斗士たち
◎斗士たち
左派勢力も、議会制民主主義を「ブルジョア議会」と批判し打倒を目指す「反議会主義」(選挙では主に棄権を呼びかける)から、「議会とは演説を通じてブルジョアジーの欺瞞を暴露し、労働者の直接行動を煽動する場」と位置づけ独自候補を立てる「革命的議会主義」まで、様々な立場がある。
「議会を通じた平和革命」を標榜する日本社会党から分裂した党派や、いわゆる「市民派」は結成当初から選挙を積極的に活用し、議会内での多数派形成を目指している。なお、日本共産党は「議会活動と市民運動は車の両輪」とする「人民的議会主義」を採っている。
○日本労働党
「日本共産党(左派)」(毛沢東主義&親アルバニア系。「劇団はぐるま座」などの母体。「人民の星」「長周新聞」等を発行。山口県を中心に活動し、下関市に系列市議が存在。「反米愛国」を標榜し、全国各地で「原爆展」を開催)から分裂し、佐賀を中心とする九州で形成された「日本共産党革命的左派」と、神奈川で形成されていた「日本共産党革命左派」の反主流派(主流派は「京浜安保共闘」を経て、塩見孝也らも所属した「共産主義者同盟赤軍派」の一部と「連合赤軍」を結成)が合併し、「日本労働党」となる。
かつては毛沢東の「鉄砲政権論」に基づき、あからさまに暴力を肯定するような言動も目立ったが、現在はソフト化している。国政では中選挙区制時代に頻繁に候補者を立てていたが、現在は社民党の支援を中心とする活動となっている。社公民路線を肯定しており、社共共闘路線を目指していた共産党を「野党共闘の破壊者」と非難していた。
地方選挙では結党以来の地盤である神奈川・福岡両県の知事選や横浜市長選等で候補者を立てており、共産党公認・推薦候補に迫る票を獲得している。また、関東や九州を中心に地方議員も多い(但し労働党公認ではなく無所属。「あらかわ元気クラブ」、「杉並わくわく会議」など)。さらに、「自主・平和・民主のための広範な国民連合」(旧「左翼連合」)を結成し、野党共闘の要となることを目指している。
余談ではあるが、かつて「日本労働者党」という党派もあり、こちらも毛沢東主義系であった。労働者党は後に同じく毛沢東主義派の「建党同盟」と合併し、「労働者社会主義同盟」となっている。
○緑の党(三橋派)
三橋辰雄、対馬テツ子らを中心に、日本労働党青森県委員会より分裂し結党。毛沢東主義と津軽の民間伝承を基盤とするナショナリズムを融合した、独特の世界観を持つ。国際的には親中国、親北朝鮮、親ポル・ポト派。また、進化論を否定している。機関紙「日本新聞」には全ての漢字に振り仮名が振られている。
衆院選、参院選、都知事選、そして東京を中心とする地方議員選に出馬。国政選挙や知事選では当選者を出していないが、地方議員は大田区に区議の野呂恵子がいる。政見放送では、党首対馬が子供番組のおばさん司会者の如く、妙に明るい口調で聴衆に語りかけるものであった。主な政策は、緑の党を「ニセ左翼」と批判する共産党への非難と、「緑の党は女性の党」「エロ・グロ・ナンセンスに反対」などだった。
党名から受けるイメージに反し、環境保護活動は全く行なっておらず、むしろ他の環境政党には批判的。しかし海外の環境政党の動向を機関紙で紹介するなど、矛盾した行動も取っている。また、性病に感染した女性器の写真を機関紙に掲載し、猥褻物頒布罪で取調べを受けたこともある。
系列組織に劇団「荒野座」、歌声喫茶「銀河JOY」など。「銀河JOY」での非常に特殊な雰囲気のライヴは、雑誌やネットで頻繁にレポートされている。「緑フォーラム」という政治集会も頻繁に行なっている。かつては青森で「スーパーみちのく」も経営していた。
近年は「日本ボランティア会」を通じて、駅前等の街頭で頻繁に災害支援の募金・署名活動を行なっているが、募金は主に活動家の生活費に使われ、署名は「荒野座」「銀河JOY」公演の勧誘名簿として使われているという。いわゆる「募金詐欺」として、たびたび雑誌やTV、ネット等で注意が喚起されている。要注意である(かく言う筆者も連中に2千円ほど「募金」という名の“献金”をしてしまったことが…orz)。
○マルクス主義労働者同盟、社会主義労働者党、マルクス主義同志会
共産主義者同盟の最右派「共産主義の旗派」が全国社会科学研究会(全国社研)を結成。その後「マルクス主義労働者同盟」(マル労同)をへて、「社会主義労働者党」(社労党)に改称。選挙では4時間労働制、男女平等などを訴えた。また、原発推進、農産物輸入自由化推進、成田空港建設推進を訴えるなど、左翼としては異色の存在だった。
右派・保守派のみならず、他の左派陣営をも「国家資本主義者」と批判。選挙で何度か候補者の重なった日本労働党に対しては、「あんな毛沢東盲従集団には絶対に負けられない」と特に対抗意識を燃やしていた。
2002年、「政党としての実態を欠く」として解党。「マルクス主義を学ぶ革命的サークル」として「マルクス主義同志会」に改組し、全国各地でマルクス主義に関する学習会を主催。
マル労同・社労党・同志会から分裂した党派として、「新しい労働者党をめざす全国協議会」(ワーカーズ)、「ワーカーズ・ネットワーク」(Workers)、「革命的社会主義運動・グループ95」、「イング・ネットワーク」、「赤星マルクス研究会」などがある。
社労党のインターネット進出は左派勢力の中では早く、主要政党の1つである日本共産党より早くサイトを開設していた。もっぱら日本国内で活動する党派にもかかわらず、サイトは日英両言語対応で、トップページは英語だった。さらに「まぐまぐ」でメールマガジンも出していた。因みに分派の「Workers」もほぼ同じ時期にサイトを開設しており、やはり左派勢力の中では非常に早い段階でネットに対応していた。
近年はみどりの風(民主党・国民新党関係者による保守政党)の候補者や、都知事選に出馬した細川護熙(元首相、元日本新党代表)などへの支持を表明するなど、保守化を強めている。
○マルクス主義青年同盟、民主統一同盟、「がんばろう、日本!」国民協議会
毛沢東主義系の「共産主義者同盟マルクス・レーニン主義派」(共産同ML派、今井澄らが所属)が解体後、その一部らにより結成。戸田政康、穂積亮次(新城市長)らが所属。当初は党派名の後ろに、準備会という意味の「(準)」を付けた。
迷彩色の軍服に身を固め、赤いヘルメットと竹槍で武装し、街宣車でけたたましく「インターナショナル」などの労働歌を流しながら隊列を組んで行進するなど、異色の街宣活動で知られた。
1975年都知事選に、「マル青同政治連盟」として杵淵美和子を擁立。「今こそ、『国難』に内乱で対峙せよ」「諸君のもとに、今日は投票用紙を、明日は銃を与える!!」などと訴え、美濃部亮吉(当時の東京都知事、後に参院議員)の街頭演説への妨害活動等を展開したが、選挙管理委員会から「内乱罪適用の疑いがある」と注意され、有権者の支持も集まらなかった。同年、大学学生寮を襲撃し寮生を殺害、遺体を山中に埋める事件を起こしている。
犯人の1人である穂積は、「死体をあと50cm深く埋めておけば良かった」と証言している。その後穂積は服役、出所を経て、自民党や生活の党などの推薦で愛知県新城市長となっている。
その後戦術転換し、反ファッショを訴え対立党派の日本共産党へ共闘を呼びかけたが、共産党側は「暴力行為への反省が無い」と拒否。1988年、「民主統一同盟・フォーラム地球政治21(準)」と改称。1999年辺りから「『がんばろう、日本!』国民協議会」の別名を使用するようになり、現在は「がんばろう~」が正式な団体名となっている。
現在は「改革保守」を掲げ、小沢一郎や松下政経塾出身議員など、新自由主義・新保守主義的政治家への支持を打ち出している。また、「小泉構造改革応援団」と名乗り、「政権交代のあるアメリカ型保守2大政党制の確立を」などとも訴えている。
○革命的共産主義者同盟全国委員会、都政を革新する会
通称「革共同・中核派」。「反スターリン主義」を掲げ、中国や北朝鮮、ヴェトナムなどを「スターリン主義国家」として打倒する事を掲げている。関連組織にマルクス主義学生同盟中核派(マル学同中核派)、マルクス主義青年労働者同盟(マル青労同)、革命軍、全国労働組合交流センター、「とめよう戦争への道!百万人署名運動」(旧「日米新安保ガイドラインと有事立法に反対する百万人署名」)、青年アジア研究会、NAZEN(すべての原発いますぐなくそう!全国会議)などがある。
前身となる革命的共産主義者同盟(革共同)は、1957年に黒田寛一(山本勝彦、牧野勝彦)、本多延嘉、太田竜(栗原登一)、西京司(大屋史郎、沢村義雄)らを中心に「日本トロツキスト連盟」として結成。同年、革共同に改称。当初はトロツキー主義を掲げていた。
1958年、太田が日本社会党への加入戦術を提唱して離脱、「日本トロツキスト同志会」を結成。その後太田は環境保護主義や反ユダヤ主義などを経て極右に転向し、日本みどりの党、日本みどりの連合、地球維新党などの結成、週刊日本新聞の発行などを行なった。一方、黒田や本多らは党内派閥「革命的マルクス主義グループ」(RMG)を形成、「トロツキーを乗り越える反スターリン主義」を掲げ、トロツキー主義の西らと対立する。
1959年、黒田や大川治郎(小泉恒彦)が共産党系の青年団体「日本民主青年同盟」(民青同盟)の情報を収集して警視庁公安部に売りつける事を謀り、警察官との接触を試みる事件が発覚する。黒田らのこの行動は「階級的裏切り」と非難されたが、黒田は「対立党派は帝国主義者をも活用して瓦解させるという陰謀を企むべき」と反論。同調者である本多らと共に、革共同全国委を結成した。
1962年参院選に、黒田は革共同全国委公認候補として出馬し、「帝国主義・ソ連官僚主義打倒」と訴えたが落選した。その後路線対立により、黒田は1963年に国鉄動力車労働組合(動労)青年部長・尾久支部長の松崎明らと共に革共同全国委を離脱。新たに「日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派」(革マル派)を結成、黒田は議長、松崎は副議長となった。以降、残留組は中核派と呼ばれ、「ファシストカクマル殲滅」などのスローガンを掲げるようになる。但し、中核派は自らを「黒田哲学の真の継承者」とも称していた。
1963年前後から、共産主義者同盟(共産同、通称「ブント(『同盟』のドイツ語『Bund』から)」)の活動家が流入。北小路敏(共産党京都府議・北小路昂の息子)、清水丈夫(岡田新、津久井良策、現中核派・安田派議長)、陶山健一(岸本健一、元農水省官僚、革マル派幹部・森茂(鈴木啓一)の弟)など、後に中核派の最高幹部となっていく者もいた。
1965年、中核派関西地方委員会副議長の浜野哲夫(池内史郎)が「社会主義労働戦線」公認で出馬。中核派、長崎造船社会主義研究会、共産主義者同盟マルクス主義戦線派(共産同マル戦派)の3派統一候補だったが落選、その後除名された。又、1965年から1969年まで、都議選・都議補選に北小路が計3回出馬、落選している。
1967年、「杉並革新連盟」が結成され、後に「都政を革新する会」(都革新)となる。都革新はほぼ中核派と一体の組織であり、共産党などが参加する「革新都政をつくる会」は全く無関係であるどころか、「スターリン主義者」として打倒の対象でさえある。これまでに都議1名、杉並区議累計3名を輩出。現在は全員落選又は離党している。新左翼系としては初の都道府県議となった長谷川英憲(元都議)は、2000年衆院選にも出馬し、大田昌秀(元沖縄県知事、元参院議員、社会学者)や青木雄二(元漫画家)、宮崎学(作家、通称「キツネ目の男」、「新党・自由と希望」参院選候補者、公安スパイ疑惑あり)らの支援を受けるも落選した。
1995年都知事選では、青島幸男(作家、タレント、元参院議員、第二院クラブ代表)を全面支持。青島当選後は、「都革新は青島都政唯一の与党である」と主張した。一方、革マル派との関係が深い上田哲(元代議士、護憲新党あかつき委員長、元日本社会党教育宣伝局長、後にスポーツ平和党共同代表、「社会党」(上田派)委員長)については、「ファシストカクマルの上田を絶対当選させるな」と非難した。2014年の都知事選と衆院選では、日本社会主義青年同盟・主体と変革派出身の鈴木達夫(動労千葉顧問弁護士、元NHKプロデューサー、元日本放送労働組合長崎分会委員長)を推薦候補として擁立した。
2000年代半ばより、中核派内での路線対立(「党の革命」と称して労働組合活動での主導権獲得を至上命題とする多数派「労働戦線派」と、以前と同じく各種市民運動に参加する少数派「諸戦線派」)が激化。中核派と都革新から「労働者に戻れ」と議員辞職を迫られた「諸戦線派」の杉並区議、結柴誠一と新城節子(うち1人は後に落選)は辞職を拒否し離党、「無所属区民派」を結成した。後に労働戦線派と諸戦線派は完全に分裂。前者は中核派(通称「安田派」「中央派」「前進派」)として留まり、後者は革命的共産主義者同盟再建協議会(通称「塩川派」「再建派」「関西派」)を結成した。更に、九州を中心としたグループ(通称「平田派」)も離脱し、女性団体「婦人民主クラブ」を分裂させて「ふみん福岡」を結成するなどしている。以降、都革新は安田派の参加となっている。一方で無所属区民派の2人は、現在は民主党及び生活者ネットと連携を深めるなど保守化・右傾化を強めており、更に都革新とは訴訟合戦となるなど、泥沼の抗争を繰り広げている。
なお、中核派は東京以外にも千葉県や大阪府など(かつては神奈川県などでも)で「市政を革新する会」「革新無所属」などの名称で地方議員を輩出している。婦人民主クラブの分派「婦人民主クラブ全国協議会」や、「部落解放同盟全国連合会」から分裂した「全国水平同盟」なども支持母体の1つとなっている。
現在、国政選挙では主に社民党候補を支援。2007年参院選ではZAKI(ミュージシャン、農業、9条ネット所属)を、2013年参院選では山本太郎(俳優、新党ひとりひとり党首)を支援し、山本は当選した。後に山本は「NAZEN」呼びかけ人にもなっている。
激しいゲリラ闘争も有名であり、1971年には日比谷公園内で沖縄返還協定反対デモで使用した火炎瓶が洋食レストラン「松本楼」を直撃し、焼失するという事件が起きた。松本楼は1973年に再建され、それを記念して毎年9月25日はカレーライスが10円で振舞われる。売り上げは日本ユニセフ協会などに寄付されており、「10円カレー」は秋の季語となっている。
尚、革マル派は分裂前に黒田が出馬した以外は選挙では目立った動きは無いが、影響力が強いとされる全日本鉄道労働組合総連合会(JR総連)などを通じて民主党や生活の党などの候補者を支援している。又、護憲団体「憲法9条-世界へ未来へ連絡会」(9条連)や、革マル派系全学連(全日本学生自治会総連合、他に共産党系、中核派・安田派系、解放派・狭間派系、解放派・木元派系があり)、マル学同革マル派などを組織している。又、トロツキー主義を支持する勢力は、第四インターナショナル日本支部を経て、日本革命的共産主義者同盟(JRCL)などを結成している。
○MPD・平和と民主運動、大衆党、市民の党
MPDは元「日本学生戦線」(日学戦)活動家で、毛沢東主義を掲げる団体「立志社」代表の斉藤まさし(酒井剛)らを中心に結成された。呼びかけ人には田英夫(元参院議員、斉藤の舅)、横路孝弘(現衆院副議長、民主党系代議士、元北海道知事、弁護士)、八代英太(元自民党衆・参院議員、元福祉党代表)らがいた。MPDは「Movement of Peace and Democracy」(「平和と民主運動」の英訳)の頭文字。
その後、「大衆党」に改称、下元孝子(元都議、元大衆党党首)ら地方議員を輩出。この間、田英夫が当時現職で自民党系の都知事だった鈴木俊一の支持を表明し、当時大衆党党首だった下元が田に抗議して離党するという事態も起きている。「新党護憲リベラル」及び「平和:市民」が結党されると、それらに吸収合併。
「平和:市民」解散後は「市民の党」と改称して活動中。関東を中心に都県議・市区議を輩出するほか、堂本暁子(元千葉県知事)や喜納昌吉(民主党元参院議員)、嘉田由紀子(元滋賀県知事、元日本未来の党代表、自民の一部が支援、社民支持)、川田龍平(維新の党参院議員、元大学非常勤講師、薬害HIV感染被害者)らの支援や、横浜市議会での日章旗掲揚への抗議活動などで話題となっている。
○新党護憲リベラル、平和:市民、憲法みどり農の連帯
1993年の小選挙区制導入の際、導入に反対した社会党の一部議員により参院会派「護憲リベラルの会」が結成。後にその会派と「大衆党」(旧MPD)を基盤に「新党護憲リベラル」が結党される。所属議員は田英夫、國弘正雄(通訳・翻訳家)、旭堂小南陵(西野康雄、講談師、後に旭堂南陵)、翫正敏(真宗大谷派僧侶)、三石久江ら。後に中尾幸則(元参院議員、後に札幌市長選に出馬・落選)と金田誠一(元代議士、元労組活動家)らが加入。政党助成制度には「不平等な制度」と反対していたが、活動資金はもっぱら政党助成金に頼っていた。
1995年参院選の直前、自社さ連立政権への評価をめぐる対立が表面化。自社さ連立政権を「民主リベラル政権」と捉え、広範な「市民派」政党を志向する田や國弘らの「平和:市民」と、自社さ連立も新進党も「保守反動」と捉え、革新的な護憲派政党を志向する翫らの「憲法みどり農の連帯」に分裂。
「平和:市民」は田、國弘、阿部知子(徳州会病院医師、「フロント(社会主義同盟)」活動家、後に代議士・社民党政審会長)らを擁立するが田以外落選し、解散。田は椎名素夫(後に「無所属の会」代表)らとの院内会派「参議院フォーラム」代表となり、後に社民党に復党する。中尾と金田は武村正義(元官房長官)や鳩山由紀夫(現民主党代表)らの「新党さきがけ」に移籍。旭堂は引退。三石は無所属となり、吉川春子(元共産党参院議員団長)らに同調するようになる。
「連帯」は翫や星野安三郎(憲法・教育法学者、立正大学名誉教授)、小林忠太郎(農業経済学者、日本大学講師)、尾形憲(政治学者、法政大学名誉教授)、梅津慎吾(元「青年新党ディスカバリー」代表)、佐々木信夫(元「進歩自由連合」、現「新党地球の福祉」代表)らを擁立したが、日本世直し党やUFO党の得票をも下回る大惨敗だった。その後は翫らと共に、いいだもも(飯田桃、元「共産主義労働者党」議長)と尾形を共同代表に、さらに生田あい(元「共産主義者の建党協議会」)らを迎え、新社会党の支援や護憲・平和・環境保護等を訴える市民団体として活動を続けている。なお、翫は後に新社会党から1996年衆院選にも出馬している。
「平和:市民」と「連帯」の分裂の際、庄幸四郎が「週刊金曜日」で「『連帯』は市民派を分断し、結集を妨害した」と主張するなど、特に「連帯」側へ非難が集まった。しかし翫は「政策を右傾化させ自民党に追従した田らにこそ分裂の責任がある」と猛反論した。因みに同選挙では上田哲(護憲新党あかつき元代表)らのいるスポーツ平和党や、小田々豊(「原発いらない人びと」「希望」元候補者)らのいる農民政党「いのちとみどりの市民・農民連合」も市民派と目されており、「市民派4分裂」と言われていた。
なお、当時社会党内で小選挙区制に反対した議員には、後に新社会党を結党する面々(矢田部理や岡崎宏美ら)や伊東秀子(後に自民党推薦で北海道知事選に出馬・落選)、西岡瑠璃子(その後社会党高知県本部委員長栗原透らと共に離党、98年参院選には「無党派と共産党の共闘」と銘打ち共産党推薦無所属で高知県選挙区より出馬、落選)らがいる。また、93年衆院選で落選した元議員では和田静夫(元副委員長。後に新社会党顧問、自由連合常任顧問を歴任)、馬場昇(元書記長。後に9条ネット世話人)、上田哲(元教育宣伝局長。離党後「護憲新党あかつき」や「社会党」などを結党)、高沢寅男(元副委員長、後に練馬区長選に出馬・落選)らがいる。
○新社会党、9条ネット
1996年1月、日本社会党の「社会民主党」(社民党)への党名変更とこれまでの路線転換(小選挙区制推進や自民党との連立政権など)に反発する議員・党員らにより「新社会党・平和連合」が結成。メンバーは矢田部理(委員長、弁護士。茨城県久慈郡大子町出身)、岡崎宏美(副委員長、代議士)、小森龍邦(副委員長、代議士)、山口哲夫(書記長、元釧路市長)、栗原君子(副書記長、参院議員)ら。翫正敏(「憲法みどり農の連帯」共同代表、真宗大谷派僧侶、元参院議員)や和田静夫(顧問、元日本社会党副委員長)らも参加。後に「新社会党」が党名となる。社民党は新社会党へ移籍した党員の離党を認めず、除名処分としている。
旧社会党の派閥で最左派の「社会主義協会」、さらにその中でも左派色の強い「坂牛派」(旧向坂派)の影響を強く受けており、「資本主義の枠内の社会福祉より、社会主義社会を」と訴えている。但し福祉政策を全否定しているわけではない。また、小森龍邦(元代議士、副委員長、委員長を歴任)が元書記長で現在広島県連顧問を務める部落解放同盟の影響も一定受けている。主な関連団体として全国労働組合連絡協議会(全労協)、日本社会主義青年同盟(社青同)の一部、広島県教職員組合、「憲法を生かす会」など。
以前は政党交付金で潤沢な政治資金を確保していたが、相次ぐ落選で国会での議席が無くなり、交付金支給は打ち切られた。さらに2001年参院選での供託金や広告料等が高額となり、財政的には困難な模様。しかし、地方議員を200人前後(推薦・支持含む)抱え、千葉県長生村には党員の村長(共産党らも支持)がいた。沖縄の地域政党「沖縄社会大衆党」は友党であり、候補者を立てない選挙では主に社民党候補を支援したり、共産党候補を支持したりしている。現在の主な役員は委員長に栗原君子、副委員長に原和美など。原はテレビ出演も増えており、知名度も高まっている模様。
2007年には「護憲を標榜する全勢力の結集」を謳い、「平和を実現するキリスト者ネット」(キリスト者平和ネット)や環境政党「みどりのテーブル」関係者とともに「9条ネット」を設立。天木直人(作家、元外交官)、石川一郎(元山形県鶴岡市議、福祉団体理事長)、栗原君子(新社会党中央委員長、元参院議員)、小松猛(元愛知県豊明市議)、小山広明(元大阪府泉南市議)、ZAKI(野崎昌利、半農シンガーソングライター、TV朝日「銭形金太郎」出演)、鈴田渉(大学院生、憲法学・平和学専攻)、成島忠夫(元三派全学連副委員長、不動産会社社長)、藤田恵(元徳島県木頭村長、みどりのテーブル徳島代表)、原和美(元神戸市議、新社会党兵庫県委員長)を擁立、川田龍平(大学非常勤講師、人権活動家)、服部良一(市民運動家、社民公認)、友近聡朗(元サッカー選手、民主・社民・国民新党推薦、世襲)ら社民党系候補を中心に推薦・支援をした。ZAKIが「アメリカのポチ(自民党)をぶっ倒せ!」と叫ぶ政見放送が話題となったが、川田と友近以外当選者を出せなかった(当選後川田は渡辺喜美らの新自由主義政党「みんなの党」に入党)。また、天木は選挙中から「当選したら9条ネットではなく『天木新党』として活動する」「日米同盟に与しない保守2大政党制を目指す」と発言していたことや、小山が「和歌山毒カレー事件」被告人の冤罪救援活動を行なっていることを理由に、一部週刊誌が「被告人が『冤罪防止』『死刑廃止』などを掲げ獄中立候補するのではないか」と報道したことなどが物議を醸した。9条ネットは共産党・社民党にも参加を呼びかけたが、両党とも拒否した。9条ネットは愛媛のみ解散したが、それ以外の地域は現在も活動中。
その他、新左翼系で各種選挙に出馬した者では、成田空港建設反対闘争に参加したクリスチャンの戸村一作(農民運動家・農機具販売業・画家・彫刻家)、社青同解放派系で「議会にゲリラを!」と訴え、荒畑寒村や小田実、羽仁五郎、戸村らの支援を受けて出馬した高見圭司(「革命的労働者党建設をめざす解放派全国協議会」(通称「社青同解放派・労対派」)最高指導者)、愛知を中心に活動する新左翼思想家の牧野剛(予備校国語講師)などがいる。
さらにノンセクト・アナキスト系では、「神軍平等兵」を名乗り、昭和天皇へのパチンコ(投石器)での襲撃や皇族コラージュのポルノビラまきなどの過激な反天皇制活動を行ない、衆院選・参院選に出馬、映画「ゆきゆきて、神軍」「神様の愛い奴」などで有名な奥崎謙三(元バッテリー販売業)、学生時代は「法政の貧乏くささを守る会」「全日本貧乏学生総連合」(全貧連)を結成、現在は「素人の乱」「貧乏人大反乱集団」などを立ち上げ、リサイクルショップ経営やネットラジオ運営、そして「鍋闘争」などアナーキーな活動を行ないつつ東京都杉並区議選に出馬した松本哉、ノンセクト系学生運動家を経て大阪府門真市議選に当選し、ネット上での尊大・傲慢な発言の数々で知られる「ヒゲ戸田」こと戸田久和などがいる。
党派としては、中野重治(作家、元参院議員)らも所属した親ソ連派の「日本共産党(日本のこえ)」(こえ派)もあった。こえ派は全議員の引退・落選後「平和と社会主義」と改称、活動が先細るが、上田卓三(後の社会党代議士、秘書に現自民党代議士の谷畑孝ら)など部落解放同盟の主流派に大きな影響を与えた。こえ派と共闘していた学生組織「民主主義学生同盟」(民学同)の多数派「民主主義の旗派」は、「MDS」(民主主義的社会主義運動)として無防備地域宣言条例制定運動などを推進している。