一蓮托生
インフルエンザが猛威を振るうこの冬のとある週末、同僚と呑んで夜中に帰ってきた夫がしきりに咳をし始めた。
――いやな予感がする……。
案の定、咳はどんどんひどくなり、日曜には赤い顔で布団に潜り込んだ夫。週明けの病院で下された診断は「B型インフルエンザ」だった。
「いまさら家の中でマスクとか、いいよね?」
よろよろと病院から帰ってすぐさまタミフルを飲んだ夫は、コップ片手にそう言ってちらりとわたしの顔色をうかがう。
『いいわけあるかい!』
頭の中で盛大に突っ込みを入れつつも、口には出さなかった。
普段から夫は、どれほど咳やくしゃみが出ても家の中では絶対マスクをしない。窮屈なことがひどく苦手で、精神的にも身体的にも縛られることを極端に嫌うのだ。
もちろん外にいるときはそんなことおくびにも出さず、十二分に良識をわきまえた大人として振舞っている。だからこそ家にいるときまで神経を使いたくないというのも、まあ、わからなくはない。
それでも夫から風邪をもらうことはこれまでほとんどなかったし、うつってもせいぜい少し喉が痛くなるくらいだったから、さほど気にしていなかった。
しかし。
これは、普通の風邪ではない。インフルエンザだ。
そして、インフルエンザに関しては、数年前の正月に、ふたりそろってダウンした苦い経験があるではないか!
一晩中熱に浮かされ体中の痛みにのたうち回ったあの苦しみは、思い出すだけでゾッとする。
だが夫は、そんなわたしの心の内を知ってか知らずか、畳みかけるようにしれっと言ってのけた。
「だってさ、どうしたって無理でしょ? ずっと同じ家の中にいるんだから、防ぎようがないって。
ま、一蓮托生ってやつ?」
そして嬉しそうにニカッと笑うと、こちらに顔を向けたまま何のためらいもなくゴホゴホと思い切り咳き込んだ。
さすがにこれには眉をひそめたが、彼のほうは一向に気にする気配がない。わたしはこっそりと小さなため息をついた。
案の定、翌日になると咳が出始めた。心なしか体の節々が痛いような気もする。
「なんか、関節が痛い気がするんだけど……」
そういって睨むと、夫はへらへらと笑いながら繰り返す。
「一蓮托生、一蓮托生!」
まったく悪びれたようすのないその笑顔が、ザラザラとわたしの胸を逆なでする。
表面的な優しさを振りまいたり、いい人のふりをすることには意味がない。だから、そういった欺瞞をふたりの間には持ち込まない。それがわたしたち夫婦の鉄則だ。
しかしその割り切りが、ときに非道と思えることもある。
このときも、謝るどころか申し訳なさそうなそぶりさえ見せない夫に、わたしは密かに腹を立てていた。この人は結局のところ、わたしを好きに扱っていい所有物だと思っているのではないか、そんな疑念さえ湧いてくる。
もやもやとした気持ちを抱えたまま、わたしの症状はひどくなっていった。咳で眠れず、翌日には熱が出始めた。それでもまだ37℃台だからと受診をためらっているうちにかかりつけの病院は週半ばの休診日になり、それを待っていたかのように熱はとうとう39℃近くまで上がった。
一日中吐き気を伴う頭痛で何も食べられず、やたら水分ばかりとっていたらそれも吐いた。
今が一番辛いときなのだ、明日になればきっと楽になるはずと自分に言い聞かせながら、解熱剤を飲んでベッドの上で唸り続ける。
このまま永遠に明けないのではないかと思うほど長い夜。ようやく薬が効いてうとうとしたかと思うと、またすぐに目が覚める。
そんなことを何度となく繰り返しているうちに、隣で寝ているはずの夫がいなくなっていることに気づいた。どうやら別の部屋でテレビを見ているらしい。きっとわたしの咳や寝返りがうるさくて眠れないのだろう。
さらにしばらくすると、玄関から夫が出ていく気配がした。不眠ついでにコンビニにでも出かけたのだろうか。
眠れない夜や具合が悪いとき、人はろくなことを考えないものだ。相手のほんの些細な行動だけで、不安に駆られ突き放されたような気持ちになったりする。
この日のわたしもそうだった。
口では何も言わないけれど、夫はこの状態をひどく負担に感じているのではないだろうか、なかなか回復の兆しが見えないわたしに苛立っているのではあるまいか。
元はといえば夫が持ち込んだインフルエンザなのだから負い目を感じる必要などないはずなのだが、どうしてもマイナス思考に引きずり込まれる。
その時、ガチャッと玄関のドアが開いた。
レジ袋をガサガサと言わせながら寝室をのぞきこんだ夫は、わたしが目覚めているのを見ると、切羽詰まった声で叫んだ。
「冬子、何か食べないとだめだ!」
はい?
呆気に取られているわたしに、夫は必死に訴え始める。
「冬子は低血糖になってるんだよ。おかしいと思ったんだ。いくら熱が高いっていっても、こんなに急に弱るなんて。気になって眠れなくて、ずっと調べてたんだよ。
冬子は糖尿の気があるだろ? そういう人が何も食べずにいると血糖値のコントロールがうまくできなくなるんだって。だからとにかく、吐いてもいいから何か食べなさい。ああ、失敗した。無理にでも食べさせておくんだった!」
一気にそこまでまくしたてると、夫は険しい表情でレジ袋からゼリー飲料を取り出した。
確かに、今日は朝から水分以外ほとんど何も口にしていない。だがこれは、低血糖の症状とは違うと思うんですが……。
しかし目の前の夫は青ざめるほど必死で、とてもそんなことを言い出せる雰囲気ではなかった。とにかくエネルギー不足がよくないのかもしれないしと自分を納得させ、ゼリー飲料を受け取る。
監視するような夫の視線を感じながら、ぷるぷると柔らかいゼリーを少しずつ口に流し込んでいく。気のせいか、ほんのりとした甘みが舌に広がるたびに身体に力が戻ってくるようにも思える。
かなり時間をかけてなんとか全部飲み干し、再び横になった。それを見届け、ようやく夫の表情がかすかに緩む。
それにしても、『失敗した』って、何? わたしが夫の支配下にあるかのようなその言葉、聞き捨てならない。
そもそも、あとからこんなに取り乱すくらいなら、最初からうつさないよう少し気を遣ってくれればいいのだ。
朦朧とした頭の中に、夫へのダメ出しが次々と浮かぶ。
それでも。
彼は眠れないほどわたしを心配してくれたのだ。それでもう充分ではないか?
とりとめもなくそんなことを考えながら、わたしは数日ぶりの穏やかな眠りに落ちていった。
数日後、ようやく熱も下がって普通の食事がとれるようになったわたしは、夫と夕飯を囲んでいた。翌日から出社するという夫は、久しぶりに缶ビールを手にしている。
ほろ酔い加減になった夫に、ふと思いついてあの晩のことを聞いてみる。
「ねえ、わたしのことそんなに心配だったの?」
わたしには、あのときの夫のただならぬ様子と、それまでの無神経な振る舞いとのギャップが、どうしても理解できなかったのだ。
すると夫は、憮然とした様子で答えた。
「いろいろ考えてたら、眠れなくなったんだよ。そもそもこんなになったのは俺がインフルうつしたせいだし、こりゃ悪いことしたなって思ってさ」
「悪いと思ってたんだ?」
そう言ってわたしが目を丸くすると、夫はひどくばつが悪そうに口元を歪めて目を伏せた。
「でもさ、よくわからないんだけど、そんな風に思うなら、最初からマスクしとけばいいんじゃないの?」
何の気なしに投げかけた素朴な疑問に彼は顔を引きつらせ、缶ビールをもうひとくち飲んでこちらに向きなおった。
「だって俺、ダメだもん。気をつけられないの、冬子はわかってるでしょ? そういうの気にしだすと、マスクして手も消毒して、もう、全部完璧にやろうとしちゃう」
確かに、彼は自分の神経の細かさに囚われてしまわないよう、あえて無神経な方向に発想を持っていこうとするところがある。普段からマスクをしないのもそういうことなのだ。
わたしが深くうなずくと、彼は神妙な顔でさらに続けた。
「もしそこまでやっても冬子にうつったら……きっと怒りが湧いてくると思う。『俺がこんなに気を付けてたのに、何うつってんだよ!』って、腹を立ててしまうと思うんだ。
俺、そういうのが本当に嫌なんだよ……」
「? それは……腹が立つのは、何に対して?」
ほんの一瞬、夫が口ごもった。そしてすぐに、苦い酒を呑み下したときのような顔でぼそりと答えた。
「……冬子に、かな……」
わたしは軽い驚きを感じ、しばらく夫の顔を見つめていた。
「だから、そういうのが嫌だから、気を使いたくないの!」
夫はそう言うと、ひどく傷ついたような顔をした。
そして、うっかり口が滑って秘密をばらしてしまった子供みたいにとても居心地が悪そうな様子で、残りのビールを飲み干した。
わたしはそんな夫を見ながら、自分の心臓がぎゅっと締め付けられるのを感じた。
なんだよ、コイツ。
ここまで面倒臭い奴だったのか……!
きっと夫の感情の配線は、目に見えないところで複雑に絡み合っているのだ。うっかり何かのスイッチが入ればあらぬところが動き出し、身近で大切な相手にさえ激しい怒りを抱き傷つけてしまうかもしれない、すべてをなぎ倒してしまうかもしれない、そんな闇をその内に飼っている。
そのことがよくわかっているからこそ、暴走することのないように細心の注意を払って自分を監視し、常に絶妙なバランスを取りながら生きているに違いない。
人一倍濃やかな感性を持っているはずの彼が、ときおりひどく強引に思えたり冷酷な顔を見せたりするのは、そのせいか。
それをいつも意識しコントロールしながら生きていくしんどさを想像するだけで、思わずため息が出てしまう。
それにしても。
20年以上一緒にいても、こんなにも見えていないものがあるのだ。きっとわたしは一生をかけても、彼の歪さやその苦しみを、本当には理解できないのだろう。
しかし夫のその歪さを、わたしはなぜか嫌だとは思えない。
きっと夫も同じなのだろう。
わたし自身が持て余しているわたしの歪さも、彼にとってはおそらく排除すべきものではないのだ。
もしかしたら人はみなどこか歪んでいて、それぞれその歪さを受け入れてくれる相手を探しているのかもしれない。
誰かと一緒に生きていくというのは、きっとそういうことなのだ。
そんなことを思ったりした、寒い寒い冬の夜だった。




