ヨウコ (2)
モサックは穏やかな犬で、やきもちをやくこともなく、いつもヨウコやアキトと一緒にミドリのことを静かに見つめていた。静かに静かにそばにいた。
モサックはとてもミドリを大事にした。モサックの身体全体でミドリの存在を探り、驚かさないように腹這いになって、じっと見つめていた。
ミドリはモサックの所にたどり着くと疲れ果てて、モサックの横でぐっすり眠ってしまっていた。
モサックはいつもミドリをかばい、自分も保護者であるかのように、ミドリを守ろうと心がけているようだった。
ミドリはそんなモサックが大好きになった。
ぼんやりと思いの中に漂うと、身体が宇宙に広がっていくような感じがする。
眠っているように、優しく身体全体が休まる。でも眠っているのとはどこかが違う。頭のどこかは起きているのだ。
”グリーンスペース”を使うことで、悲しみに沈みすぎずにすむ。どんなことをしても、完全に悲しみを追いやることはできないけれど、静かに向き合うことができる。
戦が激しくなってきた頃、まだ都心のマンションで暮らしていた頃、アキトを都心に残し、ミドリとモサックを連れてアキトの父親の暮らした家にやって来た。
そのころは、まだこのあたりには野菜の採れる畑があり、食料は十分にあった。
ここで戦をやり過ごせば、またもとの平和な日々を取り戻せると信じていた。
なのに、どうして、こんなことになってしまったのだろう。
ミドリは病気ばかりしてとても弱い子だったけれど、まだまだ元気で遊ぶことができたはずなのに。
「ママ」
「パパ」
「モシャック」
ヨウコの耳元でミドリの声がする。
「いいこ。モシャック。いいこ」
モサックの方が大人で、ずっと落ち着いていろいろなことがわかっていたのに、ミドリは偉そうにモサックに何か言っていたっけ。
モサックはじっと上目づかいにミドリの目を見つめて、大きな吠え声は上げずに、くしゃみみたいに、「ハフ」と空気をもらして喜びを表現していた。
ミドリの言葉を聞きもらさず、それに応えるように返事をした。
あの時のミドリの様子を思い出すと、微笑まずにはいられない。
食べているモサックに手を出してはいけない、とアキトは教えた。
「ダメ?」
「だめだよ。モサックは、食べている時に触られるのはきらい!」
「ダメ?」
アキトが何度教えても、ミドリはよくわかっていなかった。モサックが怒ったところなど見たことがなかったから、安心してモサックにさわってしまう。
モサックはじっとじっと、それを受け止めている。ミドリを驚かさないように。自分の大好きなお肉をおあずけにして、じっと身をひそめている。
「ねえ、モサック。ミドリはおかしかったねえ。なんだかね、やることがマンガみたいだったよね」
夢の中で、本当につぶやいているのか、それともただ思っているのか、ヨウコはモサックに話しかけた。
ふっと目が覚めた時に、ヨウコの手の先にモサックのもさもさの身体があると、とても安心する。モサックにもそれがわかっているのだと思う。
ミドリのいるイチョウの木をそばに感じる。ミドリはきっと安らかに眠っている。ずっとそのまま眠り続けている。
今、ミドリがそばにいないと思うと、つらい。アキトが戦渦の中で暮らしていることを思うと、つらい。今、現実のことさえ考えなければ、ずっと優しい思い出の中に浸れる。
だれかが、ヨウコを揺り起こすまで、ヨウコはこうやっていようと思う。
「ね? モサック」
モサックはヨウコの横でまどろんでいたけれど、ヨウコが何か言うと、すぐに首を上げて、ヨウコを見つめた。
「クウ」
返事ともつかない声を出すと、ヨウコがくすっと笑う。
「今日はミドリのお誕生日だから、モサックにもケーキのかけらをあげるよ。ちょっとだけね」
「クウ」
優しい穏やかな時間が流れる。
その中に漂っていれば、なにもつらいことはない。




