怠惰学生の気の迷い
この世に生を受けて18年。男は世間で言うところの大学受験生などという立場に追い込まれてしまった。しかし、既に怠けを極め、海水に漂う海月の如く流れ流され生きてきた男は受験だからと勉学に勤しむことを良しとしなかった。
その結果2学期後半に、男は勉学に勤しんだ周囲のクラスメイトに次々置いていかれ中堅に位置していた男の勉学的地位が岐阜県の「養老乃瀧」の如く落ちたことは言うまでもない。
さらに運の悪い事に男は非常に傷つきやすい癖に無駄に高いプライドを持っていた。ええい、なんてはた迷惑な男!人類の平穏のために誰にも迷惑を掛けぬようひっそりと死ぬがよい!
つまり、男はそのプライドの為に登校すらも拒否し、自堕落な生活を送っていた。世間一般でいうところの引きこもりである。男は人生に絶望しながらしかしそのスカイツリーの如きプライドが邪魔をし死を拒み、毎夜起床しては思春期男子の心を満たす肌色率の高い画像を検索し、毎朝就寝しては、必死に登校という現実から逃げていた。
……ここで皆さんに一つネタバレをしよう。
愚かな者は戦慄せよ!
賢き者は震慴せよ!
皆さんが知るべき真実、それは
男とは悲しいかな私の事であった。
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私がいかほどの怠けっぷりであったかをお話ししよう。
とは言え、いくら怠けを極めた私といえども産まれたときから怠けていたわけではない。
産まれた直後は怠けることなく泣き叫び、小学校入学前には、年一回の「おゆうぎ会」にて主役をはり、小学校では6年間の皆勤賞を授かり衆人環視の中校長から「見事である。」とお言葉を頂いた。
ならば、私がこのように怠惰という茨にして不毛の道に足を踏み入れてしまったのはいつであるか。
そう、中学時代である。何があり、怠けの道に通称「怠道」に入ったかはここでは深くは語るまい。しかし、この話の便宜の為に少しお話しするならばある人物との出合いがきっかけである。
彼の名は「萩原 仙一」といい、多くの怠道の弟子を有している。
何を隠そう現在引きこもりである私が外に出る唯一の理由が師匠に会うことなのだ。
そして、実際今私は彼に会うために移動しているのである。
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怠道の師匠である萩原氏は、私の住むボロアパート「木曽清流荘」の302号室に住んでいる。しかし、このアパート、清流とは名ばかり。清さの欠片もなく天井には蜘蛛、壁にはヤモリ、床にはゴキブリの住み着くボロアパートの名に恥じない六畳一間である。
しかし、我等、怠道家はこの木曽清流荘の302号室を道場と呼び、木曽清流荘を本山と崇め、そして私のように木曽清流荘に住まう怠道家を名誉生として羨んでいる。
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「師匠!萩原師匠!」
師匠は私のノックに一度で応じた事が一度もない。
曰く「ノックに応じて玄関まで行くのは怠けの精神に反する。」だそう。流石、萩原師匠。金言である。
「師匠!起きていらっしゃいますか。師……」
「やぁ、君かね。どうした?そんなにノックを繰り返すのは怠道精神に反するぞ。」
私のノックが15回目に達しようというとき道場の扉が開かれた。
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私は、どう切り出したものかと思案し、師匠の部屋の鏡餅を見つめた。因みに現在世間は11月である。
師匠は、「出すのも仕舞うのもめんどくさい。」と言い、狭い六畳一間がさらに狭くなるのを厭わず、鏡餅、クリスマスツリー、五月人形、短冊付きの笹と言った季節の物を常に飾っている。(勿論、鏡餅はレプリカである。)
しかし、いつまでも黙って師匠が怠ける時間を取らせては申し訳ない。意を決して口を開いた。
「師匠、今回私は怠道的に反する相談をしに参りました。」
「ほぅ。他ならぬ君の相談だ。聞こうじゃないか。」
「ありがとうございます!では、早速。」
「うむ。話したまえ。」
「実は……私は今の生活に疑問を抱いているのです!」
「ふぅむ?」
「私は中学時代、当時大学2回生である師匠の生き方に惚れ込んで師匠の提唱する惰性的学生生活を貫いて参りました。しかし!センター受験まで残り2ヶ月となった今私はこのままではろくな人間にならぬのではと考えるに至ったのです。」
「成るほどね。まぁ、怠け続けた私は今でも2回生だが……。そんなことはどうでも良いか。しかし、既に君は2ヶ月高校を休んでいる。しかも3年生のこの時期に、だ。とても遅れを取り戻せるとは思えないね。それに1学期に貯金も無いだろう?」
「それはそうですが……。」
「諦めて流れに任せたまえ。一度怠道に入った者にその後の成功はあり得ない。怠道を探求し、怠道の中において上を目指し、怠道という負の中に勝を得たまえ。」
「それではならぬと気づいたのです!……と思います。」
「ほら、もう揺らいでるじゃないか。わかりたまえ。君に社会復帰はあり得ない。」
「しかしこのままでは私は」
「ならば、一度明日登校してみるがいい。いかに阿呆な考えを持ったか分かるだろう。」
「良いのですか?それでは怠道に反することに……。」
「君は怠けている自らを正したいのだろう?なら、やってみるがいい。安心したまえ、心配することはない。怠道を志した者ならば一度は通る道だ。」
「わかりました。やりましょう。」
「予言しよう。君は明日きっと教室の床を踏むことはない。それどころか上履きを履くことすら出来ないだろう。」
「何故その様なことを仰るのです!」
「理由は2つ。一つは君がまだ私を師と仰いでいるから。もう一つは……私自身が経験しているからだよ。」
「いったい何を経験しているというのですか!」
「こればかりは君自身が確かめるしかない。しかし、間違いなく君は自らの選択を後悔する。その時はまた私を頼りたまえ。」
「大丈夫です。それではまた機会があれば。」
「うむ。もしかしたら最後になるかもしれない怠けを楽しみたまえ。」
「ありがとうございます。」
こうして私は萩原師匠の部屋を後にした。さらば、怠道道場。二度と踏み入れることなき六畳一間に心の中で涙を流し302号室から我が愛しき六畳一間である202号室へ帰宅した。
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私は愛しき六畳一間にて最後の怠けを存分に楽しんだ。あぁ、この万年床で午前11時に眠るのも今日が最後か。夜になると食事を摂ってすぐにもう一度眠る事とした。明日は早い。ゆっくり眠って起きたあとは学舎に向かわねばならない。久々に登校した私を見て皆は驚くであろう。「今まで何をしていた」と笑う者もいるかもしれない。一体どうなるか分からぬが、しかし師匠のいう通りにならぬ事だけは確実である。私の意志はカルビンよりも硬いのである。
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寝坊した!……などという漫画的展開もなく、寧ろ遠足当日の小学生の如く早起きした私は優雅に朝食に白米と味噌汁を食べ、弁当を詰め込み少し早めに登校する事にした。職員室のお歴々にも挨拶をする必要が有るだろうと考えたためだ。
「では、行くとするか。」
一人呟き、鞄を手に取り靴をはいて、外に出た。
しかし、階段をおりて歩道を踏んだその瞬間である
「っ……!?」
かつて無いほどの恐怖感と不安感に吐き気が生じた。外に出るとはこんなにも恐ろしい物であったか?
前日までのウキウキわくわくとした感情など何処かへぶっ飛んでしまった。目が回る、頭痛がする、耳鳴りも、腹痛もする。このままでは、意識が、、、。
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……。此処は何処であろうか?私の万年床とは、似ても似つかない堅さの布団だ。万年床として敷かれている期間が違うことが分かる。目を開けてみた。五月人形が睨みをきかせている。
少し右には笹が生えていた。一体何事か?しかし、どこか見覚えが。
「やぁ、やっと気がついたかい?」
「萩原師匠!一体何故?」
「私が君を運んだからじゃないか。どうせこうなるんじゃないかと思ってね。」
「予想していらしたのですか。」
「ああ。昨日言っただろう。私も経験したと。」
「なるほど。」
「自分がいかに阿呆な考えを持っていたか分かったかい?」
「えぇ。もう外出は懲り懲りです。」
「どんな気分だった?差し支えなければ聞きたいんだが……?」
「地面に足を着いた瞬間、存在しないはずの嘲笑が聞こえました。クラスの人々の有りもしない噂話が聞こえました。あとは……。」
ここまで言って私は首を振ったこれ以上話したら、また吐き気がする。
「ふむ、では怠道を進むかね?これまでより真剣に怠け、これまでより全力で怠け、これまでより活動的に怠けるかね?」
「良いですな。海月のように流れ、月のように太陽に照らされることで光を放ち、能動的に受動的な行動をしていきましょうぞ!」
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以上が怠道の記録の一つである。この青年は後に「怠け仏 」や「不動明王」として名を馳せることとなる。また、彼の高校生活がその後どうなったかを語る必要はあるまい。皆さんのご想像にお任せするとして一つの物語の終わりとしよう。