魔王は、勇者の世話をする。
なんでもあり。
「おい、勇者……。お主、いい加減里に帰れ」
「エェ〜〜……、嫌だよ。この、オンセン?がよすぎて帰れないぃ〜〜……」
「お主はここに何しに来たんだ……」
人間の頭など一握りで潰せそうなほどの大きな手で、魔王は自分の顔を覆ったのだった。
勇者が魔王討伐として魔王城にやってきて、早ひと月以上……。
今日も今日とて、魔王城の庭に湧く温泉に浸かっている勇者だった。
「大体、お主は我を倒しに来たのではなかったのか?」
魔王の熱い息がかかって、勇者はムッと顔を顰めた。
それはむしろ魔王のとりたい態度だったが、なんだかんだ甘い魔王は受け流している。
「んあ〜〜、だってどこかの偉い王様に命じられただけだも〜ん。俺の意思じゃないしぃ、はああ極楽ぅ〜〜」
「そろそろ戻らないと、お主の立場が悪くなるんじゃないか?」
「孤児をしょっぴいて無理やり旅立たせたんだから、帰っても帰らなくても一緒でしょ」
「ずっと帰らないのも怪しまれるぞ」
「どうせ魔王城までは魔法も飛ばせられないんだし、向こうからこっちを覗くことはできないよ」
「……我の爪を持たせてやるから、それで倒したことにしてこい」
「それ倒してないってバレたら、どのみち俺の首が飛ぶだけじゃん」
「……ったく、お主ら人の子は面倒な生き物だのう」
深い深いため息を吐きながら、魔王は勇者の濡れた頭に手を当てた。
それこそ一捻りで呼吸もできなくなるほど、勇者の方が明らかに弱いのに、慎重な様子で勇者の頭を撫でたのだった。
その手があまりにも優しく、勇者は拍子抜けだった。
「……俺、あやされてない?」
「我から見たら、人の子はみんな稚児と変わらん。お主も赤子のようなものだ」
「なーんで魔王討伐ができると王様は勘違いしているわけぇ?」
「欲とはとどまるところを知らないんだろう」
「ふーん」
勇者は興味なさそうに、もう一度肩までお湯に浸かった。
ここは最高に気持ちのいい場所だ。
そりゃあ多少の瘴気は漂っているが、勇者に選ばれるほどには健康優良児であり頑丈な体を持っている少年には、あまり効かないようで元気に温泉に入り浸れるほどだった。
そして何より、人間がいない。
当たり前のことだが、それがこれほど快適なものだと勇者に選ばれた少年は知らなかったのだ。
煩わしい命令もなければ、孤児だからと馬鹿にされることもないし、自分の命を弄ばれることもない。
魔王には最初から相手にされていないのだから、もはやただの話し相手である。
こんなに素晴らしい場所があるなんて知らなかったのだ。
勇者がここを出ていく理由が一つもなかった。
「ねえねえ、魔王。逆にさ、俺の血を送るのはどう?」
頭をもたれさせて、勇者は魔王を見上げた。
魔王の顔がどんどん歪んでいくのがよく見えた。
「……何を言っておる」
「俺の血をさ、髪の毛かなんかにつけて向こうの王城に送りつけようよ。そしたら、勇者は死んだんだなって思ってくれそうじゃん」
「わざわざ怪我などさせられぬ」
「あんた、本当に魔王? 人間より優しいじゃん」
「見た目が人の子の好みでないだけだろう?」
「そういうもん?」
そう言いながら、勇者は温泉から上がって、そのまま自分の髪を短剣で切り落とした。
ついでと言わんばかりに、自分の手首もサクッと切りつけて、今落としたばかりの髪に血をつけていく。
「何をしておるのだっ!」
「いや、だから、血をつけて送ろうって…」
「ここは魔王城だぞ!? 人間を治癒できる者はおらん、馬鹿者…っ!」
魔王の怒鳴り声は轟き、気がついたら勇者は魔王に抱えられて、城の中へと入っていた。
魔王の部下は命令されたのか、勇者の手首に布をぐるぐる巻きにしていく。
「そこまでのキズじゃないよ?」
「お主はもう少し自分の命を大事にせんか……」
「それ、よくわかんない。死んでこいって言われて急に勇者にされたし」
「……さっきの髪は、お主の短剣と一緒に送っておいてやるから。もう大人しくしとけ」
「ねえねえ、魔王」
呆れた様子の魔王を気にすることなく、少年は魔王の手を引いた。
「俺のこと、ここに置いてくれない? 俺、すっごい働くよ」
「……働くのは、怪我が治ってからでいい」
「じゃあ、いていいんだね!?」
「仕方なかろう、追い出すわけにもいかんのだし」
「やった〜〜〜!!」
勇者の喜びっぷりに、魔王は何も言えず。
そんな様子を近くで見ていた魔物の部下は不思議そうに口を挟んだ。
「魔王様、人間のペットでも飼われるんですか?」
魔王の部下が首を傾げているもので、魔王は顔を覆いながら項垂れ、勇者と呼ばれた少年は目を輝かせた。
「ペット!それでもいいかも、ねえねえっオンセンは入り放題っ?」
「……人を飼う趣味は、我にはない」
「ええぇ〜〜、いいじゃんペットで。ついでに名前つけてよ、名前!」
「はあ? お主、名は?」
「そんなもん、孤児にあるわけないじゃん」
「……まずは名付けからか。考えておく」
魔王はギラリと目を光らせたが、それが不憫に思っている目など、人間の勇者にはわからなかった。
きっとここで生活していくうちに、魔王や魔物たちの表情が次第にわかっていくのだろう。
それまでは、少年は何も知らないのだ。
「やっぱり人間を飼われるんですね。空いている部屋を掃除しておきますね」
部下の申し出に、勇者は明るい声で返事した。
「俺、庭でいいよ!」
「いいわけなかろう! ああ、もう……」
素っ裸のままだった少年に人間のサイズに合う服を着せながら、魔王はまたため息を吐いた。
こうして勇者はちゃっかり帰る家と働き口をゲットしたのだった。
ちなみに、「ペットというより子育てだな」と部下は思ったが、口には出さずに見守っていたそうな。
了
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293日目。




