第7話 つきあいで(カラオケ編)
三上による全二回の特別講義が、今日で終わった。
教室を出ると、数人の学生が三上を囲んでいた。
「三上さん、このあと時間ありますか」
「打ち上げっていうか、軽くごはんでも」
三上は考えてから言った。
「場所は?」
「近くにカラオケがあるんですけど」
一瞬だけ間があった。
三上はうなずいた。
「いいよ」
断ると思っていたらしい。
学生たちが、意外そうな顔をしていた。
わたしは少し離れて、その様子を見ていた。
……行くのか。
嫌な予感がした。
気づけば、駅前のカラオケに入っていた。
受付の前に立っている自分に、呆れる。
どうして来てしまったんだろう。
みんなが歩き出したから、ついてきただけだ。
断るほどの理由もなかった。
部屋に入ると、誰かがすぐに曲を入れた。
イントロが流れる。
手拍子と笑い声が混ざる。
普通の大学生の集まりだった。
……三上を除けば。
三上は、リモコンを手に取って、画面を見ていた。
真剣な顔で、曲を選んでいるらしい。
やがて、ぽつりと言った。
「平均音域が狭い曲が多いね」
……あ、やっぱり違った。
三上はリモコンをこちらに差し出す。
「先にどうぞ」
「いえ、どうぞ」
三上は気にした様子もなく、また画面に目を戻した。
しばらくして、誰かが言う。
「三上さんも歌います?」
部屋の音が、すっと引いた。
「じゃあ、一曲だけ」
三上は迷いなくリモコンを操作した。
イントロが流れる。
最近よく耳にする曲だった。
誰かが、小さく「お」と言った。
歌い出した瞬間、空気が変わった。
……うまい。
声量もある。音程も外れない。
癖がなくて、まっすぐ届く声。
学生たちが顔を見合わせている。
「うま……」
「普通にうまい……」
でも。
なんだろう。
上手いのに、楽しくなさそうだった。
三上は歌いながら、画面ではなくスピーカーの方を見ていた。
曲が終わる。
拍手が起きた。
三上はマイクを置いた。
「やっぱりこの部屋、低音が少し吸われてるね」
また始まった。
誰かが、半分おもしろがるように聞いた。
「そんなに違うんですか?」
「低めの声の曲を入れてみると分かるよ」
「じゃあ、入れてみます?」
三上はうなずく。
「いいね」
本当に検証するんだ、と思った。
低めの声の曲を、学生の一人が歌い始める。
一番が終わる。
「……さっきより、響いてなくない?」
「うわ、なんか素の声がバレる」
三上が言う。
「そう。部屋が補正してくれない」
なぜか場は盛り上がった。
次も、その次も、低めの曲が続く。
……なんでこの人の実験で選曲が決まってるんだ。
しかも、みんな普通に従っている。
少しして、三上が立ち上がった。
「ちょっと見てくる」
近くにいた学生が首をかしげた。
「どこをですか」
「廊下」
意味が分からない。
三上は本当に出ていった。
……何をするのか、想像したくなかった。
しばらくして、戻ってくる。
「各部屋の音、聞いてきた」
「……廊下で?」
「そう。この店、部屋ごとに補正が違う。均一じゃない」
「分かるんですか?」
「分かるよ」
三上は内線の受話器を取った。
「調整できる店だ」
学生たちが顔を見合わせる。
「……頼むんですか」
「頼む」
迷いがない。
しばらくして、店員が来た。
若い男性だ。
「お呼びでしょうか」
「この部屋、低音が少し吸われている。補正を一段だけ上げてもらえますか」
店員が目を瞬く。
「……お気づきでしたか」
「分かるよ」
店員は壁際に向かった。
「少々お待ちください」
操作パネルを開いて、いくつかボタンを押す。
表示が切り替わる。
「これでどうでしょう」
三上が言う。
「さっきの曲、もう一度」
「え、俺ですか」
「比較ができる」
学生は苦笑しながらマイクを取った。
同じ曲の出だしを歌う。
一フレーズで、違いがはっきりした。
「……あれ、さっきより歌いやすい」
「声がちゃんと返ってくる感じ」
「そう。これが普通」
普通の基準が分からない。
店員がほっとした様子で言う。
「他にも何かございましたら――」
「今のところはない」
即答だった。
店員が安心した顔で出ていく。
曲が続く。
全員、妙に本気だ。
誰もふざけない。
やたらと熱唱している。
……なんで急に審査でも始まったみたいになるんだ。
三上は、さっきと同じ姿勢で座っている。
楽しそうではない。
でも、不機嫌でもない。
ただ、納得した顔をしている。
「さっき、どうして部屋を回ってたんですか?すぐ店員さんを呼べばよかったのに」
学生の一人が聞いた。
三上は水を一口飲む。
「変えられないものを頼むのは、ただの手間になる。呼ぶ前に調べる。その方が早い」
誰も口を挟まない。
三上は続けた。
「それに、今日は学生が多いからね。いい教材になる」
一瞬、部屋が静まる。
それから、誰かが吹き出した。
この人、絶対わざとやってる。
三上は何事もなかったように、グラスを置いた。




