日常は吹けば飛ぶような
誰しもが、自分を自分足らしめる何かを探してる。
ここに自分があることを実感するための標を求めてる。
大きな世界の中で、わたしはあまりに虚ろで、あまりに希薄だ。砂場の山から特定の一粒を見分けられないのと同じで、わたしは人の中に埋もれる眇眇たる存在だ。わたしが何を行い、何を想おうとも、この世に誤差すらうまれない。そんなわたしの考えすらも織り込み済みみたいに、歯車は回り続ける。
だったらわたしは、なんのために生まれてきたのだろう。世界の理も、隣人の胸中も、自分の意義すらもわからないままで、どうしてわたしは漂い続けているのだろう。
いっそ、考えるという機能さえもなくしてしまえたなら、いつもそう思う。そうなれば、藻のように波に濯われ、いつか砂浜に打ち上げられて枯れゆくのに疑問を持たずに済むのに。
だけど、そうなれないのには、きっと理由がある。人は藻ではなく、考える葦だから。
でも、どれだけ考えたって、自分なんかちっとも見えてこない。水面に映してみるまでは、自分の風貌さえも。だから人はたくさんいる。自分を映して、背景から切り取ってくれる誰かがなければ、いないのと同じだから。自分を見つけてもらうために、人は何かをするんだと思う。
だけど、その方法が常に正しいとは限らない。適性がなかったり、自分より抜きん出ている人がいたり、映すのを不快に思う人に拒絶されたり。わたしもそうだった。わたしは、最も安らげる心の置き場所を、認めてもらえなかった。こうありたい、あるべきと思う像を、誰も結んでくれなかった。
だったらわたしは、何をすればいいんだろう。他にしたいことなんて、ありもしないのに。だけどそれができないから、わたしは心に蓋をして、ただ時の流れるままに身を任せている。このままじゃいけないってことくらい、意味がないってことくらい、わかってる。わたしの生きてきた十六年の何倍も、これから先の人生があることも。
いつまでわたしはこうしていられる。いつまで、嘘を吐き続けていられる。あと何年かすれば、否が応でも自分の居場所を決めなくてはならない。このままずっと、過去にわたしを置いてきたままで、歩き続けなければならない。とてもおそろしい。それが出来ている人が、大人なのかな。嘘を嘘とも思わなくなって、痛みも悦びも忘れて、最大公約数を辿っていくだけでもなお、幸せだと言えるのが、成長するってことなのかな。それはとても、とてもおそろしい。そう思っていながらも、何も打開を試みない自分も。
誰にも、自分にさえも心を開けないから、ずっと閉じ籠もることしかできない。自分の、自分だけの居心地のいい空想の世界に。そこにいる間だけは、わたしは何でもできる、何にでもなれる。夢よりも深いまどろみの中で、全てを忘れて、誰にも侵されないひとときを噛み締められる。後に残るのが押し寄せる現実と虚無感だけだとわかっていても、ここにしかわたしはいない。ここにしかいられない。
昔から、歌ったり踊ったり、テレビに出ている芸能人を真似ることが好きだった。私自身には何かを生み出す力はない。楽器も弾けないし、独自の振付の引き出しもない。もちろんそれを叶えてくれる理解者や指導者も。
わたしは違う誰かになることに憧れている。自分の器を超えて、限界を超えて、羽化することに。わたしには何もないから。
そんなことはない、誰もが生まれながらに特別。そんなありふれた文句もある。確かにそうだ。身近な存在で言うと、お父さんとお母さんにとってわたしはたったひとりの大事な娘。愛されている自覚もあるし、感謝もしている。
だけど、それでは足りないのが人間だ。例え家族がいたって、友達がいたって、自分で自分を愛せないのなら満たされることは絶対にない。わたしは、わたしじゃないわたしが好き。ありのままの自分じゃ、いられない。
学校へ向かう道中は、いつもこんなことばかり考えてしまう。目的もなく、課せられたままに諸事をこなしていくだけの消化期間を連ねていくことへの疑問が募る。
だけど、ここで落ちこぼれてしまったら、立つだけでやっとの広さしかないわたしの領域もたちまち融解してしまうから、それに逆らうこともできない。せめて規則に従い、害をなさない存在であることが最低限出来ることだ。
自然と自転車のペダルを漕ぐ足も重くなる。平らな道ですら、高く反り立っていく。一体どこへ向かって走っているのだろう。それすらも朧げで、何かの拍子に転んでしまいそうで。だけどもう少し頑張ろう。もうすぐあそこに着く。
わたしが通学路で唯一心の軽くなる場所がある。長い、急な下り坂だ。脚を動かさなくても、わたしを先へと運んでくれる。
それに、思い切り歌を歌える。誰かとすれ違ったとしても、わたしの声が誰かの耳に届いた時には通りすぎてしまえるから。風と、それに乗る歌声を置き去りにして、気持ちのままに叫べるから。
ちょうど下り始める頃にサビを迎えられるように、今のうちから頭のなかでBメロまでを消化しておく。ぴったり合った時は、それはもう気分がいい。その瞬間だけは面倒なことを忘れられる。わたしだけの世界、わたしだけの言葉、音楽。もうすぐ、あと五秒、さあ下る。
音楽は鳴り止んだ。聞こえるのは、タイヤの空転するからからという音だけ。
これは現実だ。眼を覆いたくなるような。それを、膝に響く鈍痛が告げている。これは現実。
目の前に横たわる女生徒に、見覚えがある。足首に手をやってもがく彼女に。なんてことだろう、わたしはほんの小さな擦り傷だけなんて。彼女が自分で立ち上がることもままならない怪我を負って、わたしだけが無事なんて。視界が滲む。お願いだから、嘘だと言って。わたし、誰にも見付けらない代わりに誰も迷惑をかけないわたし。可能性に満ち溢れ、誰もが期待を寄せる彼女。どうして逆にならなかったの、どうしてこれから頑張ろうとしている人に、こんな残酷な仕打ちが。
わたしは自分以外の何も呪うことができない。これはわたしのしでかしたことだから。興が乗るあまり、あろうことか下り坂で眼を閉じていたわたしのせいだから。わたしは、わたしの一番好きなことで、人を傷付けてしまったから。この埋め合わせは絶対にできない。
彼女は、たった今、わたしのせいで羽をもがれた人は、初沢薫。
演劇部の、三年生最後の舞台である学校祭での発表を控えた副部長。
三年間捧げた青春の集大成を、わたしに奪われた人。
タイヤの音は鳴り止んだ。わたしの脳内では、彼女のうめき声だけがこだましている。
これは現実だ、心を抉る鋭痛が、そう告げている。