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引きこもり主婦のポンコツな日々  作者: 小日向冬子
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告白

「酔ったからいうけどさ……俺、あんまり長生きできないと思う」


 夕飯後、赤い顔でだらりとリクライニングチェアにもたれていた夫が突然そんなことを言い出した。


 最近、仕事がきつそうだとは思っていた。

 ときおりこぼす愚痴から伝わってくるのは、自分勝手で無責任な社内の空気。

 面倒でリスキーな仕事を押し付け合い、一部の人間に負担が集中していくという流れができあがっているらしい。

 逃げることが嫌いな夫は当然、その『面倒でリスキーな仕事』を人一倍抱え込む。


 そもそも彼の感覚はかなり敏感だ。

 常にアンテナを張り巡らせて周囲の状況を把握する習性が身についているらしく、どこにいてもちょっとした違和感からその場に潜むリスクを感じ取り、わずかな表情の変化や些細なしぐさから相手の精神状態を推し量ってしまう。

 そう、気づかなければそのまま済んでいくことが、彼には見えてしまうのだ。

 だから口癖のように「どうでもいい」「くだらない」と呟いて、いちいち考えないよう自分をコントロールしているという。


 何年か前、主人公が幼い頃に両親を目の前で殺されるというドラマがあった。

 過酷な体験のせいで脳が異常に活性化され、常人では気づかないほんのかすかな違和感も感じ取れるようになった主人公は、その能力を生かして優秀なSPになる。

 だが負荷がかかり続ける彼の脳は少しずつ蝕まれていく、という内容だった。


 夫の精神構造は、まさにこういうことではないか?

 そう思い当たると、さまざまなことが腑に落ちた。


 幼い頃、日々の食事にも事欠くほど貧しい暮らしをしていた夫。

 金にだらしない父親をヒステリックに罵りながら家計を支えるため働き続けた母親は、彼が長く入院したときも、ほとんど見舞いに来なかったという。

 かくしてわずか3歳の彼は、誰にも頼らず生きていくことを考えるようになった。


 人生の初期にいやというほど味わった孤独と危機感、そして覚悟。

 それが夫の神経を必要以上に研ぎ澄ましたのではなかったか。

 そうして手に入れた感度の良すぎるセンサーは、この世で生きていく上での強力な武器になったが、同時に彼を蝕んでいることも知っている。


 持てる能力をフル稼働して面倒でリスキーな仕事を片付け、その勢いのまま高速回転し続ける脳みそを強制的にゆるめるため深酒をし、はち切れそうになった頭の中を空っぽにしようとパチンコ台に向かう夫。

 そうやってスイッチを無理矢理オフにし自分勝手に過ごすことで精神のバランスを保つというやり方はすぐには理解できなかったが、今では「この人はこういう風にしか生きられないのだ」と思うようになった。


 しかしその晩、酔った彼の口からこぼれ落ちてきた言葉は、さらに意外なものだった。


「一生冬子を幸せにするって約束したことは、絶対守る。

 でも一方で、俺はどうしても身を削るように仕事をしてしまうんだ。

 そうでないと、俺は自分を許せない。

 幸せになるにはまず苦しまなきゃいけないと、そう思ってる。

 どこでそれにストップをかけていいか、そのふたつのバランスをどう取ればいいのか、正直よくわからないんだ――」


 ずっと不思議だった。

 無条件に愛され許される経験をしていないはずの彼が、どうやって自分を肯定することができたのか。

 少なくともわたしの目には、彼が自分の弱さや歪さをちゃんと受けとめ、壊れた部分を抱えながらも前向きに生きているように見えたから。


 だが実際は、「苦しまなければ許されない」という誤った信念を心に深く刻み込んだまま、自分を追い込み続けていたのだ。

 ああ、そうか。「自分には価値がないなどと思ったことはない」と言っていたのは、そう思わなくて済むよう常に死にものぐるいで結果を出してきたからだ。


 そうやって強引に作り上げた自己肯定感は、無条件に愛されることで育まれたものとはおそらく違う。

 外側をいくら頑丈に塗り固めても、中身は脆く傷ついたままだ。

 固いコンクリートの奥に閉じ込められているのはきっと、底知れぬ淋しさや抱えきれないほどの悲しみや恨み、そしてどうしようもない弱さ。


 その考えを裏付けるかのように、夫はこう続けた。


「俺はずっと『強い自分』を作り上げて、冬子やハルキや、今まで助けてくれた人たちを守ろうとしてきた。

 でもその一方では、どうしようもなく弱くてダメな俺がいる。

 もし頑張らない自分を許してしまったら、きっとどこまでも崩れてしまうと思うんだ。

 だから、やっぱり自分を削り続けるしかなくて……」


 ああ、やはりこの人は、ずっと深いところで自分を許せずにいる。

 自分という存在を無条件に受けいれることができず、本当の意味でのありのままの感情に、固く蓋をしたまま生きている。

 もしそれを無理にこじ開けば、彼はきっと壊れてしまうに違いない――。


 酔いにまかせていつになくしゃべりすぎたのを恥じるかのように、目の前でしょんぼりとうなだれている夫。

 その姿に、確かにこの人は長生きできないのかもしれない、そんな想いがふつふつとこみ上げてきて、無性に悲しくなってくる。


 わかってる。

 たとえそうだとしても、わたしにできるのはただ寄り添うことだけなのだ。

 だって、そうやって生きるしかない君だから、わたしはこんなにも惹かれてしまうのだもの。


 それがいつかは、誰にもわからない。

 ただ、必ずやってくるその時を心のどこかでしん、と覚悟しながら、それでもわたしは、君といられるこの日々が少しでも長く続くことを、狂おしいほどに願っている。


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