新年、明けましたら倒れてました
嫌な予感はしていた。
あと数日で仕事納め、というタイミングで、連れ合いが咳をし始めたのだ。
むむ?
いや、毎日満員電車に詰め込まれ、空気の悪いオフィスで長時間過ごしているのだ。いくらマスクをしていってるとはいえ、この時期、風邪ぐらいは引くだろう。
そう、風邪ぐらいはね。
が、仕事納めの前日になって、とうとう彼は、青白い顔で早退してきた。そして、
「しんどい……」
そう言って、倒れるようにベッドに崩れ落ちたのだ。
青かったはずの顔がすっかり赤くゆで上がり、瞳がうるうると潤んでいくに及んでは、もはや疑いようもない。
そう、あれだ、あれ。
インフルエンザ。
背筋を緊張が走る。
年末だ、ぼやぼやしていると、医療機関は休みに入ってしまうはずだ。
まだ開いている病院を調べ、速攻で受診させると、無事○ミフル投入の運びに。
その甲斐あってか、大晦日にはすっかり元気になった連れ合いは、しっかり年越し蕎麦をすすっていた。
ああ、よかった。これでやっと、平和に年が越せる。
が、そう思ったのもつかの間。
なぜか、年越し蕎麦を、食べる気にならない。
それに、気のせいか、体の節々が痛い気がする。
慌てて熱を測ってみる。
……なーんだ、平熱より低いじゃん。
うつったかと思ったけど、気のせいか。
とりあえず年越しのカウントダウンはやめといて、早々にベッドへ向かう。
けれど、横になっていても、やはり体中が痛くて、どうにも寝苦しい。
妙に顔が火照って、のぼせた感じだし。
でも、平熱だし。
って、どういうこと?
その状態は、次の夜も変わらないどころか、さらにひどくなっていった。
痛い。
苦しい。
熱い。
眠れない。
うーん、辛い。
ちいちゃな子供だったら、こんなとき泣いたりぐずったりするのかな。
そう言えば、子どもの頃、そんな風に泣いたことなかったなぁ。
徹夜で看病されたこともないし。
ぐすん。
そんなことを考えてたら、ますます眠れなくなって、何度も時計の針を見る。
原因のわからない痛みほど性質が悪いものはない。
せめてインフルエンザだったら、薬を飲めば一発で治るのに。
祈るような気持で、もう一度熱を測ると――――
38度、越えてる!
いまだかつて、熱が出てこんなに嬉しかったことはない。
ああ、よかった、神様、ありがとう!
夜が明けて、朝一番で休日診療の病院に向かった。
すでに待合室は溢れんばかりの人、人。なんとか席を確保して、ふらふらしながら順番を待った。
見ていると、かなりの割合でインフルエンザとの診断がくだっているようす。
そうか、みんなきっと、辛い夜を過ごしてきたんだね。名前も知らぬ人々相手に、ほんのりと仲間意識が芽生える。
と、わたしの目の前で、青白い顔をしたやせっぽっちの少年が、ずるずると床に座り込んでしまった。
「こら、そんなところに座るなよ!」
ドキッとして怒鳴り声のほうを見ると、父親と思しき男性が、険しい顔でにらんでいる。
ねえ、お父さん。
わかるけどさ、そんな言い方しなくたっていいじゃない。
せめて最初にひと言、「大丈夫か?」って、心配してあげてよ。
心の中でそう思ったが、他人のわたしに言えるはずもない。
やはりすぐそばでその様子を見ていたひとりのおばちゃんが、心配そうに彼を覗き込みながら、
「ほら、ここ、座んなさいよ。大丈夫?」
と、すかさず席を譲ってくれた。少年はかすかに頷いて、よろよろとそこに腰をかけた。
真っ青な顔色のまま、じっとうつむく少年。
まもなく父親は、少し離れた場所に、2人並んで座れるスペースを見つけたようだった。
「おい、こっち来いよ」
「……」
少年はじっと下を向いたままだ。
父親は、しょうがないな、とでもいうように小さくため息をつき、そのまま少年に背を向けて座った。
少年の姿が、昔の自分と重なって見える。
愛されてないと感じてしまった子どもは、黙って心を閉ざしていくんだ。
ああ、胸が痛い。
と、その父親が、後ろを振り返った。
息子のようすをうかがうように、そっと首を伸ばしている。
こっそりと少年に向けられた視線は、さっきの横柄な語調とは裏腹に、弱々しくうろたえているようにさえ見えた。
ああ。
そうか。
あの父親は、あんな風にしか言えないんだ。
でも、愛情がないわけじゃ、決してない。
一方少年は、父親が気遣わしげに自分を見ていることになど、まったく気付いていない。
固い表情で、下を向いたままだ。
少年には、隠された親の気持ちはまだ見えないんだ。
そう、あのときの、わたしみたいに。
きっと何年も、もしかしたら、何十年も経ってから、ようやくわかる日が来るに違いない。
それまでに、どれほど彼は傷つくのだろう。
そして、どれほどあの父親は苦しむのだろう。
どうして、ちゃんと相手に伝わる形で愛することは、簡単なようでいて、こうも難しいんだろう。
どこにでもある、どうしようもないすれ違い。それでもどうか、この2人の痛みが、少しでも小さくてすみますように。
そんなことをこっそりと願わずにいられなかった、新しい年の始まりだった。