7 生き延びる為に
◆
片桐がおれを見つめている。
おれも片桐を見つめている。
(“チャリーン”と鳴ったら、お前が心のこもった告白をされたということじゃ。いいじゃろ?)
駄女神の声が脳内に響いた。やっぱりか、との思いとともに、いいわけあるか! とツッコミたい気持ちがふつふつと湧いてくる。
片桐の性癖については、この際スルーしよう。ともあれ、本日の目的は達成されたので、おれは牛丼を急いで食べ終わると、立ち上がった。
このまま片桐といても、人生の暗黒面へ向かって疾走するだけのこと。ジェダイ・マスターも、ここは去れと言っている気がする。
「じゃ……」
右手を軽く上げて、挨拶をした。軽やかなステップを踏んで、空になった牛丼弁当の容器をゴミ箱へと投げる。
おおう、“カサ”という音がして、見事ロングシュートが決まった。
「おい、栗栖!」
片桐に右手を掴まれた。おれは振りほどこうとしたが、どうしても出来ない。
女になって、力がかなり弱くなったようだ。とはいえ、慌てない。こういう場合は引くより、押して逃れるのが武道の常識だ。虎穴に入らずんば虎児を得ず、ともいう。
おれは片桐の懐に飛び込み、この状況から逃れることにした。
……しかし残念なことに、作戦は失敗。おれは見事、ヤツに抱きとめられてしまった。
思っていたよりも、厚い胸板だ。細身のチャラ男なのに、体でも鍛えていたのか?
香水の匂いがいかにもチャラいが、これは以前、おれがオススメしたものだ。愛用してくれていたとは、ちょっと嬉しい。
……って、おれ、なんでコイツに抱きしめられてホッコリしてるんだっ!
「くそ、離せっ」
慌てて体を離そうとしたが、片桐は意外にしつこい。そのままもつれるように座った結果、おれの体がヤツの膝の上に乗ってしまった。
「……うおお……なぜおれが、男の膝上に座らねばならんのだ……」
「いいだろ、べつに。俺はお前が好きなんだし、こうしていたい」
くそう、確かにコイツは、おれに告白した。だったら、こんなことを言われても当然か。しかも片桐のヤツ、耳元に口を近づけやがって。
こんな状況を、誰かに見られたらどうするんだ。カップル認定されちまうだろうがっ!
いやまあ、自分で蒔いた種かもしれんけども……。
「い、いきなり好きだとか言われても、困るだろ。だっておれ、昨日まで男だったし、それに……」
「わかってるって、栗栖。だから今、無理にお前から答えを引き出そうとは思わない。ただ、ちょっとこうしていたいんだ」
「そうか、だったら……」
まあ、片桐はおれの罠にハマったという側面もある。こんなことでお礼になるなら、ちょっとくらいは我慢してやるか。
「……ただ、なあ、栗栖。なんで朝、俺の方をチラチラみてたんだ? どう考えても、誘ってるようにしか見えなかったぜ?」
「ぐっ……!」
痛いところを付かれた。
いっそ、本当のことを話してしまおうか?
「それは、だな……ええと」
いや、やっぱり今は駄目だ。
おれが生き続ける為には、毎日、誰かに告白される必要がある。それが同じ人物ではいけない、という規定なんかないから……つまりおれにとってコイツは生命線になり得る存在なんだ。
「お、おれにもよくわかんねぇよ」
もぢもぢと腰を動かし、体をよじる。とはいえ、いつまでも男の上に乗っているのは、正直、精神衛生上良くないぞ。
「栗栖、お前さ。体が女になったことで、心も徐々に女に近づいてるんじゃねぇの? 今だって、本気で俺から離れようとしてないだろ?」
「そ、そんなことはねぇよ。お前が手が、シートベルトみたいになってんからだろ!」
「へえ、シートベルトみたいにしていいんだ? じゃあ、胸、触っちまうぞ?」
「や、やめろっ! 馬鹿野郎っ!」
「いーね! ほら、今だって顔を赤くして、可愛いぜ。心が男だったら、胸なんか触られても平気だろ?」
「ん? まあ、それは確かに……」
って、何を言ってやがる、この野郎。その手にのるかっ!
おれは胸に手を伸ばそうとする片桐の右手をつねり、膝から飛び降りた。
しかし鈍った運動神経と肉体は伊達じゃない。お陰で尻餅をついてしまった。「いてっ!」
「無茶すんなよ。その体、馴染んでないんだろ?」
「悪かったな、ふん。昨日の今日で、馴染む訳がねぇだろ。あと、エロいことすんな。今度やったら、お前がホモだってバラすぞ」
片桐に手を引かれておき上がると、おれは再びベンチに座った。チャラ男な片桐も再び座って、空を見上げている。
「ホモじゃねぇし。バイセクシャルだし。それに今のお前は女だから、限りなくフツーだし」
「確かに」
いや、納得してどうする、おれ!
「でも、ま、男の時のお前に隠してたのは、後ろめたかったからだ。それは認めるよ」
「はぁ? だったらなんで今、カミングアウトしてんだよ」
「……そりゃあ、お前だってこのまま俺と付き合ったら、ずっと疑問に思うだろ? 元男の自分を、この人はどこまで好きになってくれたんだろう、ってさ」
爽やか過ぎる笑顔で、片桐が言った。
言ってることは、実によく理解出来る。しかしなぜ、おれとコイツが付き合う前提なのだろう?
しかしまあ、今は仕方がない。コイツには悪いが、その気持ちを利用させてもらう他ないからな。
「……まあ、ね。とにかく今は、好きだといってくれたことに、礼を言っとくよ」
「へえ、喜んでくれてるなら、俺にとっては一歩前進だな!」
うわ、なんかコイツ、すっげーポジティブ。
おれは片桐をチラ見しつつ、そっと体をずらした。二人並んで座っているベンチの中央に、一人入れる程度の空間が出来る。
タイミングを見計らって、教室へ戻ろう。今日のところは、もう片桐に用はない。
何を考えているのか、片桐が前髪を弄りながらニヤニヤしている。
「栗栖、お前、運命って信じるか?」
片桐の言葉に、おれは動きを止めた。
今までだったら、きっと「信じない」と答えただろう。
しかしこうなってしまった今、そして「ローラ」という名の女神を知った今……それが存在することは確実だ。
しかしだからこそ、おれはこう答えた。
「信じたくない」
「それでもいいさ。でもな、お前はいずれ俺の女になる。それが運命なんだ」
おれは立ち上がり、頬を指で掻く。何かを答えようと思ったところで、御堂の声が聞こえてきたから、振り返った。
「おーい、洋! あっちに素敵な百合をみつけたよぅ! ていうか、洋は女の子と話さなきゃダメだろ! 男と仲良くしてたら、TS百合が成立しないんだから!」
百合ップルにしか興味を示さない我が親友が、双眼鏡を片手におれの手を引っ張ってゆく。
しかし、その途中で何を思ったのか振り返り、ヤツは片桐に人差し指を突きつけた。
「片桐っ、洋に手を出したら、このぼくが許さないよ」
「許さない? へえ、お前も栗栖のことが好きなのか?」
「もちろんっ! 洋は空子ちゃんと百合姉妹になって、ぼくはそれをサボテンとして見守る係なんだからっ! その邪魔は、断じて許さないっ!」
「お、おう……わかった」
片桐は右手をヒラヒラと振って、おれ達を見送った。御堂は鼻息も荒く、眼鏡をクイクイと直している。
そして向かった先は非常階段の二階、眼下には二人の少女が互いの弁当を、「あーん」しながら食べさせあっている姿。
「ねえ、洋。尊いよねぇ。尊いだろ? 尊いって言えよ」
甘いため息を吐きながら、親友は遠い目でそれを眺めている。
ある意味でおれは今、御堂に助けられた。しかし親友の性癖がどう考えても片桐を上回る変態であることは、どうやら間違いないことのようである。




