ユアン (1)
ユアンの毎日は、どこからが起きていて、どこからが夢の中なのか区別がつかない。
もわもわと頭の中に雲がかかっているようでいて、ときどき、何かにピントが合う。
そんなときに、ふっとママが見える。ママはいつもユアンのそばにいてくれているみたいだ。
そのママも、夢の中でのママなのか、今、そこでほんとうに動いているママなのか、だんだんわからなくなってきている。
でも、どっちでもいい。ママはママだ。
「ユアン、ご飯の時間よ」
そう言って、ママがご飯の支度をする。
ユアンのご飯はチューブから身体の中に直接入ってくる。
お腹が空いているのかどうかも、わからないから、ママが時間を見て食べさせてくれる。
ユアンは病院のベッドの上にいて、周りはいつもきれいに掃除されている。
最新の機械、設備がそろっているし、何かあったら、すぐにドクターがかけつけてくれる。ママのベッドはユアンのすぐ隣りにある。だからユアンはいつでもママと一緒にいられる。
ユアンの身体はどんどん細くなって、首を支えていることもできなくなった。
このベッドに来てから、どのくらいの時間が経ったのか、よくわからない。
でも、ここに来たときのことは少し覚えている。窓には空色のカーテンがかかっていたっけ。それと同じカーテンがユアンのベッドの周りにもかかっていたっけ。同じようなカーテンが並んでいたな。ほかにもだれかが寝ているのだろうな。
ベッドからカーテンを見上げた時、その色は好きだな、と思った。ほとんどのことはぼんやりしているのに、急にはっきり思うこともあるから不思議だ。
ありがとう、ママ。
ユアンは声にならない言葉を伝えようとする。
「今日は、お天気が悪いわね。ずっと雨かしら」
ママは今、窓の方を見ているんだね。
「冬の雨はいやね。でも、窓から外が見えた方がいいでしょ。外の明かりはきれいだものね。カーテンは開けておくわね」
ママの言葉は、心地よい。
優しく、歌みたいにユアンの心に染み込んでくる。
ユアンの病室はビルの上の方にある。
寝ているユアンの所からは、窓を通して空の一部しか見えない。
ママが外をのぞいて、いろいろなことをたくさん話しかけてくれる。
「すぐ向かいにも大きなビルがあるの。ガラス張りで、たくさんの人が働いているのが見えるわ。その隣りの大きなビルにはね、鳥が巣を作っているの。ノスリかしら。こんなに人が多い所で、落ち着くのかしら? いったいどこから餌を採ってくるのかしらね」
ママは言葉を継いで、ユアンにできるだけたくさんのことを伝えようとする。
「お仕事のビルがたくさん並んだその向こうには、人が住んでいるお家が並んでいる所も、アパートもあるわ。森みたいに木々がこんもりしている所も見えるから、鳥はそこらまで飛んで行くのかもしれないわね。
ずっと下の下のほうには車が小さく見える。おもちゃみたいよ。信号が変わると人が道を渡って行く。みんなみんなおもちゃみたい。いろいろな傘があってきれい。窓を閉めていると音が聞こえないから、なんだか変な感じね」
そして、ユアンの方を振り返る。
「今日は、夢を見た?」
うん、見たよ。このごろ、よく出てくる、黒い髪の女の子の夢だよ。
家にいた犬と同じ、ゴールデン・レトリバーと一緒にいるの。大きくて優しい犬だよね。
女の子もぼくみたいに寝てばかりいるんだよ。で、犬のことが大好きみたい。
女の子にはママがいるのかな。まさか、犬がママってことはないと思うけど?
ぼくの家の犬はなんという名前だったかな? ハリーだったかな。ルーイだったかな。
ぼくが生まれて気が付いた時には、もう大きな犬がいて、そのあとその犬の赤ちゃんも生まれた。どっちがどの名前だったかな。
ぼくも犬といるのが好きだったな。
パパも弟も犬が大好きだったよね。弟はぼくより小さかったけど、いつのまにか、ぼくのほうが小さくて弱くなってしまった。
ユアンは口が少し動くか動かないかくらいだ。音になるのがやっとで、何を言っているのかはわからないだろう。ただもごもごと言葉のような物が出るだけ。けれど、ママはユアンが話し終わるまで、じっとユアンの目を見つめて聞いていてくれる。
ママが話しかけてくれるうちは、全部のことに答えようと思う。
ごはんといっても、朝も、昼も、晩もある。今がどのごはんの時間だったのか、ユアンにはよくわからない。
あ、でも、カーテンを開けるというのだから、きっと朝かお昼だよね。そういうことはわかるんだよ。ママ。
ママの目には涙が光っている。
「ごめんね、ユアン。こんな思いをさせて。痛かったら、教えるのよ」
ユアンの病気は、ママの隠れたところにあった病気で、ユアンがそれを引き継いだ。ユアンの弟は病気にはならなかったと、いつかママが話してくれた。
でも、ママだって病気を持っていたかったわけじゃない。ママにはどうすることもできなかった。
だから悲しいんだよね?
ママは、ユアンがもっと小さかった頃、まだどんどん走っていたユアンのことを思い出している。なぜなのか、ユアンにはそのことがわかる。ユアンの夢のはしっこにママの思いが映るから。




