第3話 連休の旅行(ホテル編)
連休になると、たまに一人でホテルに泊まる。
理由は特にない。
家にいるのも飽きるし、知らない部屋で寝るのが、わりと好きだ。
特に観光もしない。
部屋でぼんやりして、近くを少し歩くだけだ。
それくらいが、ちょうどいい。
安いプラン。
でも、ベッドは大きくてふかふかだ。
朝、朝食会場に行った。
なんとなく、人の流れが変だった。
視線が一点に集まっている。
しかも、微妙に距離を取っている。
嫌な予感がした。
――いた。
トースターの前で、ストップウォッチを構えている男。
三上灯馬だ。
腕を組み、パンが焼けるのを見ている。
じっと。
ものすごく真剣な顔で。
やがて、ぽつりと言った。
「……悪くない」
珍しい言葉を聞いた気がした。
ホテルのスタッフが、少し戸惑った顔で尋ねる。
「あの……何か不具合がございましたでしょうか」
「いや」
三上は首を振った。
「むしろ逆だ。よくできてる」
スタッフが、一瞬だけ固まった。
三上は、ストップウォッチを止めた。
いつから持っていたのかは分からない。
「焼き時間込みで、一人当たりだいたい一分弱か。……流れがいい」
こんな真顔で朝食を評価している人を、初めて見た。
スタッフが、困ったような、少し嬉しいような顔をしている。
「ありがとうございます……?」
疑問形だった。
「珍しいね。たいていはどこかが破綻している」
破綻している前提なんだ、この人の世界は。
わたしは少し離れた席に座った。
関わると長い。
経験上、知っている。
パンをかじりながら、こっそり目で追う。
三上の視線は、まだトースターの方に向いている。
パンを取る人。
並ぶ人。
焼けるのを待つ人。
バターを取ろうと横にずれる人。
その流れだけを見ていたのだと、気づいた。
……離れてさえいれば、少しだけ面白い。
三上は、不意にネクタイをまっすぐに直した。
「……ここは、乱れていないからね」
やっぱり変な人だ。
朝食を終えて、部屋に戻った。
少し休んで、荷物をまとめる。
チェックアウトの時間だった。
フロントに向かうと――
「お客様、申し訳ございません」
カウンターの向こうで、フロントの人が丁寧に頭を下げる。
「昨日、清掃に入った際、お部屋にバスローブが見当たらなかったとの報告がありまして」
一瞬、意味が分からなかった。
「……え?」
「念のため、確認だけさせていただけますでしょうか」
やわらかい言い方だった。
でも、断れる感じではなかった。
胸のあたりが、すっと冷える。
「お荷物を拝見してもよろしいでしょうか」
嫌だ、と思った。
スーツケースの中身は、人に見せる前提で詰めていない。
服も、下着も、全部ぐちゃぐちゃだ。
……それに。
ぬいぐるみが入っている。
あれを見られるのは、さすがに嫌だった。
「えっと……」
言葉が出てこない。
断る理由はある。
でも、それを言うだけで、ぬいぐるみを見せるのと同じだと思った。
そのときだった。
「確認の手順を、教えてもらえますか」
聞き覚えのある声だった。
振り向かなくても分かる。
三上灯馬だった。
いつの間にいたんだ、この人。
三上はフロントの前に立ち、穏やかな顔で言った。
「清掃の時点で無かった、ということですね」
「はい。昨日の清掃担当から、そのように報告がありまして」
「備品の移動経路の確認は済んでいますか」
フロントの人の目が泳いだ。
「現在、確認中でして……」
「順番がよくない」
三上はいつもの調子で言った。
一瞬、場が止まった。
フロントの人は、困ったように微笑んだ。
「お客様のおっしゃることはもっともですが、念のための確認でして……」
「管理ミスは起こる。盗難はめったに起こらない。順番が逆だ」
このまま押し切ってくれればと思った。
本気で。
数秒の沈黙のあと、フロントの人がインカムに手を伸ばした。
「――ハウスキーピング、○○号室のバスローブの件、再確認をお願いします」
しばらくして、返答があった。
フロントの人の表情が変わる。
「……失礼いたしました。ランドリー回収のカートに混ざっていたとのことです」
頭を下げられた。
「大変申し訳ございませんでした」
力が抜けた。
本当に、抜けた。
三上は、整えていたネクタイを、指で少し曲げた。
「……やっぱり、ここは乱れている」
なぜネクタイで表現するんだろう、この人は。
「……ありがとうございます」
思わずそう言うと、三上は不思議そうな顔をした。
「僕は何もしていないよ」
いや、した。
かなりした。
「ロビーの匂いを確認しに来ただけだ」
三上は、本当にロビーの空気をすんすん嗅いでいる。
「リネン系トップノート、柑橘のミドル、最後にウッド。三段構成だ」
やっぱり変な人だと思った。
でも――
少しだけ、見方が変わった気がした。




