ魔力の流れを乱し、肉、骨、神経を切り刻む痛みに苛まれる。

 ウードの力を借りて魔力が飛躍的に上がったヤツハであったが、完璧な制御には至れなかった。

 

 乱れた魔力は痛覚を荒ぶらせる。

 右手にふわりと風が当たるだけで、痛みは四肢へと広がり、脳髄を刺す。

 それ故に、ヤツハは痛みを支えるため、右手に触れることさえ許されない。


 (しゅ)に染まる右手。ズレ落ちる爪に、皮膚を突き破り飛び出した骨。

 レコード盤の溝に針を通すように、筋線維の一本一本に幾度も痛みがなぞり、叫び声を奏でる。


 立ち上がることも許されず、痛みに蹂躙されるヤツハ。

 黒騎士はその醜態をまざまざと見つめ、語る。


「敗北は恥辱。痰を浴びせられ、糞汁を飲まされ、嘲笑とともに臓腑を引き摺り出される。己の全てを否定され、汚辱の内に過ごす。耐え難き苦痛……であるが、我は」


 黒騎士は剣を強く握り締め……鞘へと納めた。



「我は、これほど愉快な敗北を知らぬっ! フハハハハハッ!!」



 背を反り、胸を天に掲げ、黒騎士は笑う。

 喉の奥底から、腹の奥底から、心の奥底から、彼は笑う。

 狂気と逸楽(いつらく)の宿る言葉を、価値ある少女に語り掛ける。


「娘よ。名は?」

「うぎぎ、うがぁあぁっ」

「名も言えぬか?」


 黒騎士の言葉に、ヤツハは血と涙と涎と土に塗れ、ヘドロの様相を見せる顔を向ける。

 そしてっ――


「ヤ、ヤツハ、ぎぃ!」

「ヤツハ……ヤツハよ。貴様が我の首元へ刃を置いたあの瞬刻、我は完全に無防備であった。見事……」


 騎士は黒き外套を払い、背を見せる。


「ヤツハ、貴様の勝ちだ。再び運命の歯車(まみ)えることを祈り、今は去ろう」


 彼はヤツハに背を向けたまま、歩いていく。

 バーグたちをも無言で横切り、村より去っていった。




評価点を入れていただき、ありがとうございます。

執筆への意欲に心迸る火花を、大輪の花の輝きへと咲かせられるように今後も頑張っていきます。

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