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サマタオ  作者: 辰野ぱふ
20/22

モサック

 モサックは、もさもさの犬。

 ミドリのママがつけた名前。

 ミドリのママはモサックのママでもある。ミドリが「ママ」という時、モサックにもちゃんとだれのことを呼んでいるのかがわかっている。

 もちろん、モサックというのが自分の名前だということも、わかっている。


 大きいたくましい手がモサックの頭をなでる。

「いい子だ、モサック、おすわり!」

 モサックはおすわりする。

 大きな手が、モサックの両側から顔を包み込む。

 これはご主人。パパ。

 モサックはベロをだしてハアハア言いながら、じっとパパを見つめる。

「よくわかるね、モサック、良い子だ」

 パパのにおいは、煙、機械油、土、水、カビ、くもり、ゆげ、消毒薬、ほこり、それから…。

「はい」

 ママがモサックの前に食事を置く。

 モサックの好きな肉のかたまりが目の前に来ると、その匂いに負けて、ほかの匂いのことなんかもう考えられない。

「おあずけ」

 この意味もわかっている。今、すぐに食べてはいけないということ。

 でもどうしても、その肉が食べたくて、よだれが出てくる。

 ハフハフハフと、息が荒くなる。

 パパが「よし!」と言うのを待つ。

 パパには見えないかもしれないけれど、今モサックは、しっぽをめいっぱい振っている。

「よし!」

 その合図のあと、口の中に閉じこめた肉の香り。モサックの世界は肉でいっぱいになる。

 その時、小さい手が、モサックの首を探る。

 これはミドリの手。

 モサックの身体に緊張が走る。

「ダメだよ! ミドリ! モサックは食べている時に触られるのはきらい!」

「ダメ?」

「そう、ダメ! モサックはミドリのことがわかっているからいいけれど、ほかの犬にそんなことしたらダメなんだ。わかるかい? 犬は怒るんだよ。怒るとかみつくんだよ」

「ダメ?」

 ミドリの手は細くて、折れそうだ。

 だから、よけいに緊張する。

 肉は好きだし、肉のことだけ考えたいけれど、ミドリの手を傷つけないようにしなければいけない。

「モシャック…。ダメ?」

「そう! ダメだよ」

「モシャック」

 と、ミドリはモサックに寄りかかっていく。

「ああ、ダメだって言ってるのに! ミドリ!」

 食べ続けてもいいのかな。

 モサックは心配そうに、下の方からごパパをうかがう。

「ほら、ごはんが終わったら、モサックと遊ぼう、ね、ミドリ」

 パパは優しくミドリを抱き上げる。

 ミドリの身体がモサックの所から離れると、モサックの緊張が解ける。

「ふふふ…。まだ小さいから、わからないのよ。ちゃんとわかるようになったら教えましょう」

 ママもそばで笑っている。

「ダメ! ダメ!」

 ミドリが繰り返す。

 パパもママも、もうミドリの方を向いている。

 食べてもいいんだよね。

 モサックは、恐る恐る肉に口をつける。

 だれも怒らない。

 あとはモサックと肉の時間。幸せの時間だ。

 ああ、いい匂いだ。

 ほんとうにいい匂いだ。

 ミドリのことは好きだけど、今はただ肉を食べてお腹をいっぱいにしたい。

 肉だけの世界で肉だけのことを考えたい。

 肉にかなうものはない。

 モサックが食べ物の次に好きなのは、お散歩。

 ヒモをつけられるけれど、外の空気の中でいろいろな臭いがわかる。

 コーヒー、ゴミ、水、人の汗、アスファルト、ほかの犬、ネコ、トリ、あらゆる世界の臭い。

 川沿いの広場にだれもいなければ、パパがヒモを外してくれる。

 そうすると、モサックは走る。

 ミドリがピンクのビニールボールをポンと放る。

「モシャック、ボーユ」

 モサックはすぐにミドリの声をとらえて、ボールを追いかける。

 ボールは生きてはいない。それはわかっているけれど、ミドリの手から放れたボールはモサックの心をくすぐる。

 ゆっくり動いていても、モサックは鼻で押してやって「ほら、もっとあっちまで逃げろよ!」と言いたくなる。

「モシャック、ボーユ」

 ミドリの声が聞こえるから、モサックはミドリにボールを持って行く。

 ミドリにボールを渡す時は静かに、優しく。

 モサックの身体はミドリより大きいから、驚かさないように、下から静かに渡して、飛びついてはダメ。

 パパがボールを投げるときは、ちゃんと見ていないと、投げていないこともある。

 モサックのすばらしい鼻で、くんくんやっても、どこにもボールの匂いはしない。

 走り出したモサックが、おかしいな? と思っていると、パパが笑う。

「モサック! まだまだ。ここだよ!」

 パパはボールをかかげて見せる。

 パパには飛びついても大丈夫。パパのちょうど胸の所まで頭が届くし、もう少しでボールにも口が届く。

 でも、パパはそのままボールをくれることはない、びゅんと力強く、ミドリが投げた所より何倍も遠くにボールを投げる。

 楽しい。

 モサックは、力の限りにボールを目指す。

「ほら、見てごらんミドリ、モサックが走るよ」

 ママが言うと、ミドリはキャッキャッと笑って、喜ぶ。

「モシャック、はしる?」

「そうよ。モサック、早いよ~!」

「モシャック、がんばれ」

 ミドリの腕は細い。その先についている手は小さい。ミドリはその手をめいっぱい振り回して、たたく。小さい音でも、モサックにはミドリの手だとすぐにわかる。

 今は夢の中でだけ、みんなと会える。

 肉の夢だけ見たいけど、肉はだれかにもらわないと食べられない。ママからもらわないと食べられない。だから、一緒の思い出になって、肉と一緒にママの思い出も浮かんでくる。

 ママのことが浮かんだら、ミドリのことも浮かんでくる。ミドリはいつもママと一緒にモサックと遊ぶから。そしてもちろんパパも。すべての夢はつながっているのだ。

 モサックはずいぶんと年をとって、もう走ることもない。

 歯もふがふがになってきて、肉のかたまりがあっても、ほぐしてもらわないと食べられないし、時間がかかる。

 あんなに好きだったお散歩も、ここのところずいぶんしていない。

 今はママの横にいて、静かにママの手を感じている。

 モサックの思いは漂っている。

 空気のひとつぶひとぶつに思いが伝わっていく。

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