1 どうやら“あさおん”したらしい
◆
おれの名前は、栗栖洋。身長百八十七センチの、いわゆるイケメン過ぎる読モな高校三年生だ。
勉強だってそこそこ出来て、運動も百メートルを十一秒台で走り、球技全般なんでもいける。加えて五歳から続けている空手のお陰で、ケンカも負けなしだ。
まあ、勉強に関しては親友の御堂に劣るが、顔の優劣を考えれば、総合的に見て互角だろう。
少なくとも昨日の夜までは、そうだったはずだ。
「ぎゃーーっ!」
おれは今、鏡の前で思わず奇声を上げていた。
目の前には、長く伸びた黒髪を両手でかき回す、緑眼の少女がいる。そりゃあ、おれの母親はイギリス人と日本人のハーフだ。遺伝的に眼の色が緑でも、何ら不思議は無い。というか実際おれは緑色の瞳をしている。
だがしかし、問題はそこじゃない。なぜおれが「朝起きたら女になっていた」のか?
そう、問題はこれだ。
いわゆるマイナーなオタク文化で言うところの、「あさおん」というやつだろうか? 確か、御堂がそんなことを言っていた気がする。
「あさおんして襲われるとか、それも悪くないよね?」なんて、確かそんな風に、アイツは頭がおかしなことを言っていたはずだ。
だとすれば、だ。
おれは勇気を振り絞って、ぶかぶかになったスウェットをめくり上げる。
“ふよふよ”
うむ……どうやらやはりあるようだ……おっぱい。
「ぎゃー!」
思わず、またも奇声を上げてしまった。
おれは基本的に「おっぱい」なんて触り慣れている。そりゃあそうだろう。だっておれは読モだぞ。おれに群がる女共は多い。だから「おっぱい」ごとき、選び放題の触り放題だったのだ。
しかしそれが自分についてしまったとなると、話が変わる。ぶっちゃけ、どうすりゃいいんだ……。
そして案の定、下半身にあるべき慣れ親しんだ象さんが消えていた。
「ぎゃーっ!」
「朝から何? 五月蝿いわよ! また馬鹿アニキが連れ込んだ女っ!?」
二階で扉が威勢よく開く音がした。おれの奇声を聞きつけた妹の空子が、怒りも露に階段を駆け下りて来る。
そしてバスルームの手前にある洗面台で、あさおんしたおれと顔を合わせた。
「緑目……? あなたもクォーターかなにか? どっちにしてもアニキなんかにホイホイついてきて、男を見る目が無いわねっ!」
妹と同じ程度の身長になってしまったおれは、おれと同じ眼の色をした彼女の前で口をパクパクとしている。両親は今、二人揃って海外出張中。そんな中で頼れる家族は、この妹だけだというのに……!
「それにしてもアニキの服なんか着て。何なのよ、最近の若い子は、誰とでも簡単にヤッちゃうんだからっ!」
妹が三白眼でおれを睨んでいる。おれのことを、おれが連れ込んだ行きずりの女だと思っているらしい。
ていうかお前、その説教はどうなんだ? 最近の若い子って、お前は一体いくつになったんだ? たしか二つ下だから、今年十六歳だろうが。
「や、ヤッてない……!」
おれは辛うじて反論をした。
「へえ、そう? じゃあ自分の服はどうしたの? アニキは?」
両手を腰に当てて、妹が睨んで来る。ズズイと寄って来て、顔が近い。
そんな妹は、ピンク色でウサギの絵がプリントされたパジャマを着ている。言動が強気で大人びている癖に、コイツはなんだかんだ言って子供なのだ。
「おれがお前のアニキだ。どうやらあさおんしたらしい……」
「あさおんって、何よ!?」
……その後、グーパンチで妹に殴られた。
◆◆
妹にグーパンチで殴られ、鼻血を吹き出し気絶したおれは、気がつくとリビングにあるソファに寝かされていた。
眼を開くと、高校の制服に身を包んだ妹が、食パンをくわえておれを見下ろしている。
白いブラウスからうっすらと水色のブラが透けて、爽やかなエロさを醸し出していた。
「なんだお前。パンを食べながら出かけて、路地でイケメンとぶつかり恋に落ちようって魂胆か? その為に清楚なブラを選んだんだろうが、でも残念だな。あれは善良なドジっ娘じゃないと、発揮できない属性だぞ」
「なっ! 何なんだよ、てめぇっ!」
慌てて胸元を隠す、愛らしい三白眼の妹だ。美人なのに目つきが悪いとは、なんとも可哀想に。
「何って、お兄ちゃんだろうが」
もう一回、おれの顔にパンチがめり込んだ。あさおんして絶世級の美女になったというのに、なんて仕打ちだ……美人がトクをするってのは、真っ赤な嘘だな。
「そのアニキは、一体どこにいったんだよ? あんたを置いて、さっさと出かけたってのか? それにしちゃあ制服があるし……意味が分からないったら……まったく!」
おれが鼻を摩りながら起き上がると、空子が眉を顰めながら問いかけてくる。
なんだかんだ言っても、空子はお兄ちゃんっ子なのだ。
「わかった、わかった。空子はお兄ちゃんが大好きなんだな」
「ちげぇよっ! あいつに貸してた一万。今、回収しないと昼飯が食えねぇんだよ!」
違った、おれがお金を借りていただけだった……。
「お、おお、ちょっと待ってろ。昨日の仕事は取っ払いだったから、今、金を取ってくる」
おれは部屋に金を取りに行く為、立ち上がった。そして迷わず財布を持ち出し、当然のように妹へ現金を差し出す。
「ほら、利息込みだ。ありがとよ」
おれからひったくるように紙幣を奪い、文句を言う妹。まったく、金の亡者か。
「これ、千円じゃねえかっ!」
「だからこれが、利息というものだ。一日一割減っていくから、ま、こんなもんだろう」
「てめえ! 資本主義を根本から否定しやがって! 利息ってのは、貸してる側が貰うもんだっ!」
「かたいことを言うなよ。どっちにしても、絵のついた紙に変わりないだろ? 同じ一枚じゃないか」
「紙幣を舐めるな、このやろう! さっさと一万を出せ、一万をっ! ……ていうか、この会話……こんな馬鹿なことを言うのは……本当にアニキ、なのか?」
ふう……どうやらようやく、空子がおかしいと気付いてくれたようだ。
「だからおれがアニキ……洋だって言ってるだろ。これでやっと、分かってくれたか?」
「ま、まじだったのか……それ、ぷくく……」
あれ? 空子の奴、口元に手を当てて、なんか笑ってない? 反応がなんか、おかしくないですか?
普通ここは、女になってしまった兄にショックを受けて、どうにか元に戻る方法を探すとか、そういう方向にいくもんじゃないんですか、ねえ?
「ぶわはははははっ! 漣ちゃんに電話しよう! まじウケる!」
「ま、まて! 御堂は呼ぶな! アイツはまずい! アイツはこういう話、大好物だからっ……!」
やばいぞ。おれと空子、そして親友の御堂は小さな頃から空手をやっている幼なじみという間柄。だからといって……ここで奴が助けになる可能性は、限りなく〇に近い!
「だからだろうがっ! ぶわははは! ……あ、もしもし、漣ちゃん? ちょっと学校行く前に家へ寄ってくんない? まじ面白いことがあって……えとね、アニキが女になってんの……しかもスゲー可愛いし! ぶわははははっ!」