怠け浪人生の啓蒙書
前書き
まず、この書の題について説明しよう。
この書を見たものはこう思うであろう。「怠け浪人生も何も、怠けるから浪人生に成り下がったのであり、怠けていない浪人生などおらぬだろう。分かったら勉強しやがれ、この浪人生風情が!」と。
しかし、ちょいとお待ち頂きたい。焦るな、怠けよ。既に皆さんもご存じであると思うが萩原師の御言葉には、このようにある。
「世の中には2種類の人間がいる。怠ける者と勤勉な者だ。この両者は常に数が均等でなくてはならない。故に、誰かが勤勉な者の道に進むことを選んだその瞬間、他の誰かが怠けの道に進むことを強制される」と。
つまるところ、私は怠けの道に進むことを強制された存在なのだ。嗚呼、悲しき我が半生。
つまりこの書物は私が怠けの悲しき人生に至るまでの書物である。途中、目を背けたくなるほどに辛い怠けの罠もあることだろう。真面目で聡明で理知的で神童にして人好きのする私が、何ゆえ、怠ける事を余儀なくされたのか、そこから学ぶことは何なのか?是非、読み取っていただきたい。そして、この書物が新たな被害者への救済とならんことを。 米野 竜太
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私の身に不幸にも怠けが降り注いだのは忘れもしない中学二年の夏のことである。あの日、私はいつものように授業を受けていた。
ふと気がつくと、私のノートの上を赤鬼と青鬼がダンスしていたのである。比喩表現などではない。赤鬼と青鬼がその手と手をとって仲良く踊っていたのだ。
赤鬼も青鬼も大きさは飴玉を2つ重ねた程。小さな角が生えており、一見してこの世のものではないと分かる見た目であった。
ややあって、青鬼が言った。
「汝は怠け者に選ばれた。これまでの暮らしは出来ぬと知れ。」
続けて赤鬼が言うには
「これは世界の理であり、決して抗うことのできぬ規則である。諦められよ。」と。
この授業の此処からの私の記憶は無い。私はこの日初めて居眠りというものをした。あの白昼夢はその後も度々私を悩ませる。
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初の居眠りをする数日前、私の元に一通の手紙が来ていた。差出人は「怠道勧誘担当部」とあった。あまりにも珍妙にして奇妙なその手紙にはこう書かれていた。
「怠道生募集中!日々の生活を天に任せ地に委ね、川に流れる一葉の如く流れに漂い、世間の荒波を飄々と避けて生きる怠道にて汝の人生を変えてみてはいかがか?入信希望者は不動明王邸宅まで。」
この手紙を私はそっとゴミ箱へ投げ入れた。
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当時、察しの良かった私は手紙と青鬼・赤鬼コンビは、決して無関係ではあるまいと判断した。そして、ゴミ箱を漁り、翌日に木曽清流荘へと向かったのであった。
私が不動明王の家に行くとそこには萩原師も居られた。手紙について訪ねると萩原師が言った。
「私は見込みのある者の所にのみ手紙を投函させることにしている。つまりは、そういうことだ。」と。
ついで、不動明王曰く、
「入道せずとも怠けに関して質問、疑問、悩みなどあれば我々が答えてしんぜよう。何かあるだろうか?」と。
私は、先日の青鬼と赤鬼について話した。すると萩原師がお答えになった。
「ふむぅ。そいつらと出会ってしまったか……。」
私がどういう奴等なのかと尋ねると、
「そいつらは睡魔と怠魔という。彼らは常世全ての怠けを司り、勤勉な者と怠け者のバランスが崩れたとき怠け者を生むために現れる存在だ。彼らに目をつけられたら最後。例え、趣味が資格取得、仕事が恋人、睡眠時間は三時間という者でも立派な怠け者になると言われている。諦めたまえ。」とおっしゃった。
しかし、と萩原師は続けた。
「一つだけ救われる方法がないわけではない。」
私がその言葉に興味を示すと萩原師は続けられた。
「怠道にはいりたまえ。自ら積極的に怠けてしまえば真面目な自分との葛藤に悩むこともない。怠けを受け入れよ、抗っても逃れられぬ。怠けを愛し、勤勉を拒否すれば、助からざれども救われる。」
私は詭弁だと萩原師を非難した。今思うとなんと愚かだったのだろう。しかし、萩原師は怒ることなく静かに
「詭弁上等。」と呟いた。
萩原師の懐の大きさに感謝。
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その日、私は怠道に入ることをしなかった。
そして、怠道を否定して過ごすこと4年。
私は高校受験を乗りきり、高校3年生になった。
しかし、大きな問題が発生した。私は高校3年間を寝て過ごしていたのである。幸い、生来の人好きのする性格のおかげで教師からの覚えは良く、本来許されぬ事であろうが、成績を砂糖菓子の如く甘くつけていただけた。有り難い反面、このような成績で受験に向かわせて、どうするつもりだという怒りとも呆れともつかぬ思いもあった。
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案の定私はどこの大学にも受からず浪人生と相成った。
教師共はこの頃になって「ほら、怠けているから!」などと抜かし始めた。
えぇい!何と無責任な!そもそもこの私の成績に「4」をつけたのは誰だったか思い出せ!そしてその事を恥じよ!
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さて、浪人生に成り下がった私は再び木曽清流荘を訪れた。ただの浪人生として過ごすよりはマシだろうと救いを求めたのである。
幸いにして、萩原師は私を快く迎えてくれた。
師が言うには、私のように怠けを強制された者は被害者でしかなく、そのまま何事もなく行けば人生で成功を修めていた可能性が濃厚だったのだという。
どこぞの勤勉な道を選んだ者に不幸あれ。そして、不幸の後には私の分まで幸せに生きよ。怠けることは許さない。
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怠道入道から3年。
今でも、私は怠け浪人生として大学受験を毎年受けている。無論、怠道で怠けを専門に生きている私が受かる筈もなく、毎年落ちているのだが、しかし受かった所で通学しない気もするのだからこれはこれで構わない。怠け浪人生が受かってしまっては浪人生でなくなるのだから。
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あとがき
さて、新たな被害者の為に救われる方法を簡単にまとめておくとしよう。
第1に、助かることを求めるな、救われる事を求めよ。
第2に、全て受け入れて怠けよ。
第3に、勤勉者の不幸を祈れ、されど幸福も祈ってやれ。
以上で、本書のあとがきとさせて頂く。
怠道候補生のご愛読に感謝
米野 竜太