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引きこもり主婦のポンコツな日々  作者: 小日向冬子
11/21

母性と父性

今回はちょっと固い内容です。

残虐な事件の話が出てきますので、ご注意ください。

 十数年前、神戸で起こった少年犯罪。

 その常軌を逸した残忍さは、世の人々を震撼させた。


 わたしはちょうど息子を産んで間もない頃で、言いようのない恐ろしさを感じたことを覚えている。


 被害者になることを危惧したわけではない。

 息子もひょっとしたら少年Aのようになってしまうんじゃないか、そのことが心底恐ろしかった。


「心配し過ぎだよ」と周囲は笑っていたが、わたしは自分の中にかつてあった情緒の欠落のずっと先に、その少年がいるような気がしてならなかったのだ。



 その事件のことはそれからもずっと心のどこかに引っかかっていて、関連の本が出ると目を通したりもしていた。


 少年の両親の手記には、甘やかして育てた結果ではないかという見方への反論のように、我儘にならないように意識して厳しくしつけてきたというような母親のことばがあった。


「甘やかすと我儘になる」

 その当時、当たり前のように言われていたことば。


 なのになぜ、厳しくしつけられたはずの彼は人を人とも思わぬような残虐な犯行に走ったのか?




 いくら考えても、答えが出なかった。

 そしてそれはそのまま、自分の子育ての迷いとなった。


 はいはいと言うことを聞いてやるのは甘やかしているように思えたし、逆に厳しく接しようとすれば、自分はなんてきつい母親だろうと思って落ち込んだ。

 優しさと厳しさにどう折り合いをつけたらいいのかわからず、すっかり混乱したまま息子を育てていたように思う。


 だから思春期になって彼が荒れ始めたときは、わたしが彼をそうしてしまったのだとひどく自分を責めるようになった。




 子育てにも、自分自身にも自信が持てなくて、すがりつくようにメンタルや子育て関連の本を読みあさり、ネットの情報を渡り歩いた。

 何がいけなかったのか、これからどうすればいいのか、とにかく明確な答えが欲しかった。



 そんな中で出会ったことば。

「母性は父性に先行する」




 善悪の判断をすることなく、ありのままを受け入れ許し、ただひたすらに生かそうとする母性。

 厳しさや規律、正しさを要求し、社会で生きていける存在へと育もうとする父性。


 愛情のふたつの側面は、どちらが正しくてどちらが間違っているということではない。


 ただ、母性が先行していなければ、父性はその効力を発揮できないというのだ。父性的な愛だけが行き過ぎれば、逆効果にさえなってしまう、と。


 そう考えると合点が行った。

 厳格な空気の中で育ったはずなのに、どこか壊れている自分。

 確かにあの家には、母性的なものが極端に欠けていた。


 母性と言ってもいわゆる「母親」だけの特権ではない。男性でもそういう部分はある。が、当時のわが家にはそれさえも見当たらなかった。

 そう考えると、母性という土台のないままに父性的な厳しさや正しさだけで育てられてしまったことが、わたしの抱える生きにくさのひとつの要因であるに違いなかった。


 愛されていたのだとは思う。

 でもその愛は、ひどく(いびつ)だったのだ。




 しかし、それがわかったからちゃんと子育てできるかと言えば、そんな簡単なものじゃなかった。

 ありのままの子どもの心に寄り添うということが、わたしには皆目見当がつかないのだから。


 それでも必死にもがきながら、ありのままの息子を、そして自分を許そうとしてきた。その分だけ、ちょっとは生きやすくなったと思う。




 あの事件から十数年、再発防止なんて掛け声をよそに、信じられないような数々の事件が相変わらず世間を騒がせている。


 もしかしたらそれは、間違いを許さない、正しさだけを追求しようとする風潮が世の中に蔓延していることと関連はないだろうか。


 母性的な要素のないままに父性に傾き過ぎることの結果を身を持って感じている者としては、それがとても恐ろしいことに思えてならない。

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