羽音が止まらない
それは、音から始まった。
ぱき、と。
乾いた枝が折れるような、小さな音。
ユイは足を止めた。
背中の奥、骨と骨の隙間で、何かがずれる感覚がした。
「……来ないで」
そう言った声は、誰に向けたものでもなかった。
次の瞬間、
連続した羽音が、内側から溢れ出す。
ぱき、ぱき、ぱき。
痛みはない。
その代わり、胸が詰まる。
思い出してはいけない光景が、勝手に浮かび上がる。
――また連絡するね
――必ず戻るから
――一緒にいよう
街中の約束が、
同時に破られていく感覚。
ユイは膝をついた。
石畳に触れた手が、冷たい。
「……多すぎる」
今日は一枚のはずだった。
せいぜい、二枚。
それなのに、背中が重力そのものになっていく。
通りを歩く人々が、次々に立ち止まる。
見えないはずの翼を、
なぜか全員が避けるように距離を取る。
空気が、歪んでいた。
約束が――
同時に、終わりすぎている。
*
原因はすぐに分かった。
街の中央広場。
掲示板の前に、人だかりができている。
紙切れ一枚。
そこに書かれていたのは、短い文章だった。
本日をもって
町外れの工場は閉鎖されます
雇用契約はすべて終了です
それだけ。
説明も、謝罪も、
「約束だった」という言葉も、どこにもない。
その瞬間、
背中で何十枚もの羽が一斉に生えた。
息ができなくなる。
働くと言われた人。
守ると言われた家族。
続くと言われた日常。
約束ではないと、
誰かが決めた約束たち。
ユイは叫ばなかった。
叫べなかった。
その代わり、
涙が一滴、地面に落ちた。
すると――
羽音が、止まった。
*
「やっぱりだ」
人混みを割って、
あの少年が現れる。
彼はユイの前にしゃがみ、
背中を見て、眉をひそめた。
「これは自然発生じゃない。
誰かが、まとめて約束を切った」
ユイは震える声で言う。
「……じゃあ、これ全部
私が背負わなきゃいけないの?」
少年は、はっきり首を振った。
「違う」
そして、初めて強い言葉を使った。
「終わらせる。
君の代わりに。」
風が吹く。
増えすぎた翼が、軋みながら揺れた。
ユイは初めて思う。
――この翼は、
誰かと分け合ってもいいのかもしれない、と。




