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しょむ系大同団結

◎しょむ系大同団結


 「ひとりひとりの得票が少ないしょむ系候補も、一致団結して選挙を戦えば議席が獲得できるのではないか?」と考える人もいるのではなかろうか。実はそうした試みは既に何度か行なわれている。


○第二院クラブ、革新自由連合、無党派市民連合


 第二院クラブは1953年に参院会派として登場。その後、日本婦人有権者同盟代表の市川房枝らが所属する「無所属クラブ」を経て、「参議院同志会」(旧「緑風会」)と合流し二院クラブとなる。元々無所属クラブには創価学会(公明政治連盟、後の公明党)系議員も所属したが、後に独自会派を組むため脱退している。


 革新自由連合は矢崎泰久(雑誌「話の特集」編集長)、中山千夏(女優、声優、作家)、ばばこういち(馬場康一、ジャーナリスト、堤未果の父、川田龍平の舅)らを中心に77年結成。結成大会「革新自由連合マニフェスト77」は、愛川欽也(俳優、声優、タレント)、赤塚不二夫(漫画家)、赤塚行雄、秋山ちえ子、阿佐田哲也(色川武大、井上志摩夫、作家、雀士)、秋葉克巳、いずみたく(作曲家)、石川弘義、五木寛之(作家)、宇井純(環境学者)、宇都宮徳馬(参院議員)、永六輔(作家、タレント)、小沢昭一(俳優)、大島渚(映画監督)、大西信行(劇作家、脚本家)、大橋巨泉(放送作家、タレント、後に民主党参院議員)、荻昌弘、加藤康一、加藤武(俳優)、加藤登紀子(歌手)、上村一夫、神吉拓郎、北沢洋子(政治評論家、アジア太平洋資料センター創立者)、キノトール(劇作家、演出家)、久野収(哲学者、思想の科学社社長、後に週刊金曜日編集委員)、黒田征太郎(イラストレーター、グラフィックデザイナー)、高史明(作家、評論家)、小松方正(俳優、声優)、小室等(歌手)、佐藤允彦(作曲家、ジャズピアニスト、中山千夏の元夫)、佐藤嘉尚、ジョージ秋山(漫画家)、司馬遼太郎(作家)、下重暁子、白井佳夫(映画評論家)、新谷のり子(歌手)、鈴木武樹(ドイツ文学者、「クイズダービー」解答者)、鈴木均、妹尾河童(作家)、高石ともや(高石友也、フォーク歌手)、高畠通敏(政治学者)、滝田ゆう、立木義浩、龍村仁(ドキュメンタリー監督、演出家、元NHKディレクター)、田辺聖子(作家)、田原総一朗ジャーナリスト、俵萠子(評論家、俵孝太郎の元妻)、手塚治虫(漫画家)、中村とうよう(音楽評論家、「ミュージック・マガジン」編集長)、中山千夏、野坂昭如(作家、歌手、タレント)、はらたいら(漫画家)、ばばこういち、花柳幻舟(舞踏家、作家)、羽仁五郎(歴史学者、元参院議員)、マキノ雅弘(映画監督、俳優)、前田武彦(放送作家、タレント)、美輪明宏(歌手)、八代英太タレント、山口はるみ(イラストレーター)、山田宗睦、山藤章二イラストレーター、吉川勇一(英語講師、「ベトナムに平和を!市民連合」事務局長)、吉武輝子(作家)、渡辺貞夫ミュージシャン、和田誠(イラストレーター、エッセイスト、映画監督、平野レミの夫、TRICERATOPS・和田唱の父)らという錚々たるメンバーで企画委員会が組まれ、青島幸男、三上寛、佐渡山豊、中川五郎、白竜らも集会に参加した。


 1977年には横山ノック(山田勇、漫才師、後に大阪府知事になるも猥褻事件で失脚)、80年には代表の中山が当選。横山は民社党と統一会派「民社党・国民連合」を組み、中山は美濃部亮吉(元都知事、社会党都連推薦で全国区より参院選当選)、山田耕三郎(元大津市長、後に連合参議院代表)と共に院内会派「一の会」を結成、その後二院クラブと統一会派「無党派クラブ」を結成。


 しかし83年参院選で全国区が拘束名簿式比例代表制となり、名簿順位を巡って対立が激化。中山の第一秘書でもあった矢崎を名簿1位にすると主張した中山らは「無党派市民連合」を結成、矢崎や永六輔、岩城宏之(指揮者)、長谷川きよし(シンガーソングライター)らを擁立するが、全員落選し活動を停止した。青島は第二院クラブを確認団体化し、青島が当選。八代英太は福祉党を結党し、当選後自民党に移籍。秦豊は民社党に移籍した。


 その後二院クラブは諸派・無所属議員の受け皿として機能。参院比例区では野坂昭如、いずみたく(繰り上げ当選)、山田俊昭(弁護士)、佐藤道夫(元検察官、立正佼成会系)が当選。選挙区からは喜屋武真栄(沖縄革新共闘、元教師)、島袋宗康(沖縄社会大衆党委員長)、西川きよし(西川潔、漫才師)らが所属した。しかし後に代表を務めていた佐藤は民主党に移籍、青島は娘の青島美幸(放送作家)等を擁立するが全員落選。以後、近年は候補者を擁立出来ないでいる。選挙区から選出の会派所属議員は「無所属の会」などに移籍。


 なお、日本婦人有権者同盟所属の議員としては市川以外に紀平悌子(参院熊本選挙区、社会・公明・民社推薦)がいたが、1995年に落選。それ以来、婦人有権者同盟系の議員は出ていない。


○自由連合


 元々は徳田虎雄(医師、医療法人徳州会創始者)らにより結成された保守系無所属候補の連絡組織であり、国際勝共連合(統一協会)系と言われる阿部令子(元渡辺美智雄秘書)らも所属した。その後は小島慶三(元日本新党)や椎名素夫(後に「無所属の会」代表)など代表が交代しながら、保守系議員の受け皿として機能した。大内啓伍(元民社党委員長、自由連合初代総裁)らのように、自民党に移籍するためのクッションとしても使われた。自民党と統一会派を組んだこともある。


 2001年参院選には野坂昭如(作家、元二院クラブ参院議員)、月亭可朝(落語家)、嵐(ミュージシャン、横浜銀蝿リーダー)、若井ぼん(レゲエ漫談家、元漫才師)、高信太郎(漫画家)、渡辺文学(作家、「買ってはいけない」著者)、加藤将輝(加藤秀棋、評論家、TBS系「エクスプレス」レギュラー)、古川のぼる(ふくろう博士、教育評論家)、千葉マリア(作家)、林寛子(俳優)などの芸能人や、佐山サトル(初代タイガーマスク)、堀田祐美子プロレスラー、渡辺絵美(元アイススケート選手)、荒勢(タレント、元力士)などのスポーツ選手、和田静夫(新社会党顧問)や中島猷一(都会党代表)などの他党出身者、ドクター中松(発明家)、羽柴誠三秀吉(実業家)、山口節生(不動産鑑定士)ら著名なしょむ系候補を大量に擁立し話題となった。しかし大きな支持にはつながらず、むしろ財政を逼迫させる結果となった。


 その後虎雄はALS発症に伴い代表を息子の徳田毅に譲るが、毅は自民党に入党。現在は自民党の支持団体のようになっている。


○無所属の会、国会改革連絡会


 「無所属の会」は田英夫を代表としていた参院会派「参議院フォーラム」を母体に1998年結成。初代代表は椎名素夫。自由連合と同じく、中田宏など主に自民党外で政府与党に同調する議員の受け皿となった。その後、路線対立で社民党を除名された山本正和や沖縄社会大衆党の島袋宗康、二院クラブの西川きよし、そして小沢自由党らを加え、統一会派「国会改革連絡会」となった。


 2001年には千葉県知事選に堂本暁子を擁立した市民団体の役員、野屋敷いとこ(野屋敷いと子、後に船橋市長選に出馬、落選)を擁立し参院選に臨むが落選、政党交付金受け取り要件を喪失したことを理由に解散した。その後無所属議員が所属出来る適当な会派は無くなっている。


○国民新党


 自民党・民主党出身の大物議員・候補者を多数抱える国民新党を「しょむ系」と言うのは苦しいところがあるが、伊東秀子(元社会党代議士、元共産党員。左派出身ながら自民党推薦で北海道知事選に出馬し落選)、関口房朗(過去に参院選出馬歴のある馬主・実業家。派遣会社「メイテック」「ベンチャーセーフネット」「VSNマイスト」などの経営に関わっていた)、ペマ・ギャルポ(評論家。チベットから帰化)、アルベルト・謙也・藤森(元ペルー大統領。国籍法の趣旨に反し日本とペルーの二重国籍を保持。市民の大量虐殺指揮により禁固25年)など、個性的な候補者を擁立。しょむ系候補の出馬先、及び支持者の投票先として一定の役割を果たしたのではないかと考えられる。


 なお、上記以外にも、右派系人士の結集を目指した「議会主義政治擁護国民同盟」や「日本国民政治連合」(略称「日本」)などもしょむ系結集の試みの1つとしてあげられる。また、しょむ系候補が様々なしょむ系政党を渡り歩くことは往々にして見られる。


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