婚約破棄がしたかった英邁な王太子と優秀な公爵令嬢の結婚生活
英邁で高潔な美丈夫と、皆から称されるアレクサンドル王太子は、婚約破棄がしたかった。
婚約者のコーデリア・バレクストラ公爵令嬢よりも、学院で知り合った、素朴で可憐なユリア・カジーナ男爵令嬢を深く愛してしまったからだ。
王太子の地位を捨て、平民になったとしても、ユリアと添い遂げたいと真剣に考えていた。
しかし、彼は英邁で責任感が強かった。兄弟のいないアレクサンドルが王太子の地位を捨てれば、父王には女兄弟しかいないので、従兄弟達で争う事になり、国は内乱状態になるだろう。
だから婚約破棄はできなかった。
優秀で気高く美しいと評判のコーデリア・バレクストラ公爵令嬢は、婚約破棄がしたかった。
婚約者のアレクサンドル王太子よりも、学院で知り合った少し影のある、不良ぽいけれども、下位貴族や平民には優しいライナス・ヘボン子爵令息に恋をしたからだ。
しかし、彼女は優秀で責任感が強かった。コーデリアの母は隣国帝国の皇女だった。この王国と帝国の関係は同盟国だったが、強大な帝国の属国の様な立場でもあり、皇族の血を引く唯一の子女であるコーデリアには、王太子妃となる選択以外はなく、それを拒めば帝国の侵略さえ危むばれた。
この国の多くの貴族子弟が15歳から通う学院で、二組の恋は完全に隠されていたが、優秀なアレクサンドルとコーデリアは互いに思い人がいる事に気づき、冷静な二人は最適解を話し合った。
そして、王族にしか許されない学院の特別サロンに、ユリアとライナスをひそかに呼び寄せ、4人の今後について提案した。
「ライナスは剣の腕前と上に媚びず平民にも頼られる姿を王太子殿下に認められて、友人として認められる。この筋書きで王太子殿下の側近となり、私の近くにもいてもおかしくない立場になるの」
「ユリアは偶然コーデリアと同じ孤児院を慰問して、そこで孤児達に優しく接する態度にコーデリアが感心して友情が芽生えて学院内でも親しく付き合う様になり、婚約者で俺に近いづいてもおかしくない立場になるんだ」
ユリアもライナスも恐れ多い恋だと悩んでいたが、双方合意の関係が見事に成り立った。
アレクサンドル王太子にも、コーデリアにも、その地位にふさわしい高位貴族の友人達がいたが、貴族学院であえて低位の貴族や平民と付き合うのも、寛大な高位貴族の嗜みとされていたので、ユリアとライナスも違和感なく迎え入れられた。
そうして秘密の恋は恙なく守られた。
充実した青春を謳歌した2組の恋人達は卒業近くなり、今後の事を話し合った。
この国の貴族社会は不倫には寛容だった。どうせ政略結婚しかないので、嫡男とそのスペアになる男子をもうければ、お互いに愛人をもつ事は暗黙の了解で認められていた。それは王族にも認められ、王の愛人から生まれた子も認知されて王族になる事もできる。王妃の愛人の子はさすがに表沙汰にはせずに、体調不良が続いて静養と称して子を産み、事情を知る高位貴族の養子になった。
王太子アレクサンドルとコーデリア公爵令嬢が結婚し嫡男をもうけるまで、ライナスは近衛兵となり王宮に出仕し、ユリアもコーデリアの侍女として王宮で働く事となったが、アレクサンドルもコーデリアも、恋人がもしや高位貴族に見初められて結婚をせまられるかもしれない、子爵家の3男、男爵家の令嬢ならば上の爵位からの話は断れない、それを防ぐために二人を結婚しもらおう、となった。
ユリアとライナスもそれを承知した。学院での生活で気心も知れたし、貴族としてのレベルも同じくらいなので生活も変わらない、何も知らないアレクサンドル王太子とコーデリアの友人達も
「お似合いだわ」
「きっとそうなると思ってた」
と祝福し、両家の親からも歓迎されて二人は結婚した。
アレクサンドル王太子とコーデリアも、友としてささやかな結婚式に出席して、複雑な心境を完璧な王族スマイルに隠した。
アレクサンドル王太子の結婚式は準備も大変なので、その結婚式から半年後、学院の卒業後1年過ぎた頃に盛大に執り行われた。
そして、初夜の夜にアレクサンドルは新妻に言った
「お互いに愛する相手が別にいるのは理解しあっている、それでも王太子として、その妃として、国の跡継ぎをもうけなければならない、お互いに愛する相手を抱きしめる為にこの行為を我慢しよう」
「わかっておりますわ、私達は若くて健康なんですもの、きっと懐妊も早いはずです、愛する人の為に早く結果をだしましょう」
週に2回、定期的に、アレクサンドルはコーデリアの元を訪れた。
しかし、子は授かれなかった。
半年たっても、1年たっても、2年が過ぎようとした時、コーデリアは侍女たちの噂話を耳にして氷ついた
「ユリア夫人は絶対おめでたよ、食事の匂いで気分が悪くなっていたでしょ、私の時もそうだったわ」「あら、私はおめでたじゃないのと彼女に言ったわよ、でも青い顔をしながら違いますと言うのよ、最初の子だから不安なのかしら」
「なんだか特にコーデリア妃殿下に内緒にしたいみたいで、妃殿下がまだ授からないから気を使ってるのかしら」
コーデリアがまず思ったのは、アレクサンドル王太子が世継ぎ誕生を待ちきれなくなって、ユリアに手を出したのかと。
でもそれはコーデリアにとって裏切りだった。自分はライナスとの関係を我慢しているのに。それに、コーデリアに子ができない時点で、他の愛人との間に子を作れば、後継者争いの火種になる。責任感が強く王族としての見識が確かなアレクサンドルにしてはあまりに情けない行動だ、いつも冷静なコーデリアには珍しく、アレクサンドル王太子の執務室に慌ただしく入って行った。
感情を表に出す事のないコーデリアの怒りの表情に、アレクサンドルは思わずたじろいだ。部屋にいた文官も異常事態に気づき
「人払いを」との王太子妃の言葉にすぐさま従った。
「どうしたんだ君らしくない、何を怒っているんだい」
「ご自分がなさった事で私が怒っておるのです、身に覚えがおありでしょう」
「君を不快にさせる事などやってないよ」
「あんな事をして私が傷つかないと思うのですか、この2年子を授かる為に我慢をし続けてきたのに、貴方は我慢しなかった、こんな事をすれば王位の継承にも問題が生じますわ」
「なんの事を言ってるんだ」
「ユリアのお腹の子の事です」
ヒステリックなコーデリアの言葉を聞いて、アレクサンドルはを固まった
「ユリアの子だと、誰の子なんだ」
「貴方の子に決まってすでしょう」
「そんなはずはない、私はユリアとそんな関係を持ってない、我慢してたんだ、妃に子ができるまではと」
アレクサンドルの顔は真っ青になった、呼吸も荒くなっている。
コーデリアにもアレクサンドルが嘘を言ってる様には見えない、また嘘をつくのもおかしい、このままだとユリアの子はライナスの子と認知される、夫婦だから当たり前だ、それでは近衛に入り騎士爵を持つだけのヘボン騎士爵の子となり、王族として認められる事はできない、愛するユリアとの間に出来た子をそんな不憫な待遇にアレクサンドルがするとは思えない
「誰がユリアを抱いたんだ」
アレクサンドルは怒りの為に顔赤くなったが、それはコーデリアが見たことのない恐ろしい表情だった「ユリアに誰も近づけない様にライナスと結婚させたのに、誰が言い寄ったのかしら」
「私が愛しているのに、他の男に身を任すのか、ユリアはそんな女ではない」
「ならどうして、侍女たちの話からして妊娠はしており、私には隠そうとしている様でしたわ、ライナスも気づかなかったのかしら、白い結婚とはいえ、同じ家に住み、仕事も近い所でしているのに」
アレクサンドルははっとした
「ライナスなのか、相手はライナスか」
「そんなわけはないわ、ライナスは私を愛しているのよ、この2年苦しみながら私を待っていてくれているのよ」
アレクサンドルとコーデリアは時々恋人と密に会う時間を持っていた。そして、それを思い出してみると、最近少し距離がある様にも感じていた、それは2年の時間の待機がそうすると思っていたのだが
「二人に会うしかないな」アレクサンドルの顔は暗い
「そうですね」コーデリアもだ
ライナスとユリアは王太子夫妻の前に並んだ。呼び出された理由をわかっているからか、二人の顔を蒼白で、ユリアの身体は小刻みに震えていた、
「あなた達はここに呼び出された理由が分かっているようね、はっきりと答えて、ユリア貴方は妊娠しているの」
ユリアとライナスは最初から深くお辞儀をしたままだったが、ユリアはなおも深く頭を下げた
「申し訳ございません」
小さな声で振り絞る様に言う
「誰の子だ」
アレクサンドルの声は怒りを込めた低い声だった、ユリアの身体はガタガタと震えだした
「私が無理矢理襲ったのです、ユリアは殿下を裏切っておりません、私が欲情に負けてこんな事になったのです」
ライナスが突然顔をあげ、アレクサンドルに向かってこう言う
「ですからお咎めは私一人におくだし下さい。ユリアは被害者です。ユリアと、、、できますれば、その子には罰を下さないよう、寛大な処置をお願いいたします」
そしてコーデリアに向かって
「コーデリア様、私はしょせん貴女には似つかわないクズな男です、どうぞ軽蔑してお忘れください」
ライナスは深く頭を下げた
アレクサンドルはがたっと立ち上がった。王太子は常に帯剣している、飾りの剣だが刃は付いている、その剣にアレクサンドルは手をかけた
「違います、私が誘ったのです、ライナスにそんな気持ちはなかったのです。薄い下着姿で近づけば殿方は理性を無くしてしまいます、私が悪いのです。私ははしたない女なのです、殿下に愛される様な女ではございません。どうかはしたない私の事などお忘れください。ライナス様に罪はございません、私を罰してください、ただ、もしも温情を少しでもいただけるであれば、この子をお助け下さい」
ユリアはもう震えてはいなかった。アレクサンドルの目をしっかりと見てこう訴えた。
アレクサンドルとコーデリアは優秀な為政者だった。
二人の前で行われた嘘の芝居に、真実の愛がある事に十分気づけた。
アレクサンドルは剣から手を放すとまたどかりと椅子に座った。
コーデリアも一つ息を吐いて椅子に座りなおした
「ライナス、ユリア、君達に待望の子を授かったおはめでたいことだ、私達は祝福するよ」アレクサンドルは言いよどみながらもはっきりと言った
「ユリア、身体をいたわり良い子を産んでちょうだいね」コーデリアはゆっくりとつぶやく様に言った
ライナスとユリアは深く頭を下げた。
その後、二人はいつもの様に仕事を始めた、政務、公務、晩餐は今夜は帝国の大使と共にしたので緊張と苦痛を伴うものだった。
やっと一日が終わったと思ったアレクサンドルは、今夜が週に2回の夜だったと思い出した。あの行為はいずれやってくる愛しい人との恋の成就の為だった、もうそれは失われた。そう考えるうちに、ユリアにしたいと思っていた愛撫を考えた、義務ではない本当に愛している女にしたい愛撫を、ユリアはそんな愛撫をライナスからうけたのか、きっとそうだろう、だから子ができたのだ、所詮愛なき行為では子は授かれないのだ。ユリアはどんな顔をしてライナスを受け入れたのだろう、そんな事を考えてコーデリアの寝室にやってきた。
コーデリアは珍しく酒を飲んでいた。なみなみと注がれた赤いワインを手にして入ってきたアレクサンドルを少し睨みつけながら
「こうでもしないと、今夜は無理ですわ、こうしないとすぐに考えてしまうの、ライナスは私以外とキスをしたんだと、私の肩を抱いた手でユリアの肌を」
「やめろ」
アレクサンドルは遮った、コーデリアは夫をにらみ返した
「貴方も思ってるのでしょう、今夜の行為はなんの為なんだろうて」
コーデリアがこんな不機嫌な顔を見せた事はなかった。いつも冷静な顔と計算された笑顔ができたのに、さすがに失恋は堪えたようだ。だがそれはアレクサンドルも一緒だ。
ワインを飲み干そうとするコーデリアのすさんだ横顔に苛立ち、ワインを取り上げようとした時、誤ってグラスが床に落ち割れた。床に赤く広がるワインを見ていると、アレクサンドルは何か突き上げられる様な衝動を感じた、白い寝着にワインが飛び散り胸元が揺れた、アレクサンドルはそれを引き裂いていた。
朝、厚いカーテンの隙間から入り込んだ鋭い光でコーデリアは目をさました。何も纏っていない自分の姿を見て、暫く考えゾッとしてシーツを掴んだ。
昨夜の行為を思い出す、恐ろしい、あんな事をアレクサンドルはするなんて、思い返せば腹立たしいが、思い出せば自分はそれに応えていた事も思い出す、ああ、恥ずかしい私は失恋とワインでどうにかしていたんだ。
広いベッドの端にアレクサンドルの裸体があった、まだ寝ているのか動かないのでシーツをかけて隠した。とても顔を見る勇気がなかったのでこっそりと部屋を出た。
朝食も昼食も一人でとると侍女に言うと、コーデリアはいつもと同じ様に仕事を始め、いつもより熱心にしていた。公務の下準備、貴族夫人とのお茶会、慈善事業の予算案作り、忙しい一日が終わり寝室に入った。
昨夜のワインのシミはふき取られ、整えられたベッドに昨日の乱れはない。
その時、ドアがノックされアレクサンドルが寝室に入ってきた。週に2回のはずなのに、一日ぶりのアレクサンドルはいつもと同じ冷静な顔をしている、昨日の夜が嘘の様。
でもコーデリアは昨夜の夜を期待している自分に気づいた。
それから程なくコーデリアは懐妊した。王子を産み、国中から祝われ、またすぐに懐妊し王女を産んだ。
結局10人の子を授かった。
「これは、肉欲というものなのかしら」
コーデリアは一人考えた。アレクサンドルを愛しいと思って抱かれているのではない、コーデリアにとってアレクサンドルは優秀な所は尊敬するが、傲慢で独り善がりな男だと思っていた。そんな様子は見せない様に、温厚そうな笑顔で隠しているが、ある意味同類のコーデリアにはわかるのだ、好きな男ではないが、だからこそあんな淫らな姿を見られても恥ずかしいとは思わないのだ。
「俺のこの性癖は知られてはならない、英邁で優秀な名君と称されているのに、これが知られれば治世に傷がつく、コーデリアならば必ず隠してくれるはずだ、一蓮托生の身なのだから」
アレクサンドルはコーデリアを愛しいとは思わなかったが、信頼していた。賢さを鼻にかける様な所のある可愛げのない女だが、国家に対する責任感は強かった。だから、激しい欲求にも応えてくれる、彼女でなければならない、他の女にあの姿は見せられない。
結婚して28年父王が崩御しアレクサンドルは戴冠した。
王太子の時以上に仕事は増え、責任は重くなり、決断には神経を使う。
王妃となったコーデリアも同様だ、王妃の仕事に10人の子供達の教育もしなければいけない、国を助ける責任感のある駒に育てなければならない、ストレスは大きい。
しかし二人は立派に仕事をやりとげている、どんなに善政を敷いても自然災害はやってくる、干ばつ洪水病気による不作、ため池を作り、堤防を高くし、備蓄を増やす、強大な帝国に気配りをしながら、他の中小の国々と円滑な関係を作る、侮られない様に軍備を整える。貴族社会から不満が出ない様派閥の均衡を保つ、民衆に不満を持たれない様に新しく祭りを考案する、10人の子供達はとても役立った、二親に似て容姿端麗で頭脳明晰、そして洗脳の様にして植え付けた責任感、ただ親に似て可愛げがない為か駒として扱うのに躊躇はなかった、反逆を起こしそうな公爵家に婿入りさせたり、独裁色の強い軍事国家に娘を嫁がせた。
そうして富国強兵を成し遂げた頃、ライナス・ヘボン騎士爵を男爵に陞爵させる為に30年ぶりに王都に召還させた。
あの話し合いの直後に、ライナスは東部の要衝の地へと栄転させ、妻のユリアも帯同させていた。
陞爵の栄の為に、ユリアも王宮で共に国王夫妻の御前に跪いた。
典儀官はライナスの功績を読み上げた、長年にわたり東部の要衝の地で兵を鍛え、敵対する隣国に圧をかけその野望を抑えた。特に平民出身の兵士の鍛錬を重視し、歩兵部隊として国内外から高い評価を受けた。下の身分に優しく正当に評価する、若き日のライナスらしい軍功だった。
頭髪が薄くなり、華奢だった身体が二回り程大きくなったが、優しい瞳は初恋の人のものだとコーデリア王妃は懐かしく見ていた
「子は3人だそうね、健やかに育っていますか」
「もったいなきお言葉、長男と次男は私と同じ騎士となりお仕えしております、娘はマチス子爵家に嫁いでおります」
「ユリアも久しぶりですね、元気そうで何よりです」
ユリアもふっくらとなっていたが、少し日焼けした顔は昔の可憐さよりも人を引き付ける安心感があって、昔は可憐さに癒しを感じたが、今はふっくらとした安心感にいやしを感じるとアレクサンドル国王は思った。
ライナスとユリアは30年ぶりの初恋の人を見て、威圧される存在感、風格、そしてにじみ出る色気と覇気に圧倒されて、よくこの方々と親しくできたと、昔の自分を不思議に思った。
アレクサンドルとコーデリアは、その後も愛は感じる事はなかったが、必要だとお互い認識していた。
激務の生活で、二人は初恋の人に癒しを求めていた、それが無ければ激務は乗り越えられなかっただろう、しかし、癒しが失われてしまった時に、二人は快楽を覚えた。
激務の後の快楽の夜が待っているから、国王夫妻は完璧に仕事をこなせたのだ。
アレクサンドルとコーデリアは結婚生活としては幸せではなかったが、夫婦生活はとても充実していた。
終わり




