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引きこもり主婦のポンコツな日々  作者: 小日向冬子
9/21

春よ来い

 息子は、短距離走者である。


 と言っても、陸上の話ではない。


 彼はこの18年間、ぎりぎり追い詰められてからの猛ダッシュだけで数々の難局を見事に切り抜けてきた。そのたびに、

「俺の人生、イージーモードだぜ!」

 とうそぶきながら。


 そのお気楽さはある意味、生真面目すぎる母の救いでもあった。


 が、そんな彼にもとうとう、瞬発力だけではどうにもならない己の限界を見せつけられるときが来た。

 大学受験に失敗したのだ。


 客観的に見たら、至極当然の結果である。

 通常の高校の授業を受けていないうえに、自ら望んで通い始めた予備校もサボリと遅刻のオンパレード。おまけに家では一切勉強せずに、相変わらずの漫画、アニメ、ネット三昧。

 1週間前にようやく過去問を解きはじめたが、間に合うわけがない。


 別にいいんだけどね。

「1年間思い通りにやってごらん」と言ったし。

 だめだったら専門学校というのも、お互い納得済みだったし。



 が、不合格の結果が出た2日後、彼はいまだかつて見せたことのない真剣な面持ちで、「浪人したい」と言ってきた。



 以前も少し書いたが、彼は中高一貫校に3年間だけ通っていて、そのとき出会った仲間たちとはいまだに交流が続いている。この1年間はお互い受験生で会うことも叶わなかったが、連絡は取り合っているようだった。


 その友人たちは、全員が無事志望校に合格し、それぞれが目指す将来へ一歩を踏み出したという。


 一方息子は、在学中から勉強が嫌いと公言してはばからず、ぎりぎりまで手を抜き続けた挙句に面倒くさいと学校自体を辞めてしまった。

 何がしたかったわけじゃない。

 ただ、地味にしんどい思いをし続ける意味を見つけられなかったのだ。


 それから3年。「俺に足りないのは努力する才能だ」と言いながら、行き当たりばったりで目先のことはうまく切り抜けてきた息子。

 大学さえもその調子で行けるはずだと思い込んで。



 が、ここにきてようやく厳しい現実を目の前に突きつけられ、普段の俺様キャラからは考えられないことばがその口からポロリとこぼれ落ちた。


「俺、6年間何してたんだろ」




 いつの間にか失ってしまったものの大きさに初めて気付いてがっくりと肩を落とす彼。夫も含めた話し合いの場でも、いつものふざけた物言いはすっかり鳴りを潜めていた。


 どうして大学に行きたいんだという夫の問いかけに、彼は神妙な顔つきでこう答えた。


「正直な話、今の時点でどうしても大学でやりたいことがあるわけじゃないんだ。


 ただ、この1年間本気で頑張って、失ったものを取り戻したい。


 俺はあいつらと一生友達でいたい思ってるけど……このままだったら、きっと疎遠になってしまうから。


 あいつらと、対等に付き合える人間でいたい」



 ほう。

 そうきたか。




 ずっと感じていた。

 彼が何に対しても本気にならなかったのは、失敗してダメージを受けないように予防線を張っていたんじゃないか。俺様キャラは、その裏返しなのではないか、と。


 主人曰く、

「あいつは俺と同じで、本当はすごい小心者だよ」


 だとしたら、彼は今ようやく、そんな自分の殻を破ろうとしているのではないか?

 大切な友人たちを、失わないために。


 わかったよ。

 それなら今度こそ、思いきりやってごらん。







 その翌日、部屋中に積み上げられた漫画本をせっせと段ボールにしまいこんで浪人生活の準備をする彼のもとに、仲間たちが次々と尋ねてきた。


 重そうなリュックを背負ってやってきた友達は、部屋でひとしきりなにやら熱く語ると、「じゃあ、がんばれよ!」と息子を励まし帰っていく。

 と、入れ替わるようにリュックを背負った別の子がやってきて、また前のめりで話しこむ。

 彼が帰ると、また次の友達が……。


 どこかで思っていた。

 脱落者の息子は、所詮お情けでつきあってもらってるに違いない、と。

 でも、そうでないことは見ていてよくわかった。


 学校を離れて3年間、当たり前のように息子の手を離さずにいてくれた彼ら。


 知らず熱いものが込み上げてきた。




 夜になり、彼らが去った後に残されたのは、受験勉強を進めるにあたっての具体的なアドバイスと使いこまれた参考書の山。


「これで参考書は買わなくてすんだな」

 とにんまりする息子。


「あんた、本当にいい友達持ったね……」


 昼間の光景を思い浮かべながらしんみり呟くわたしに、息子はすかさず切り返す。


「母さんとは違うからね♪」



 そうだよ。人づきあいが苦手な母だから、君のことも密かに心配してたんだ。

 でも、それはどうやら杞憂だったみたいだ。



 不思議だね。

 いつだって君は、わたしが苦しく失い続けたものをいつの間にか軽やかに手にしている。そのことでこの未熟な母は、どれほど救われてきたことだろう。



 1年後、どんな結果が待っているかはわからない。

 でも君はすでにその胸に、きれいな花を咲かせているのかもしれないね。

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