夢追う陸上少女と笑わないガリ勉男子
本作は日向るなさん主催のガールミーツボーイ企画で投稿させて頂いた物です。
他の方々の作品も短編から連載物まで様々な秀逸作品が投稿されていました。
気になった方はリンク張りますので以下からどぞー
http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/450796/blogkey/1517934
※日向るなさんの活動報告に飛びます。
――私立、川野辺高校。
そこは昔から様々な種類の、そして数多くのプロスポーツ選手を排出するいわゆる超スポーツ重視の強豪高校。
全国からこの学校に人が集まってきて、皆自分の夢のために一生懸命練習を重ねる。
そして、校舎は古く、大きさもそれほどでもないのだが、その隣には小綺麗な寮が付いていた。
そう、この高校は完全な全寮制で、生徒達は特殊な事情がない限り皆高校にくっ付いているその寮と学校で一日生活をするのだ。
因みに、高校は山の中にドンッと建っていて周りにあるのは駅と先生達の教師寮くらい。コンビニもスーパーもレストランもなく、買い物は学校の購買で、食事は寮か学食で。そんな浮世から隔離された世界である。
岡崎 弥生もまた、この川野辺高校でトップアスリートとなるために毎日グラウンドを駆けていた一年生の少女であった。
「恋愛したいぃ?」
「そりゃそうだよ、恋愛したくて堪らないよ! もう夏だしさぁ、恋の話とかあって然るべきだと思うわけよ! 弥生は違うの?」
「んー、私は恋愛も遊びも捨てて陸上に全てを捧げてるからねっ!」
「いや、陸上が大事なのは分かるけどさぁ。羨ましいなって思わない?」
「思わないかなぁ。あっ、卵要らないなら頂戴、タンパク質、タンパク質!」
「あんた……卵ばっかり、それ美味しいの?」
「美味しいとか美味しくないとかじゃないの! 栄養、栄養が大事なわけよ!」
「ふーん……」
友達との会話にも夢が滲む。
彼女は浮わついた話題に興味がなく、日々自分の足のため、走るためを考えて生活していた。
それは勿論自身の夢のためなのだけど、一方では使命感のような感覚で、楽しいとか楽しくないとかはそっちのけにやらなきゃいけない、そんな気分で食事も取っていた。
そんな日々を送る彼女の元に夏休みがやってくる。
だが、校長の長い話を聞くだけの終業式を終えて、明日から夏休み、今日もこれから部活だ! と、言うときに陸上用スパイクを忘れたことに気がついて教室に取りに向かったのだった。
「あったあった、スパイクちゃ~ん! 君がいないと私走れな゛っ……」
スパイクを取りに行ったアイスも秒で溶けるような熱帯の教室に男子生徒が一人、机とにらめっこするように勉強していたのだ。
独り言を呟いていた、いやかなりのボリュームで話していた弥生の額にも汗が流れる。
それが暑さからか、恥ずかしさからかは本人にも分からない。しかし、走り逃げることはなく、その少年のことがどこか気になり弥生はスパイクを胸に立ち止まってしまった。
石井 信也。それが男の名前。
弥生は話したこともなかったけれど、その名前はクラスメートとして知っている。口数は少なく、体育会系の多いクラス内では少し浮いていて、如何にも真面目そうに眼鏡をかけている上に、切れ目な目元のせいで此方からも近寄りがたい雰囲気のある男子生徒だ。
そんな生徒が一人で黙々と勉強していた。
そこに弥生は共感し、惹かれたのかもしれない。
陸上もまた一人で戦わなければならない競技だ。
勿論周囲の環境や支えてくれる仲間も大事だが、トラックでは自分独りで戦わなければならないからだ。
だから、弥生はひたすらに勉強に打ち込んでいる信也の姿に一目置いてしまったのかもしれない……
「なに?」
「ひっ!」
信也の顔がグリンと回り、無表情な顔についた二つの目玉が弥生を捉える。
あれだけ独り言を発していても気にすることなく勉強を続けていた彼がいきなりこちらに視線をむけたのだ。
そうなれば弥生も驚き、変な声も出てしまう。
そしてそんな彼女を無表情ながらどこか冷えた視線で見つめ続ける信也。弥生の額にはまた汗が流れていた。
「えっと……べ、勉強中?」
「そう、だけど……岡崎さん部活行かなくていいの?」
「あっ、わ、私の名前……!? ええっと、そ、そだね! 行ってきます!」
「……行ってらっしゃい」
名前を呼ばれたことに驚いた。
他人に興味なさそうな信也の頭の中に自分の名前が入っていることに驚いた。
そして、その後の自らの慌てっぷりに恥ずかしくなったのか、それともその恥態を信也に見られ、表情には出されないものの少しだけ笑われたような気がして恥ずかしくなったのかは分からないけど、クラスから飛び出すように走りだし、グラウンドまで駆けていった。
少しだけ鼓動が早鳴る。
何故だろう名前を呼ばれたこと、行ってらっしゃいと送り出されたこと、笑われたような気がしたこと、その理由はいったい何なのか分からないのだけど体を思い切り動かしたくなっていた。
このまま走れば凄いタイムが出るかもしれない。
弥生は「廊下を走るなっ!」と怒られつつもグラウンドへ急いだ。
……結局その日良いタイムは出なかった。
だが、弥生はその日から岡崎信也を気にすることにした。
何故あの暑い中で彼は勉強していたのか、それが不思議だったのだ。
この学校には珍しく彼は夏休みが始まってもクラスで勉強している姿を見かけた。
グラウンドからクラスの窓が見えるのだが、開け放たれたそこにはだいたい信也が真面目な顔で勉強している姿があるのだ。
「なになにー? 弥生まさか石井君のことっ!?」
「い、いや、違くて……いつもあそこで勉強してるんだよね暑いだろうに……」
「へぇー良く見てるね弥生は……石井君あれでしょ? 今年から出来た進学プログラムとかいう……」
「なにそれっ!?」
「凄い食いつきだなぁ~、仕方ない教えてしんぜよう! この高校って脳まで筋肉学校じゃん。だけど今年から学問の方にも力を入れてみようかってことで希望者には色々と勉強のためのプログラムがあるみたい! ほら、先生もいるでしょ? 塾みたいな感じなのかね?」
「へ、へぇー……」
せ、先生もいたんだ……
そのことに今まで全く気づかなかった自分が、信也の姿しか見ていないことに気付いてまた一つ恥ずかしくなる。
実際に終業式の日も弥生がスパイクを胸に教室から飛び出して行った時、先生が扉の所まで来ていたのだがそのことに全く気づかなかった。
「でもさ、石井君ってガリ勉って感じで面白くはなさそうだよねぇ~」
「う、うん」
「いつも無表情で笑ったところも見たことないけど、ありゃちょっとやそっとじゃ顔を崩さないね、難しい数学の式を見てやっと笑うタイプじゃないかな!?」
そんな人がいるのか?
と、思いつつ弥生達は部活へ戻ることにする。
グラウンドへ向き直り走り出す間際、頬杖をついて黒板へ顔を向けていた信也が此方を向いた気がしたが、既に走り出してしまった今、弥生はもう一度振り返る気になれずそのまま駆けた。
その日の夕方、雑用役の一年内でも更にじゃんけんで負けてしまった弥生が、独り最後の後片付けを終わらせて、よし帰ろうかという時分だった。
グラウンドを一日中走っていた彼女は砂埃でパサパサ、汗でベトベトという状態で早く寮に帰りたかったのだ。
だから気分も早まり、足も自然と急ぐように早いものになっていた。
「今日も疲れたぁ~、糖分、糖分が足りない! デンプンを接種しないと、いや、その前にシャワー……キャッ!!」
ドンッ!
急いでいた弥生が校舎を突っ切って近道しようとした所で角から飛び出して来た人とぶつかってしまったのだ。
その人は見事に転び、手に持っていた紙袋から幾つもの本を床にぶちまけてしまった。
「あっ! す、すいません! すぐ拾います!」
「え、えっと、いや、大丈夫。岡崎さん疲れてるでしょ、自分でやるから……」
「え? 信也……君?」
聞いたことのある声、床に散らばった沢山の本を拾い始めていた弥生が顔を上げて確認してみればそれは石井信也その人だった。つい、名前で呼んでしまったが弥生は意識的に気にしないことにする。以前名前を呼ばれたことからどこか親近感が沸いていたのかもしれない。
そして、彼もまた今やっと進学プログラムなるものの今日のノルマを終えて帰路に着くところだったのだ。
そんな信也は突然の衝突にいまだ驚いているかのような声色だったし、床に尻餅を着いたまま眼鏡も盛大にズレて呆けているようなのだが、相変わらずの取り繕ったようなその無表情に、弥生は昼に友達が言っていた「ちょっとやそっとじゃ顔を崩さないね」と言う言葉を思い出してつい笑ってしまう。
「プッ……フフ……アハハハハ!! 驚いてるの、それ?」
「い、いや、別に驚いている訳では……!」
「ふはぁ、笑ったぁ……信也君って面白いね。私今度難しい数式持ってくるから! 待ってて!」
「……???」
ぶつかってきて、名前で呼ばれ、更には驚いていることを指摘されたあと、笑われて……よく分からないが恥ずかしくなり信也は耳まで赤くなっていた。
弥生と信也、二人は一緒に日も暮れた校舎で本を拾う。
指先が触れあうような甘酸っぱい展開は無かったものの、それは確実に二人が話すキッカケになった。
「そう言えば岡崎さんっていつもグラウンド走ってるよね……なんであんなクソ暑い中走っていられるの? 疲れない?」
「うん、疲れるしメチャメチャ暑い。熱い。んー、でも何故走るかって言われたらゴールがあるからかなぁ。ゴールした瞬間、とっても気持ちいいんだよね! あとは完璧な自分みたいなのに酔ってるのかも、体調整えたり食事考えたりね、結果はタイムなんかにすぐ出てくれるから……だから今はとりあえず最高のタイムを出して来年の大会出場するのが目標!」
「へぇ、凄いねぇ……!」
「で、信也君はなんでそんなに勉強ばっかりしてるの?」
「んー、それなりの大学目指してるんだよね、だからかな……俺の方もまぁゴール目指して頑張ってる、ってことになるのかな……?」
「そっかそっか! じゃあお互い頑張ろうねっ!」
そして、二人は寮の門限も近いことから解散する。
次の日からは弥生がグラウンドから見上げ、信也がクラスの窓から見下ろす関係が生まれた。
別に何処かで会って言葉を交わす間柄という訳でもないのだが、二人の目が合ったときはコクリとどちらからともなく頷くようになっていた。
それは、お互いの夢を確認しているような気がして、弥生はそうやって頷き合えた日には何故か無性に走りたくなった。
そうして夏は終わる。
暑さも大分収まり、紅葉が始まる頃には弥生と信也はそれなりに夢を話す仲になっていた。
勿論クラス内で夢を語り合うなんてことは、男女の仕切りも拍車をかけてあり得なかったが、ふと二人きりになった時などは良く話をした。
何時も無口で人を近寄らせない雰囲気の信也も夢を語る時はいつも通りの無表情なのに何処かキラキラとしているのだ。
「いやぁ、でもまさかロケットを作りたいなんて初めて聞いたときは私驚いたなぁ~ニヤニヤ」
「はぁー、だから言いたく無かったんだ……」
「ウソウソ、冗談だよ、別に笑ったりはしないよ! 夢を叶えることって大変だけど凄いことだと思うもん!」
「そう、だね……あっ、そこのXは3を代入するんだよ」
「あぁっ、もう……なんでこんなに数学って難しいんだろ……」
今はテスト一週間前、部活は休みで完全にテスト週間だった。
学年底辺の弥生はヒッソリと学年トップの知能を持つ信也に勉強を見てもらっていたのだ。
夢はロケットを作ること、それを弥生が信也から聞いたのは夏休みも明けた頃だ。彼女は驚きこそすれ、そのために航空宇宙学とやらが学べる大学を目標にしている彼を応援しようと思った。
同時に自分も直前に控えた新人戦を前にヤル気になる。
しかし、今はまずはテストだ。
赤点を取れば補習で大きく練習時間が失われることになる。
なんとしても弥生は赤点を回避しなければならなかった。
そのため信也にお願いして、クラスに残り勉強会を行っていた。
因みに弥生が難しい数学の式を見せたところ、これはこうやって解くんだよ。と、信也は特に笑うことなく真面目に教えてくれた。いや、もしかすると弥生にとっては難しくても信也にとっては簡単な問題だったのかもしれない。
しかし、別に難易度関係なく信也は数式で笑うような男ではなかった。
二週間後……
テストが返却される。
弥生のテストはどれも赤点をギリギリ免れる結果だった。
体育会系の学生が多いせいか真っ赤っかなテストが多い教室は阿鼻叫喚。
そんな中、弥生がホッとため息をついて席についた時、信也と目が合った。
コクリ。
お互いに頷く。
今回赤点を免れたのは信也君のお陰だ、本当にありがとう。
そして次は新人戦、私頑張るから。
そう、心の中で考えつつ弥生は顔を引き締めて顎を引いたのだった。
「ねぇ、弥生って石井君と付き合ってるの!?」
「うぇっ!? な、なんで!?」
「この前二人で話してるの見ちゃったんだよねぇ!!」
「べ、別に信也君とは付き合ってるとか……」
「信也君!? へぇ~、ほぉ~」
「違う、違くて、信也君は夢を叶えるために大学に行きたくて勉強を頑張ってて、私も陸上を頑張らないとって……」
「フムフム、弥生、頑張れ! 応援してるぞ! コッソリ見た感じじゃ良い感じだったよね……はぁーいいなぁー」
違うってば! と、弁解するものの友達はもう聞く耳を持たない。
変に意識しすぎて、その日は結局信也のいる教室の窓を見上げることはなかった。
その性だろうか少し体も強ばり、上手く走れない気がする。
自分は独りで、自分の力だけで戦っているはずだったのに。
はずだったのに……
あぁ、今日は栄養考えずにスイーツでも食べてしまおうかと弥生は思っていた。
後日、弥生は新人戦の予選を突破した。
過去の一年生記録に近いものを叩き出したのだ。
勢いに乗っていた。
校内の練習も順調、健康も異常はない、毎日の食事も栄養バランスに気を付けた。
本選のため練習で学校のグラウンドを走る。
ここの所、教室を見上げれば必ず信也と目が合った。
タイムも自己新記録を更新、連日コンディションは最高だった。
そして、その日もスタートにつく。
今日も本選のためにいつものグラウンドで練習だ。
クラウンチングの体制を取る。
鼓動の音を感じれる程に弥生は集中出来ている。
つい先程信也と頷き合った、今すべきことは最高の結果を残すこと。見ていて欲しい、何処かでそう思っている自分がいた。
そして、「用意」の声が聞こえてくる。
すぐに腰を上げ、数秒の後にスタートの合図が鳴った……
「痛っ!!!」
突然、弥生の膝に激痛が走る。
走ることはままならなくなり、地面を滑るように転ぶ。
直ぐに立とうと思った、しかし、膝が伸ばせない。
これはなに? 混乱の中痛む膝を抑える。
これはなに? トラックの外から顧問が駆けてくる。
これはなに? 目の前で他の選手達がゴールしていく。
これはなに? 私は……走れない?
膝が伸ばせないのだ、あれだけコンディションは良かった。
しかし、膝が痛すぎて伸ばせない。
弥生には悪い予感しかしなかった。
泣きそうな顔でクラスの窓を見上げる。
立ち上がって此方を見る信也がいた。
……
「半月板損傷です。運動はなるべく控えるように……これから君は陸上等の走る競技は出来ませんが通常の生活には支障はありませんので……」
お医者さんの先生の声に私の時間が止まった。
これから検査入院で一週間ほどベッドの上。
勿論新人戦には出場出来ない。
いや、それよりも……私はもう、走れない?
原因は分からない、突発的に半月板とかって軟骨が砕けた。
私の夢もこれまでの頑張りも……砕けた。
親も来たし、先生も部活の皆も来てくれた。
入院一日目だったせいか色々と受け止められなくて無下に答えてしまったと思う。
ご免なさい。
二日目になって、私はもう走れないって実感がじくじくと沸いてきた。
膝の屈伸は出来るようになったが何か引っ掛かるような感触が残っている。
どうしよう。
どうすれば良かったんだろう。
これから……どうすれば良いんだろう。
色々と悩んで悩んで、弥生はふと信也の顔を思い出す。
コクリと頷き合った思い出、次に会ったときにはもうそんな些細な二人の決め事も関係も無くなってしまうんじゃないか……
それが酷く悲しかった。
三日目。
彼が来た。
放課後、夕暮れ時。
石井信也は己の進学プログラムを休んで、電車に乗り、病院までやって来た。
その手には重そうに紙袋を持っている。
「久し振り」
「……久し振り」
無表情な信也の顔を見るのが何故か怖くて、弥生は窓の外を見ていた。
しばらくお互いに無言でいると、ドサドサと信也が紙袋から本を取り出す。
弥生がチラリと見れば、そこには「マラソンに必要なこと……」と綴られている本が見えた。
「な、に……それ?」
「暇かと思って。一昨日から色々と見繕ってみた」
「……なんでそんな本、私は、もう……」
涙ぐむ弥生。
マラソンとか、そんな走ることについての本は見たくなかった。
でも、色々と考えてくれただろう、ここまで持ってくるのも大変だっただろう信也に一体なんと言えばいいのかわからなくて、弥生は俯き押し黙る。
「まぁ、人生って色々あるよな……」
「……」
突然の人生トーク。
これにも大きすぎる話題と、自分の人生の突然すぎる転落を考えて弥生は押し黙る。
「でもさ……大丈夫だよ」
「大丈夫じゃ……ないよ! 大丈夫なんかじゃない! 私はもう走れなくて、ゴール、出来ないんだ、ずっと……!」
涙が溢れる。
弥生はそれまで我慢していた物が溢れてしまうのを感じた。
必死に気持ちを押し止めていた壁が崩れて行くのを感じた。
「本当は、嬉しかった! 最近はずっと、頑張ってる自分が、信也君と分かり合えてる気がして! 大会だってもうすぐ、もうすぐだった! あの日も信也君が頑張れって言ってくれた気がした、だから行けると思った! それで、私にも信也君に頑張れって言える資格があると思っていた! だけどもう、私、わだじははじれなぐで……うぅぅぅ」
大粒の涙を流す弥生を切れ目の信也が見つめる。
いつもの無表情な顔なのに、それは何処か暖かい視線で、静かに静かに弥生の叫びを聞いていた。
「岡崎さん、大丈夫だ」
「大丈夫なんがじゃ……」
「俺さ、本当は宇宙飛行士になりたかったんだ」
「……え?」
「宇宙が好きで宇宙飛行士になりたかったんだ! だけどさ、星の下で本とか読みすぎたのかな? 目が悪くなっちゃってさ……諦めた。俺もその時はスゲー悲しかったな。だけど、大丈夫。夢ってきっとまた見つかる。俺も色々考えて考えて、今では宇宙飛行士を乗せるロケットを作ってやろうって思えたんだ! だから……大丈夫!」
「……」
「岡崎さんっていつも一生懸命で頑張ってて、お互いに高めあえて、でも俺は別に岡崎さんが陸上していなくてもそれが出来ると思ってるから。それじゃ、寮長に怒られるから帰るね。あっ……俺さ、岡崎さんのこと……す、好きだから! そ、それじゃ!!」
……信也君って元々は宇宙飛行士になりたかったんだ。
へぇー……
えっ!?
なんかサラリと最後に大変な事を言われた気がして弥生の涙は吹き飛んだ。
「ちょっと! 待って!」と声をかけた時には既に遅く、残っているのはベッドの横に積み上げられた本だけだった。
『トレーニングコーチ入門』
『スポーツ選手を支える力』
『栄養士になるには?』
『マラソンに必要なこと、10の栄養素』
……
それらを見てハッとした。
弥生は窓から身を乗りだす。
そこには帰る所だったのか丁度信也が病院を出て出口の門へと歩いていた。
声は掛けない。声をかけなくても届く気がして、弥生は今まで通り声は掛けなかった。
通じたのだろうか、信也が振り返り、弥生と目が合う。
信也が病院の玄関先から見上げ、弥生が病院の窓から見下している。
そして、遠くて良く見えなかったけれど、コクリと頷き顔を上げた信也の顔は真面目な顔で、でもどこか大丈夫だよと言って笑っているようにも見えた。
弥生は心が少しだけ軽くなったのを感じた。
……数年後。
弥生と信也は同じ大学へ進学するこことが決まった。
今は二人で合格祝いにレストランへ来ている。
「いやぁ、やっぱ凄いな弥生は……よくあの底辺から合格できたね……!」
「むぅ、嫌味ですかぁ? 三年生の後半には私に追い上げられてテストの順位抜かれるってヤベェヤベェ言ってたのは何処のどなたでしたっけぇ? あっ、ちゃんと野菜も食べなさい!」
「ハイハイ、未来の栄養士さん」
「でも、これからだね! 信也もロケット作るためにやっと歩き出すんだもんね!」
「んー、今までも物理とか頑張ってたけどな。まぁ専門的なことはこれからだね」
「頑張ろうね」
「うん、頑張ろう」
二人は食べる手を止め、お互い静かに見つめ合うと、微笑みあいながらどちらからとも言わずコクリと頷いた。