MISSION 12 ここにいる
目が覚める。時計の代わりに携帯電話の画面を開き、時間を確認する。
午前十一時。
今から仕事場に行けば正午には確実に間に合うが、俺はもう一度布団をかぶりなおした。
無断欠勤ではなく、正式な休み。昨日の帰り際、さゆりさんが言っていた。だから、安心して寝ていられる。
布団にもぐりながら、昨日買った携帯を開き適当に操作してみる。アドレス帳に入っているのは、さゆりさんとアキラとミアだけだ。たったの三人。実家の番号でも登録しようとも思ったが、特に電話するような用事もない事に気づき、やめた。
携帯電話を閉じ、目を瞑る。
瞼の裏には画面の光が焼き付いていた。
部屋の扉を強く叩く音が聞こえる。
「紅一! いるなら返事をしろ!」
それから、俺を呼ぶうるさい声も。その声の主がアキラだということはわかっている。
「何だよ……」
扉を開けるなり、アキラが俺の胸倉を掴む。
「何だよ、じゃないだろこの馬鹿! お前こそこんな時に何やってるんだよ!」
「落ち着け! 何がどうなってるんだよ!」
息を荒げ、肩を上下させ、アキラが俺を怒鳴る。
「テレビ……テレビ見ていないのか?」
彼女は俺の部屋を見回しテレビを探した。
「見てないよ」
「上がるぞ」
靴を脱ぎ、部屋の隅に置かれた14インチの小さな液晶テレビに歩み寄る。リモコンで何度も電源ボタンを押すが、つかない。リモコンを布団の上に投げ捨て、テレビの主電源ボタンを押す。
それでようやく、テレビの電源が付いた。
「おい……」
あまりに遠慮のない彼女の態度に呆れ、リモコンを拾い上げる。
画面には、ニュースが流れている。
変身したネイチャーレンジャー達が、カサブランカを、さゆりさんを追い詰めている。周りの戦闘員はその場に伏し、頼りの怪人はレッドにサンドバックにされている。
映されているのは、一方的な暴力だ。
『さぁ今、ネイチャーレンジャーがついに悪の女幹部を追い詰めようとしています!』
興奮したニュースキャスターの声がする。
その嬉しそうな声に、怒りが湧いてくる。
「行けよ」
「俺にはもう、関係ない」
アキラの言葉で、不意に現実に引き戻される。そうだ、俺には関係ない。悪の組織の手伝いはやらないと誓ったはずだ。
「本気でそう思ってるのか?」
冷たい目でアキラが俺を見据える。
俺はどうすればいい?
何がしたい?
今までの自分の生き方を否定するのか?
「行けよ。自分の為にさ」
わからない。今はまだ、何一つ。
だけど今この胸にある怒りだけは確かだった。
「忘れ物だ!」
部屋を出ようとする俺に、彼女が鞄を投げつける。
その中身は見なくても解っている。
何も移さない真っ黒な目をした、戦闘員のマスクだ。
――走って行く。
人の流れに逆らい、真っ直ぐと。
道行く人が、悲鳴を上げながら逃げていく。
今の俺には、関係ない。
彼らを守るのは、俺の仕事じゃない。
――誰かの為じゃない。
ただ俺がやりたいだけだ。
結果として誰かを救えたって、それは人の為じゃない。
自己犠牲が正義だと教わって来た。
自分の身を呈して誰かを守れたら、それは幸せだと皆は言う。
冗談じゃない。
俺は人の為になんか動かない。
そんな事、今さらできやしない。
俺は、走る。
自分の為に。
俺の居場所を、生きる意味を。
ただ無くしたくないだけだ。
「ここまでだな、カサブランカ」
レッドがさゆりさんに武器を突きつけ、何やら喋っている。
「そのようね」
「これまでの罪を、しっかりと償って貰おうか」
「レッド、待て」
俺の存在に真っ先に気が付いたのは、光だった。レッドの動きが止まるのを確認すると、俺は大きく息を吸い込み、呼吸を整える。そして、膝に手をつき、地面を見つめる。
「ブラック……」
声が聞こえる。光の声だ。
だけどその声は、俺を呼んでる訳じゃない。
俺はそんな色じゃない。勝手に決めるな。
「あらブラック、久しぶりじゃない。ところで、首になった負け犬が一体何しに来たのかしら?」
瓦礫にもたれ掛かったさゆりさんが俺を呼ぶ。
全く、この人はどうして詰めが甘いのだろうか。変な服を着たって、おかしな化粧をしても、ドジなのところは相変わらずだ。
今にも泣きだしそうなくらい、声を震わせているのに。
それなのに、こんな台詞を口にするのか。
――すまない。
心の中で、彼女に謝る。
来るのが遅くなったから、こんな事をさせてしまったから。
「ブラック」
「違う」
レッドの呼びかけを、俺は否定する。
青い空、白い雲。
どこまでも続くあの道。
ゆっくりと流れていく時間。
まだ一日があんなにも長かった頃、俺には夢があった。
声に出せば笑われそうで、誰かに言ったことはない。
胸の奥にある、宝石のように。
目の前に広がる、青空のように。
それは何よりも大切で、一日たりとも忘れた事はなかった。
「俺は、ブラックじゃない」
顔を上げて、空を見上げる。
ビルと雲に覆われて、随分と小さくなっている。
だけど、確かにそこにある。
追い駆けた大空は、どこにいてもそこにあった。
見上げれば、いつだってそこにあった。
あの日見た夢を、覚えている、
今だってそうだ。
亡くしたことなんてない。
忘れるわけはない。
「俺は俺だ」
体を起こし、今ここにある景色と向きあう。
俺の夢が、目の前に立っている。
真っ赤なスーツに身を包み、仲間と共に闘う一人の男がそこにいる。
それが、どうした?
お前の夢はそれか?
違う。
絶対に、違う。
目の前にいる男は、俺の夢なんかじゃない。
霞んで、汚れて、いつの間にか解らなくなっていたけど。
夢はまだ、ここにある。
――忘れるなんて、できない。
「俺は、ここにいる」
マスクを取り出し、顔に近づける。
後悔はない。
俺が選んだ道だから。
「ここに、いるんだ」
この道はずっと、描いた夢へと続いているから。
「……変身ッ!」
真っ黒なスーツが俺の身を包む。左手を強く握りしめる。
目の前の三人組が、只のやられ役にしか見えなかった。