サマタオ (1)
サマタオは大きな、イチョウの木だった。
自分の姿がわかり、自分が何というものかがわかったのは、たった今だった。
これまでにもサマタオの中には、ときどき、何かが目覚めては消えていた。その目覚めが、このごろ頻繁になり、ざわざわとサマタオの中で動き出す何かが感じられた。
今まではとてつもなく大きな変化が起きた時や、周りの様子ががらりと変わって、あたりを満たしていた空気が大きく動くような時にふと目覚めることがあっただけだった。
その最初の目覚めの時。まだ周りに人はいなかった。
大きな嵐が続いていた時。あたりは暑くて煮えたぎったようだった。
それから何十年かが過ぎた。
空が曇り、何日も大雨が続いた時にも目覚めたかもしれない。
何かはわからない。わからないまままた数十年が過ぎた。
次に何かで目覚めた頃には、人がいた。
周囲は耕されて、サマタオから伸びて土の中に続く命が、その変化を感じた。
変化はサマタオの身体の中に刻まれる。
そして、また何十年という月日が流れた。
たくさんの流星があったことや、冷たい氷の雨が降り止まなかったこと、そういう変化もサマタオの身体のどこかに刻まれている。
その変化から変化の間は、また数十年という時間だった。
人がサマタオに触ることがあり、人という存在の記憶がサマタオの幹の中に刻まれた。
サマタオはいつも大きな木だったわけではない。
土の中に埋まった種子だったり、たよりない若芽だったり、年老いてぼろぼろになった老木だったり、風の中を伝わる命の素だったこともあった。それらの変化は、サマタオの幹の中を探せばどこかに刻まれている。
そうやって、ときどき目覚めるものはいったい何だったのだろう。
人の営みの中から当てはまるものを探してみると…、それはたぶん、夢というものに近いのではないかと思われる。刻まれていくということは、記憶に似ているものなのだろう。
それは何かの像を認識するのではなくて、感覚だけで成り立っているものだ。
それからまた何十年、何十年と過ぎて、人がサマタオを取り囲み、遊び、言葉を発すると、それはそのまま、また、サマタオの身体の中に刻まれていった。
それが何なのかはわからないのだけれど、小さい変化は刻まれるたびに形を成し、あるとき、文字に似たものに置き換えられるようになってきた。
ずっとずっと前、風に感じて最初の一文字を探り当てた。それは最初の一つの文字として、幹のどこかに記憶されていた。
ずっとそれを探っていたわけではない。ただ存在している、眠るような時のほうがずっとずっと長くて、何かの合間にふっとある文字が偶然に浮かんできたか、風に乗って流れてきて、なにかの拍子に…、たとえば雷などの力を借りて、木の幹に入ってきた。
それが一文字と認識されると、しっかりと自分の中に固定された。たぶん、それからままた何十年かは過ぎ、それから…また何十年かの間に一字、その間隔はだんだん短くなって何年かの間に一字、また一字と浮かんだ四文字があって、それは、漠然と木の中に存在していた。
そして、このところ、何かが絶え間なく問いかけてくる。
サマタオはどうやら、小さい女の子とつながっている。
女の子は土の中にいて、もう形はなくなりつつあり、ほぼ土に帰ろうとしている。
どうやってつながっているのか、どうなっているのかはわからないけれど、その子の手の感触は、以前感じたことがあったはず。立って、この幹に触ったはず。それと同じ子だということはわかる。
でも、同じような子というだけかもしれない。
小さい子がたくさんいて、サマタオに触った子もたくさんいただろうから、似たような子なのかもしれない。
このごろの、感覚の目覚めが早く、多くなった。その子の思考に似たものを助けに、今まで幹のあちこちに刻まれていた四文字を探りあて言葉に置き換え、それを古い順にならべてつなげると、「サ」「マ」「タ」「オ」となった。
それはたぶん自分のこと。
人だったら、これを名前と言うのだろう。
今の、大きな木の姿になったのは、女の子の、お父さん、そのまたお父さんとお母さん、そのまたお父さんとお母さんの住んでいた、その頃からだ。
サマタオが存在してから何回目の木の姿なのかはわからない。繰り返しそれが続いていただけだ。
サマタオは、どうやら、考えるという行為に似たことを始めているのだ。
女の子はどうやらサマタオの根の近くに眠っていたらしく、その隣りにはその子の犬も眠っていたらしい。サマタオはそちらの方にも根の先を伸ばし、犬の力も借りてみた。そうしたら、ある瞬間にその子の名前がわかった。
「ミドリ」
意味はわからないけれど、それが女の子を指し示す文字で、サマタオともなにか深いところでつながりがある。
目覚めるということ、わかるということは、新芽がうずく感覚に似ている。
人だったらたぶんこれを、「おもしろい」という言葉で表すだろう。
そうやって、ミドリの記憶を探っていて、たった今、自分の姿を像として捉えられるようになったのだ。




