國士たち
◎國士たち
國士たち(即ち右翼勢力)は民主主義に懐疑的であり、出馬はもっぱら当選を度外視して自らの主張を伝播させるためか、野党や革新政党への妨害を目的としていることが多かった。しかし近年は議席獲得を夢見ての出馬も増えてきている。
○政事公団太平会
マスダシン一(増田眞一、本名は「ますだ・みちかず」)らを中心に結成。主に京都で活動。代表者マスダの肩書きは「同人」。
政見放送では、満面の笑みをたたえ合掌しながら「天皇陛下は、神様です。」と力強く訴えた。また、右翼系でありながら「再軍備反対」を訴え、「憲法9条は天皇の願い」と護憲を唱えるなど、異色の存在だった。他には「皇居遷都」「理想選挙」「高齢者の高齢者による高齢者のためのまつりごと」「党利党略より政事公団」などと主張した。
○大行社
1924年、清水行之助らを中心に、「国粋ファシスト」を名乗る右翼団体「大化会」(現在は暴力団山口組系)より分裂して設立。後藤新平らの支援を受けていた。その後長らく休眠状態にあったが、1981年岸悦郎らにより再建。現在は暴力団稲川会系。
1989年参院選には「大行社政治連盟」として出馬し、石川佐智子(「日本教育正常化連盟」代表)、千葉佳男(元社会党代議士、後に自由連合から再出馬)らを擁立。消費税導入に批判的な世論を非難するなど、体制寄り・政府与党寄りの姿勢を貫いた。源田実(元自民党参院議員、元海軍将校)らから推薦されるも、全員落選した。2000年衆院選にも1人擁立、落選。
機関誌「大吼」(「大声で叱る」の意)は都市部の大手書店でも販売されており、右翼団体機関誌としては入手しやすい。
余談ではあるが、元自民党代議士で通称「悪党党幹事長」の浜田幸一は母体の稲川会出身であり、思想的には大行社とも近いと考えられている(因みに芸能事務所「バーニングプロダクション」社長周防郁雄は浜田の元運転手)。また、右翼団体「日本皇民党」による「竹下登褒め殺し事件」を打開したのも稲川会であるとされる。さらに、暴力団系ということもあってか、大行社構成員による殺人事件(1986年)や発砲事件(2004年)なども起きている。
○大日本愛国党
赤尾敏(元代議士)らを中心に結党。当初赤尾は左翼思想に傾倒していたが、逮捕をきっかけに右翼に転向。出獄後右翼団体「建国会」設立。翼賛選挙では大政翼賛会非推薦候補ながらも当選。第2次世界大戦前から親米反共を主張し、対米開戦に反対した。
公職追放を解除された1951年、愛国党結成。赤尾は総裁に就任。後に浅沼美智雄(元社会党杉並区議、後に「大日本愛国団体連合・時局対策協議会」(時対協)最高顧問)を参与に迎える。その後数寄屋橋での街宣活動とともに、国政選挙および都知事選に多数出馬。主張は戦前と変わらず親米反共路線であり、韓国にも友好的だった。また、参院不要論を唱え、参院選では自身への投票も許さず棄権するよう訴えた。泡沫候補扱いされることには怒りを露にし、政見放送で「誰が泡沫だ!この与太者!」と一喝した。
数寄屋橋での街宣活動は毎日欠かさず行なわれた。選挙出馬は選挙期間中にこの街宣を途切れさせないためだとも言われる。お笑いグループ大川興業は演説をする赤尾の前で彼らを讃える踊りを披露したが、党員に拳銃を突きつけられたことがあるという。
浅沼稲次郎(美智雄の親戚、当時の日本社会党委員長)刺殺事件の犯人山口二矢、嶋中事件(中央公論社社長嶋中鵬ニ宅に侵入し、社長夫人および家政婦を死傷させた事件)の犯人小森一孝も元愛国党党員だった(両者とも犯行直前に離党)。これらの事件に関連し赤尾も逮捕されている。また、松岡利勝(元農水相)も高校生時代に愛国党への入党を志願したという。
赤尾の死後、愛国党は総裁長男派、書記長派などに分裂。近年は選挙への出馬もなく、活動は縮小傾向にある。
赤尾の弟と長男は警備会社のテイケイ(帝国警備保障)や不動産会社など、いくつかの会社を経営している。テイケイは労働争議や学生運動への弾圧活動でも知られる。
つまみ枝豆(お笑い芸人)も所属歴のある右翼団体「防共挺身隊」は、愛国党および右翼団体「防共新聞社」の青年部隊的な組織だったが、挺身隊が山口組系暴力団との関係を深めていくことに愛国党ら側が反発。現在は対立関係にある。
○日本革新党
赤松克麿(元代議士、元日本共産党中央委員)、江藤源九郎(元陸軍将校、後に代議士)、佐々井一晁(農本主義系の右翼活動家)、菅舜英(浄土真宗僧侶、社会民衆党出身)らを中心に1937年に結成。国家社会主義および日本主義を掲げる。「革新」は左派という意味ではなく、戦前の右翼系官僚「革新官僚」などと同じく「国家統制」を意味する。
1940年に一旦解散するが、戦後に復活。現在は宮城・東京・福井・京都・大阪などが主な活動拠点。1959年都知事選で党代表筑紫次郎を無所属で擁立したが、それ以降選挙への出馬の動きは見せておらず、現在は改造バスによる企業ビル襲撃など、街宣活動が中心となっている。近年は東日本大震災への物資援助活動なども行なっている。
○日本青年社
暴力団住吉会系。1961年に「楠皇道隊」結成。当初は児玉誉士夫に連なる「全日本愛国者団体会議」(全愛会議)および「青年思想研究会」(青思会)に加盟していたが離脱。1969年、「日本青年社」に改称。
1989年参院選に候補者を擁立するが、全員落選。1992年参院選では「風の会」を支援した。その後は雑誌「噂の眞相」編集部襲撃や、「救う会」地方組織の幹部として拉致問題に関する署名活動などを行なっている。
「有栖川宮」を自称する人物を名誉総裁として迎え入れていたが、10月1日の任期満了直後に詐欺容疑で逮捕されている。また、同時期に副会長が恐喝容疑で逮捕されている。
尖閣諸島・魚釣島に設置されている灯台は青年社が建てたもの。また、このとき島内にヤギを持ち込み放置したため、島固有の動植物は絶滅の危機に瀕しているという。
現職・元職議員として活動する社員により「日本青年社議員同志連盟」が結成されている。主な構成員は米田建三(元自民党代議士、元自由党柿澤派所属)、白井常信(元公明党都議会議員)ら、与党系・保守系議員が多く加入している。また、自由連合より参院選に出馬した佐山聡(格闘家)や石原慎太郎(作家、代議士、元東京都知事、元参院議員)らとの親交もある。
茨城県那珂郡出身で、「反ソ決死隊」を名乗った極右活動家の深作清次郎も社友(準構成員)であり、東京都知事選には青年社推薦で出馬した。深作は右翼思想を持つしょむ系候補の連合組織である「議会主義政治擁護国民同盟」(大日本青年独立党)、「日本国民政治連合」などにも関わった。
○風の会
1992年、全右翼勢力の結集を目指して設立。代表は河野一郎(元建設相)宅放火事件や経団連会館襲撃事件等で知られる野村秋介(新右翼団体「大悲会」代表、愚連隊出身)。衛藤豊久(当時の「日本青年社」会長)らは全面支援を表明し、清水宏次朗(俳優・歌手)らの支援も受けた。
横山やすし(漫才師)も候補者の1人となり話題となった。主な政策は「国際会議等での日本の表記を『Japan』ではなく『Nippon』に改めさせる」など。しかし山藤章二から「週刊朝日」連載内で「虱の党」と揶揄される。結果は全員落選。落選会見で横山は「国民が、アホや!」と激怒した。
翌年の1993年、野村は朝日新聞社社屋内で抗議のピストル自殺。没日である10月20日は「群青忌」と呼ばれ、追悼イベントが開かれている。
野村は鈴木邦男(「一水会」顧問)らと並ぶ新右翼活動家の大物だったが、「右翼」と呼ばれることを嫌い、「民族派」「新浪漫派」を自称した。また、安重根(伊藤博文を暗殺)を「憂国の志士」と讃えたり、獄中で看守に虐待されていた在日韓国人受刑者を助けたり、「黒シール事件」(石原慎太郎の公設秘書兼鹿島建設社員が、朝鮮籍から帰化している新井将敬を中傷するシールを選挙ポスターに貼り現行犯逮捕された事件)では石原に直接抗議したりするなど、朝鮮に対し一定の理解を示してもいた。
○平成維新の会
大前研一(経営コンサルタント)らにより設立。当初は議員の政策格付け団体であり、既存の政党所属の候補者に推薦を出すようにしていた。事務総長に茂木敏充(現自民党代議士)、事務局長に長島昭久(現民主党代議士)、事務局長代理に長妻昭(元厚生労働相)、事務局次長に風間直樹(現民主党参院議員)、事務局員に花咲宏基、顧問に岩國哲人(元民主党代議士、元出雲市長)、横路孝弘(元衆院議長、民主党)らがいた。政策スタンスは新自由主義であり、「企業活動の規制を全て撤廃し、政府の活動を徹底的に制限する」夜警国家的な社会を理想としていた。スローガンは「生活者主権」。
議員格付けが党議拘束により上手くいかなくなったため、1995年参院選には比例区より独自に出馬。三浦雄一郎や長妻らを擁立するも、1人も当選せず解党。その後大前は政治家養成機関「NPO法人・政策学校一新塾」を設立、渡嘉敷奈緒美(元自民党代議士、元杉並区議、薬剤師)ら、議員の輩出に力を入れている。
○青年自由党
中村功(東日本ハウス創立者、「けんじワールド」「銀河高原ビール」「大江戸温泉物語」なども経営)らにより設立。保守・右派系の政治家養成を目的とする勉強会「漁火会」が母体。漁火会は設立当初「青年会議所(JC)、松下政経塾に並ぶ政治家養成組織」として「JNN報道特集」(TBS系)などで取り上げられた。
95年参院選より本格的に選挙へ出馬。「偉人伝教育」(歴史教育は物語性を重視し、偉人伝で行なう)、「緑のPKO」(環境関係など、非軍事面でも自衛隊を積極的に海外派兵)など、政策は自民党右派の主張を概ね踏襲するものだった。しかし全員落選。
その後、東日本ハウスがスポンサーとなった映画「プライド・運命の瞬間」「ムルデカ17805」の興行失敗により財政が逼迫、次第に活動が先細っていく。現在は党機関紙だった「漁火新聞」が、「経営者漁火会」機関紙として細々発行される程度である。党員の多くは自民党や維新政党・新風に移籍している模様。
功の長男、中村力は1993年衆院選に無所属で当選。院内会派「自民党・自由国民会議」所属。96年以降自民党の公認・推薦候補として数回国政選挙に出馬するが、いずれも落選している。他の党員では、中武賢臣(青年部長、政党「サムライ」メンバーとして都知事候補宮崎喜文を支援)は「維新政党・新風」青年部長に就任し、参院選出馬、落選。佐藤克男は離党後、北海道森町長選に出馬、当選。鈴木尚之(元鉄道労組書記長、後に西村真悟事務所顧問・「新しい歴史教科書をつくる会」事務局長)は西村の非弁行為の証拠隠滅を図り逮捕。木村岳雄(予備自衛官)は「救う会」地方組織理事として拉致問題関係の活動をしていたが、「建国義勇軍」「国賊征伐隊(朝鮮征伐隊)」(「刀剣友の会」関連組織で、西村真悟を名誉顧問とする「日本人の会」が母体)による発砲・脅迫・放火事件に関わり逮捕されている。
○維新政党・新風
1995年、新右翼活動家魚谷哲央(実業家、神職)らにより結党。当初は魚谷の活動拠点である京都に本部を置いていたが、2008年東京に移転。
「風の会」と同じく、反米反共・ヤルタポツダム体制打倒を掲げる新右翼系だが、自民党、民主党、民社党(民社協会)、青年自由党出身者も多い。軍備増強、在日外国人排斥、核武装、宗教団体規制、消費税増税、同性愛処罰、児童ポルノ規制反対などの政策を掲げる。
支部は全国に35ヶ所前後あり、選挙活動は1998年よりスタート。出馬は参院選と地方議員選のみで、衆院選や首長選には出馬しておらず(但し、大阪府知事選で橋下徹を推薦するなど、他党候補の推薦はある)、公認候補の当選者は1人もいない。2001年には西村修平(元党千葉県本部代表)、川久保勲(元党神奈川県本部副代表)ら新風党員による集会妨害事件が起き、威力業務妨害罪や傷害罪で逮捕され、後に有罪判決を受けている。また、2009年には千代信人(元党北海道本部代表)が詐欺罪で逮捕されている。
2004年には中武賢臣(元青年自由党)を青年部長に迎え、「ライブ・平成維新」なるロックコンサートを開くなど、この頃から若者の取り込みに力を入れるようになる。さらに近年は瀬戸弘幸(ネオナチ団体「世界戦略研究所」代表、恐喝・傷害・威力業務妨害で逮捕歴あり)を広報委員(後に副代表)に迎え、「コヴァ」と呼ばれる「ゴーマニズム宣言」「わしズム」(どちらも小林よしのり製作)読者、「ネット右翼」(ネトウヨ)、オタク(ヲタク)、ニート(若年無職者)など、ルサンチマン(自己欺瞞を含む劣等感、羨望、嫉妬)を抱える人々の結集に力を入れるようになる。それに伴い、政策も伝統的な反米右翼から、ナチズム的な排外主義や他者蔑視、統制志向を強め、反権力志向から政府与党寄りの権力志向へと移行している。従軍慰安婦問題について言及する女性を「淫売ババア(売春ババア)」、毎日新聞を「変態新聞」など、対象を強烈な侮蔑的文言で非難する活動も活発。さらに、活動資金調達のために、ブルーベリー風味のゼリー「ナノゼリー」をマルチ商法で販売する計画や、「パナウェーブ研究所」(「千乃正法」「タマちゃんのことを想う会」)などと同じく「電磁波攻撃」に抗する活動も行なっている。
増元照明(拉致被害者家族会事務局長、自民公認漏れ)、東條由布子(本名:岩浪淑枝、元新風講師、東條英機の孫娘)、小川卓也(元アメリカ外交官)、十河豊(翻訳業)、佐々木賢治(投資会社社長、学生時代は学生運動妨害で名を馳せる)、平松重雄(「憲法改正同志会」会長、ねずみ講「国利民福の会」「天下一家の会」等に関与)、藤本豊(「市政の友の会」代表、福岡の右翼活動家)など、政策・主張の重なっている候補者へも対立候補をぶつけることが多く、大抵はその対立候補より少ない票しか得られない状況が続いている。そのため、主張の近い対立候補がいる地域では、独自候補を立てず対立候補を公認・推薦・支持・支援すべきとの意見も少なからずある。ただし東條については、兵頭二十八(よろずライター、自称「軍学者」)が「東條は保守派の運動を自分の商売に利用している」と非難し、支援しなかった新風を擁護している。
長らく選挙区・比例区共に最下位が定位置だったが、2007年参院選のみ、比例区で共生新党を抜きブービーだった。
党友には西村真悟(元改革クラブ代議士)、若泉征三(民主党代議士)らがおり、赤池誠章(元自民党代議士、松下政経塾出身、元民主党)らとも親交がある。一方、小山和伸(経済学者、神奈川大学教授、元副代表)のように、自民党など他党に移籍する者もいる。大規模な講師団を抱えており、講師には東條や兵頭のほか、田中正明(「株式会社イオンド大学」教授)や戸塚宏(戸塚ヨットスクール校長)らがいる。
○共生新党
財界・宗教系右翼団体「日本会議」代表委員で建築家の黒川紀章が、盟友石原慎太郎の都知事多選阻止を目指して結党。2007年の都知事選と参院選に出馬した。
参院選の候補者には若尾文子(女優、黒川の後妻)や元地方議員、自民党公認漏れの選挙出馬経験者などもいた。ガラス張りで円形の選挙カーやクルーザー、飛行機などを使った派手なパフォーマンスを展開したが、得票増には余り効果を発揮できなかった。結果は最下位で全員落選。毎回最下位だった維新政党・新風にすら負けるという大惨敗だった。
黒川は2009年衆院選にも出馬への意欲を燃やしていたが、2007年10月12日死去。都知事選出馬から死去までの期間が短かったことから、「突然の活発な政治活動は、自身の死期を悟ってのものだったのでは」との見方もある。黒川の死去後は共生新党のサイトも閉鎖され、事実上活動停止状態となっている。
○辻山清
奈良県の右翼活動家。水戸黄門や月光仮面のコスプレで政治活動を行なったことで知られる。
居住地の奈良県では、各地の自治体選挙に「無投票阻止」を掲げて出馬。現職が市町村合併賛成派なら「合併反対派」、反対派なら「合併賛成派」という団体名で出馬した。ポスターには水戸黄門に扮した自身の写真とともに、毎回独特の字体で「県政(市政、町政、村政)スッキリ!」と書かれていた。県内で複数の自治体で同時に選挙があるときは、親族と考えられる辻山信子、辻山とよも出馬していた。
また、「政治団体無党派」「庶民の声」「消費税反対党」「選挙監視委員会」「日本労農党」(日本社会党の母体となった戦前の政党とは無関係)「自民党奈良県本部」(自由民主党奈良県支部連合会とは無関係)「新日本共産党」(日本共産党とは無関係)など、多くの政治団体で代表を務めていた。「大日本菊水会青年隊」隊長時には、日本共産党京都府委員会に模造刀持参で立てこもり、逮捕されたこともある。
2006年病死。布団の中で冷たくなっているところを親族に発見された。当時の報道では1990年頃に離婚していたこと、月光仮面の衣装は元妻の手作りだったことなどが明かされた。
他にも「世界連邦」の南俊夫、総会屋系の河野孔明や品川司、小田天界・俊与兄弟、右翼の大同団結を目指した「大日本青年独立党」(後に「議会主義政治擁護国民同盟」)の清水亘などが活発に活動していた。福田拓泉(勝美)・福田撫子(厚子)夫妻は「田中角栄を政界から追放する勝手連」「社会を明るく住みよくする全国婦人の会」「正義と人権を守り明日の日本を考える救国斬奸党」「全婦会救国党ミニ政党悪税消費税反対大連合」など、非常に長い名前の団体をいくつも設立して繰り返し選挙に出馬した。さらに元自衛官による「国際政治連合」、丸山和也(弁護士、後に自民党参院議員)ら弁護士による「新政クラブ」、本島等長崎市長(当時)銃撃事件など、数々のテロ・犯罪行為で話題となった「正氣塾」、そして「大日本誠流社」、「アジア建国党」など、微少な右翼・右派団体が多数選挙に出馬している。
また、田川誠一(元自治相、元新自由クラブ代表)が「自民には戻らん」と結党した「進歩党」からさらに分裂し、憲法9条改定・自衛隊海外派兵自由化を訴えた「進歩自由連合」、「江川卓に似た自分の顔つきが悪人と思われるのは共産党の陰謀」と主張した新井泉(元大学院生)、新左翼からエコロジストを経て反ユダヤ主義と陰謀論を主軸とする国粋主義者に転向し、「地球維新党」を結党し「週刊日本新聞」を発行する太田龍(太田竜、栗原登一)、自民党に公認申請を度々却下されつつも、政見放送で「(自分に)入れないと見捨てちゃうぞ」と訴えた通称「泡沫の星」山口節生(不動産鑑定士)、アナキストからファシストに転向し、政見放送で「こんな国滅ぼせ!」と訴え中指を立てた外山恒一、「部落解放同盟反対」を掲げる高校生サークルからスタートし、結党時は殆どの党員が被選挙権を持っていなかった「日本公進党」などが近年特に注目されている。「発明政治」「新自民党」などを組織し、選挙に勝つ発明「ヒョークル」「TOSEN」を開発したにもかかわらず毎回落選しているドクター中松(中松義郎、発明家、幸福実現党特別代表)も、右翼的言動で知られる。