時をかけるフルート
わたしの実家は、もと農家である。
なぜ「もと」かというと、跡取りである兄はすでに農業からすっかり手をひいているからだ。
が、昔ながらの風習はまだ色濃く残っていたりする。
たとえばお彼岸とお盆には、親戚中がいくばくかのお金を包んで互いに訪問し合う。
その数およそ十数軒。
ひいおばあちゃんの生家だとか、じいちゃんの弟が養子に行った先だとか、普段の付き合いはほとんどない家も多い。
おそらく親族が協力し合って田植えや稲刈りをしていたころの名残なのだろう。
とにかく数日の間にけっこうな数の来客があるので兄一人ではとても対応しきれず、同じ県内に住むわたしが毎回お茶出し要員として駆り出されることになる。
今年の秋のお彼岸もそうだった。
いつものように数多の客を迎え討ち、年寄り相手に似たような天気の話や今は亡き両親の思い出話を繰り返す。確かお盆のときも同じ話をしてたよなあ、と思いながら当たり前のように会話が流れていく不可思議さ。
ややもすれば、まるでこの家の中だけ時が止まっているかのような錯覚に陥る。
そんな期間が無事終わり、ほっとひと息ついた夕暮れ時、思い出したように兄が言った。
「そうそう、そういえばこのあいだ不思議なことがあってさ」
聞けば数日前のこと、仕事から帰ってくると家のポストに”フルート”が入っていたのだという。
「って、楽器の?」
「そう、あのフルート。意味分かんないし、なんか気持ち悪いからさ、とりあえずそのままポストに入れてあるんだけど……」
見に行くと、確かに黒いケースに入った古びたフルートがポストの中に入っている。
「何だろうね。誰かが捨て場所に困ってここに置いてったとか?」
「いやいや、それならうちのポストよりもっといいところがあるでしょ」
確かにお彼岸でざわついているこの時期に、わざわざ人目につく場所にあるこの家に捨てていくのは不自然極まりない。
錆ついた頭をひねってあれこれ考えているいるうちに、あれ? と思った。
そういえばわたし、昔フルート持ってたんだっけ。
中学生になったとき、友だちのお姉さんに誘われて何の気なしに入った吹奏楽部。蓋を開けてみれば周りはピアノやエレクトーンを習っていた子ばかりで、楽譜もろくに読めない楽器初心者はわたしぐらいのものだった。
音を出すのも指を覚えるのも人一倍時間がかかり、これはまずいと顧問に頼みこんで部のフルートを借りて帰り、毎日のように家で練習し続けた。
そんなわたしを見るに見かねて、母がある日隣町の楽器屋に連れて行ってくれた。
一番安いフルートは、それでも5万円ほどしたと思う。
当時のわが家からは考えられない出費だった。
実を言えば、自分の楽器が欲しいなどとはまったく思っていなかった。
当時のわたしは、フルートが好きというよりも、与えられたポジションをまっとうしなければという義務感で必死になっていただけなのだ。
でも、母から何かを買ってやると言い出すことなどそれまでなかったので、無下に断わることができなかった。
そして中学の3年間、わたしはフルートとともに放課後の時間を過ごしたのだった。
高校では他にやりたい部活があった。
わたしは、使うあてのないフルートを自分の手元に置いておくよりも、弱小で常に楽器の数が足りずに困っている部でこのまま使ってもらったほうがいいと考えた。
せっかく母が無理して買ってくれたものなので寄贈はせず、楽器の数が揃うまでの間貸しておくということにした。
が、翌年訪ねてみると、顧問の先生は別の学校に異動になっていた。
新しい顧問は、わたしのフルートの存在など聞いていないという。
迂闊にも名前も目印さえもつけていていなかったフルートは、結局うやむやのままわたしの手元に返ってくることはなく、ただ苦い想いだけが残った。
それから数十年。
実家のポストにあったフルートはかなり古びてパッキンもすっかり劣化しており、そのときのものだと言ってもまったくおかしくない。
というか、それ以外に思い当たることがない。
が、もしそうだったとして、誰がどうして今になって?
わたしのことを嫌った誰かが困らせたくて持ち去ったか?
それとも逆に、なぜか妙に慕ってくれたあの後輩がこっそり手元に置いていた?
または単なるうっかりミスに、数十年経って気がついた?
何にしても、持っていくことができたのはあのとき部活にいた誰か。
つまりは、わたしと同年代のはずだ。
それならば、そろそろ人生の折り返し地点を意識するようになったその誰かは、改めて自らの若き日を振り返ったのではないだろうか。
もしかしたら、ひょんなきっかけで出てきたフルートを目にするまではすっかり忘れていたかもしれない。
突如蘇った記憶の中の、うずくような後悔の念にいてもたってもいられなくなり、今さら意味がないとわかりながらも返さずにいられなくなったのではないのだろうか。
もちろんこれはただの憶測だ。
妄想でさえあるかもしれない。
それでもそんな風に考えてしまうのは、わたし自身がここ数年、今までやらかしてきたあれこれを生きているうちに何らかの形で清算したい、なんて思うようになっているからだ。
過去にわたしが傷つけ迷惑をかけてきた人々は、今頃どうしているのだろうか。
できることなら、ひとりひとりに会って謝りたい。
そういえば確かそんな小説があった。
主人公は相手と無事和解し、わだかまりが解けるという結末だった気がする。
が、実際にはそんなことをしてもただの自己満足で、相手は何の事を謝られているのだかさっぱりわからないだろう。
さらに言えば、今なおわたしは関わる誰かを傷つけ、みっともないほどに迷惑をかけ続けているのだ。いくら片を付けようとしたところでキリがない。
なるほど、この誰かもそんな風にあれこれ逡巡し、迷った挙句に思い切ってポストに置いて行ったのかもしれない。
そう考えると、ただ気味悪いだけだった古いフルートに何やら親しみすら感じてしまい、どうにも処分できなくなっているわたしなのだった。




