MISSION 10 大人
一日中家にいる気にもなれなかったので、俺はまた仕事場へやって来ていた。
「おぉコウイチか。今日も来たのか」
部屋を見回してみると、さゆりさんはいなかった。ソファーに座って漫画を読むミアがいるだけだった。
「一応、仕事のつもりだからな。さゆりさんはどうしたんだ?」
「どこかのレストランで男の人と会ってるんじゃないか?」
そっけなく、ミアがそう言う。
「へぇ……」
俺もそっけなく、そう答える。
そんなことに興味はない。そのはずだ。
「気になるか?」
「何が?」
そう答えていても、頭の中を駆け巡ったのはさゆりさんと会っているという男の姿だった。
どんな職業で、どんな顔をして、どんな話をしているのか。とりとめのない妄想だけがどこからか湧き出てくる。
「さゆりちゃんが男と会ってて」
「別に、俺には関係のないことだろ」
思っている事と喋る事を変える事は、こんなにも簡単なのかと俺は思った。
「なんだつまんない。折角人が暇つぶししようと思ったのに」
「ところで……その男の人って恋人なのか?」
好奇心が抑えられずに、口からそんな言葉が漏れてしまう。
どうでもいいだろう、と自分に言い聞かせても遅かった。
「ううん? 出版社の編集さん」
漫画のページをめくりながら、ミアが興味なさそうに言う。
「……なんだよ」
ため息と一緒に、疲れが体の外へ逃げていく。
「今、あからさまに嬉しそうな顔をした」
そう指摘され、口元に手を押さえて確認する。言われた通り、確かに頬が緩んでいた。
「気のせいだよ」
手で口元を押さえたまま答える。それでも自分の耳が赤くなっていくのが感じられた。髪が伸びていて耳元が隠れているのがせめてもの救いだろうか。
「おいおい素直になれよな。さゆりちゃんの事好きなんだろう?」
ソファーから身を乗り出し、にやけながらミアが言う。
「うるさいな。それで、さゆりさんは何時ぐらいに帰ってくるんだ?」
「三時ぐらいじゃないか? 会えなくてさみしいのか?」
「いや、昼飯どうしようかと思って」
そんな話をしているうちに、口元の緩みも耳の熱も取れていた。
「あー……」
放心したように、ミアが口をだらしなく開き天井を見上げる。
目の焦点はどこにも合っていない。
「何も聞いてないのか?」
「うん、何も」
大きな溜め息をつきながら、財布の中身を思い出してみる。
ブルーが渡してくれた金のおかげでまだ一万円札が残っている。
「……食べたいものとかあるか?」
「スパゲティ!」
漫画を持ちながら、両手いっぱいに広げてミアが叫ぶ。
「あまり食べ過ぎないのなら、連れて行ってやってもいいぞ」
「本当!?」
俺がそう言うと、ミアが目を輝かせて聞いてくる。
「今から行けば、昼のピークには巻き込まれないだろう。ほら、さっさと準備しろ」
ミアは部屋中を忙しく走り回り、必要な物を次々と集めていった。
レストランを訪れた俺達は、すぐに座席へと案内された。店内の人が俺達を見ている気がしたが、俺は気にしない事にした。
「空いてるねー。すいません、このチーズリゾット下さい」
「お前、スパゲティじゃないのかよ!」
「……どうしましたお客様?」
大声を張り上げたせいで、また周囲の視線を集めてしまう。
今度はどう考えても自分のせいだったが、俺はまた気にしない事にした。
「何でもないです」
一応、店員だけには小声で謝罪の言葉を述べた。
「ご注文は何に致しますか?」
引き攣った笑顔で、店員がマニュアル通りの対応を貫く。
多分アルバイトだろうが、見上げたプロ根性だ。
「和風パスタの……大盛りって出来ますか?」
「出来ますよ」
「じゃぁそれで」
「あと、食後にフルーツパフェ下さい!」
俺がオーダーを済ませると、間髪入れずにミアが注文を追加する。
「かしこまりました。ご注文を繰り返します、チーズリゾットと」
「あぁすいません」
「はい?」
頭を下げ厨房に戻ろうとする店員を呼び戻す。
「食後のフルーツパフェ、もう一つお願いします」
「かしこまりました」
笑顔を浮かべて、店員が今度こそ厨房へ姿を消す。
「そういえば、コウイチにミアがどうして地球に来たか言ったっけ?」
水を飲みながら、ミアが突然そんな事を言い出した。
「いいや、聞いてないな」
「そうだったな。知りたいか?」
「どうでもいい」
腕を組み、ミアが目線を上にして俺に聞いてくるが、その話は心の底からどうでもいいと感じいていた。
というのも、こいつの話は大体支離滅裂で理解できないからだ。
聞くだけ耳と脳味噌が倦怠感に包まれることは明白だ。
「ほんとは知りたいんだろ?」
まだミアは諦めない。相変わらず腕を組み背筋を伸ばし大人ぶる。
「興味はないな」
「素直になれよ。ほら、今ならミアのスリーサイズも教えてやるぞ?」
「本当はお前が言いたいんだろ?」
水を飲みながらそう指摘すると、ミアは行儀よく座り直し悲しそうな顔を浮かべた。
「……ハイ、上から」
「地球に来た話だろ!?」
白昼堂々自分の体形の話をしようとしたミアを、大声で諌める。
「そうだったそうだった……実はな、ピルクルピス星は1200ピル才になると大人になるための試練を与えられるんだ」
「1200ピル……なんだって?」
耳慣れない言葉が彼女の口から出てくるのはいつもの事だが、それが知っている単位と組み合わさっていたので立ちが悪い。どうでもいい筈なのに、聞き返さずにはいられなかった。
「何だお前、宇宙一有名な単位を知らないのか!?」
「この地球上で知ってるのはお前だけだよ。もうどうでもいいから次の話に進んでくれ」
聞いた俺が馬鹿だった。空になったコップに水を足しながら、俺はミアの話を促す。
「仕方ない……どこまで話したっけ? ミアのプリティー子供編までだっけ?」
「大人の試練とかその辺りだ」
彼女の話を真面目に聞いている自分に嫌気が差す。
どうせ、後になればまとめて疲労が襲ってくるというのに。
「あぁ、そうだった……大人になるための試練の話だった。うん、それでな。人によって色んな試練が与えられるんだが、ミアの場合はちょっと普通の人とは違ったんだ」
「へぇ……」
もう止めよう。こいつの話を聞いてもロクな事にはならない。
「何とそれが、一人で地球に行ってこい! っていう試練だったんだ! おいコウイチ、話を聞け」
「このチキンステーキって美味そうだな……」
メニューを開き、他に何かないか探してみる。こんがりと焼き目がつけられた鶏肉に、たっぷりのオニオンソースがかけられた写真が俺の胃袋を直接刺激する。
「おい、おーい」
「失敗した……バナナパフェの方が100円安いじゃないか……」
デザートの欄を見て、俺は愕然とした。薄切りのバナナが器の端に散りばめられ、真っ黒なチョコソースで彩られたそれはフルーツポンチにアイスと生クリームを乗せただけのパフェよりも断然うまそうに見えた。
子供なら普通バナナパフェを選ぶだろ。何なんだこいつ。
「この人ロリコンです、って叫ぶぞ」
「ミア、水いるか? いやー、お前の話はいつも面白いよ」
いつの間にか氷だけが残っていたミアのグラスに水を注いで行く。
その四文字は、今この場所ではどんな爆弾よりも危険だった。
「わかってるじゃないか……それでミアは宇宙船に乗ってここまで来たんだけど……最初何をしていいか全然分からなくてな、色んな虫とかを怪人にして遊んでたんだ」
「ほうほう、それで?」
大げさに首を縦に振り、彼女の話に同調する。
どうでもいい。その言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡る。
「まぁ、そんな事をしてたら当然街がパニックになってな。その時に怪人達を倒した連中って言うのが初代のネイチャーレンジャーだな」
「……待て」
聞き慣れた言葉が耳につく。その言葉の前に意外な単語が合わさる。
初代、ネイチャーレンジャー。
俺の目標でもあり、憧れでもある。
「何だ?」
「初代ってことは俺がまだ3才ぐらいだから……二十年も前になるぞ」
「そうだな。それでその時」
「お前、年幾つ何だ?」
俺にかまわず話を進めるミアに、思いついた疑問をぶつける。
「だからさっきも言ったろう。当時で1200ピルクル才だ。今はどんぐらいだっけ?」
「地球の時間に直すとどれぐらいだ?」
「えーっと、1.7掛けて……10の5乗で割って……43で偏微分して……」
訳のわからない数式が彼女の口から洩れて来る。とても計算過程があっているとは思わなかったし、何より俺自身言葉の意味が解らなかった。
「わかった、もういい。それについては二度と聞かない」
「懸命だな!」
ミアが胸を張り、断言する。
その言葉には、どこか重みがあった。
「少なくとも、俺とさゆりさんよりも年上だって事は解ったからな」
「この人ロ」
「それからどうなったんだ?」
プラスチック爆弾よりも危険な発言を、彼女の口を押さえて阻止する。
「まぁ当然、ミアはネイチャーレンジャーに追われることになってな。その時に助けてもらったのがさゆりちゃん一家だ。ほら、初代の頃は悪の幹部が二人いたのを覚えてるだろう?」
「……あの二人が、さゆりさんの両親だったのか」
怪しいスーツに身を包んだ、お笑い芸人みたいな二人組を思い出す。もしかするとあの二人も、さゆりさんのように家では大人しかったのだろうか。
「今は世界中を旅行して周ってるんだけどな。まったく仲の良い夫婦だったな」
「そんな事があったのか……」
俺の知らない、世界の過去。自分がどれだけ無知だったかを痛感する。
「なぁコウイチ、一つ聞きたいんだけどさ」
「どうした?」
不思議そうな顔をして、ミアが首を傾げる。
「どうやったら大人になれるのかな? というか、皆が言う大人って何なのかな?」
「そうだなぁ……」
今まで出会ってきた、多くの人たち。その多くは間違いなく大人だった筈だ。
レッドも、ブルーも、タクシー会社の社長さえも。間違いなく大人だった。
「責任感が強かったり、人を頼らなかったり……自分の保身に精一杯だったり、色んな奴を見てきたよ。ミアは、どんな大人になりたい?」
「ボンキュッ、ボーン!」
手で胸を盛りながら、ミアが大声を出しながら言う。
「そう言う事じゃなくて……もっと精神的なこと」
周囲の目がまた俺達に集まる。今度こそ俺は頭を抱えた。
「うーん……考えたこと無かったな」
「お前、1200何とか生きといて考えたこと無かったのかよ」
「うるさいな、これから考えるよ。そういえばコウイチはどうなんだ? どんな大人になったんだ?」
「俺は……」
チラチラと俺達を横目で見ながら、店員が料理を運んでくれた。
「これから考えるさ」
フォークで麺を巻き取りながら、俺は鼻で笑いながら答えた。
デザートまで食べきった俺達は、機嫌を良くして仕事場まで戻った。
「ただいまーっ!」
ミアが元気よくマンションのドアを開ける。
気難しい表情を浮かべて正座するさゆりさんが、そこにいた。
「お帰りなさい、二人とも」
「どうしたさゆりちゃん、機嫌悪いぞ」
「とりあえずそこに正座して」
有無を言わさず、ミアを玄関に正座させる。
「またお前馬鹿なこと」
「紅一さんもです」
「ハイ」
短く返事をすると、俺もその場に正座した。冷たいコンクリートの感触がジャージ越しでも脛に伝わってくる。
「いいですか二人とも。確かに、お昼御飯について何も言わなかったのは悪いと思います。ですけど!」
彼女はそこで大きく息を吸い、口を大きく開いて言う。
「鍵、空いたままでした」
忘れていた。
鍵という存在そのものを。
「あー……」
何も無い床を見つめながら、ミアの口から間の抜けた言葉が出た。
「幸い泥棒は入ってこなかったようですけど……次からは気をつけて下さいね」
「ハイ」
「はーい」
説教をくらった俺達は、気のない声を上げた。
「本当に反省してますか?」
「うん!」
「ハイ」
ミアは声を張り上げ答えたが、俺は相変わらずの言葉を返した。
「もう、紅一さんさっきからハイばっかり」
「ハイ」
そう答えると、さゆりさんがくすくすと笑い始めた。
つられて、俺の口からも笑い声が漏れてしまう。
「二人だけ楽しそうでずるいぞーっ!」
笑い合う俺達の間に、ミアがいきなり飛び込んでくる。
「うわっ!」
「きゃっ!?」
「わははははー!」
驚く俺達をよそに、ミアは一際大きな声で笑い始める。
顔を見合わせた俺とさゆりさんは、同時に吹き出してしまった。
狭い玄関の中に、三人の笑い声が響く。
何が可笑しい訳じゃない。
何が素晴らしい訳じゃない。
ただ今この場所が、世界中のどこよりも楽しかった。




