ハク (3)
食事が終わろうという時、街中の明かりが、暗くなり、ビルに点いた常夜灯だけが残された。
「消灯の時間なのね」
妻は立ち上がって、カーテンを閉めた。
戦いの最中だから、エネルギーの無駄遣いを避けるため、一定の時間に街全体の主な電気は消されてしまう。あとはビルの存在を知らせる赤いランプだけが点灯している。それ以外は光をもらしてはいけないことになっている。
「暗いと、なんだか気分も暗くなるのよ」
妻は、そう言いながら、食卓を片づけ始めた。
「ごちそうさま。おいしかったよ」
ハクはそう言って、またアトリエに戻った。
室内灯の明かりを落として、小さい卓上の電気を点した。
キャンバスの前のソファに座り、ゆっくりと自分の絵をながめたかった。ながめていると、また描きたいという気持ちに襲われる。
そうやって焦がれて描くという喜びは、なにものにも代え難かった。
自分の絵を見て思うのもなんだが、この絵を見ると、不思議に気持ちが落ち着く。ゆったりとした、静かな時間の流れを感じる。中央で眠っている少女の息づかいを感じる。
少女が着ている洋服にはまだ、ちゃんとした着色をしていなかったけれど、白が基準になっていて、さまざまな色の小さい花のような柄が点々としている、ふんわりした生地のワンピースだということは、はっきりわかっていた。
そしてその瞬間、ハクは気づいた。
この少女は、今、この国が戦っている敵国の少女なのだと。
肌の色、髪の色はこの国の人々とほとんど同じだ。
少女は絵の中では目を閉じているし、ハクのイメージの中でも、ときどきふっと目を開けるくらいで、ほとんど動かない。しゃべる言葉もわからない。
でも、この少女は間違いなく敵国の女の子なのだ。
ハクは、急に寒くなった。
今は、冬季であり、外はそれは寒いだろう。でもハクの部屋には暖房設備が整い、床も暖房されている。なのに、冷たい風の中に置き去りにされたような寒さに襲われた。
なぜ、今、そんなイメージがハクを突き上げているのだろう。
敵国にも知人はいる。仕事では敵国からもたびたび相談を受けたし、敵国がこの国の住宅施設の建築を扱っていた時期もあり、そんな時は助けもし、助けられもした。
この戦いが始まるまでは。
今までは気にもしなかったけれど、戦地となっている敵国で、そういう知人たちはいったい今、どうしているのだろう。
寒い。
ハクはソファの下にうずくまって自分の身体を抱え込んだ。
自分の子どもや自分の一族の子どもたちと同様、この絵の娘も未来を持った子どものはずだ。
ハクの目から涙があふれ出てきていた。
この絵の少女が無事にこの戦いを生き延びて、幸せになってくれるようにと祈らずにはいられなかった。
それは、自分の子ども、そして一族の子どもたち、この国の子どもたちに向ける気持ちと同じだった。これからこの戦いが激しく長く続くようになれば、今ハクの住んでいるこの場所も戦地になるかもしれない。この国は今孤立しようとしている。
どの子どもにも、例外なく幸せになって欲しいし、穏やかな、戦いのない未来を約束してやりたい。
今ごろになってそんな気持ちに襲われるなんて。やっぱり、年をとったということなのだろうか。
ハクは自分の身体を抱えたまま、床にごろりと横たわり、まだ泣き続けていた。
世界は美しい。自然が織りなす風景はもちろんのこと、ハクが作ってきた人工の世界も。
今まで築いてきたこの世界を壊すようなことはしたくない。
ハクは静かに目を閉じた。




