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◆第4話「それでも私は、空が怖い」


パート①「空戦の余波」


空戦士官学校・クラウズナイン校舎、午前八時三分。

 登校と同時に私は、まさかの包囲を受けていた。


 


「ねぇ、昨日の模擬戦、見たわよ!」

「クラウゼ号、あれ本当に旧式なの!? なんであんなに避けられるの?」

「どういう演算してたの!? マニュアル操作!? え、嘘でしょ!?」


 


 ぐいぐい迫ってくるのは、同級生の女の子たち。


 みんな華やかな制服で、瞳を輝かせていて、そして――とにかく距離が近い。


 


「あっ、あの、それは、あれは――避けたというか、避けるしかなくて……」


「すごかった! 弾幕の中をくぐり抜けたあのターン、どうやって!? 重力制御?」


「えっ、いや、あれは……たまたま、こう……ふわっと……」


「“ふわっと”で済む回避じゃなかったよ!?」


 


 私は必死に笑顔を作りながら、うわずった声で返していた。

 助けて、誰か。誰でもいいから私をこの社交地雷原から救い出して。


 


 すると、すっと割って入ってきた一人の男子学生がいた。


「おまえら。クラウゼ号の艦長は、高所恐怖症なんだからあんまり囲むなって」


「え、そうなの?」


「それであれだけ飛べたの……? 逆にヤバい」


「尊敬の意味で“ヤバい”だよね!? それ悪口じゃないよね!?」


 


 どうにか人だかりを抜け出すと、校舎の渡り廊下でレーネが静かに待っていた。


 


「……おつかれさまでございます。当主様」


「なんか今、平民に囲まれて“下から称賛”される悪役令嬢って感じだったわ……」


「当主様、それは悪役令嬢というより“後期OPで覚醒する準レギュラー”の立ち位置です」


「なんかもうそういう分析やめて……普通のモブに戻りたい……」


 


 でも、レーネが提示した記録パネルを見ると、戻れそうにない現実があった。


 


「クラウゼ号、模擬戦統計データ。10分間被弾ゼロ、命中ゼロ、砲撃ゼロ。

 公式戦術記録において“完全回避・非交戦勝利”例として、初の登録となりました」


「なんか字面が全部いやなの!!」


「俗称として“沈まぬ幽霊艦”が、下級生の間で流行しているそうです」


「もっといやになった!!!」


 


 どうやら私は、“戦わなかったのに結果を残してしまった”ことにより、

 別のベクトルで注目される存在になってしまったらしい。


 ああ……空戦より、こっちのほうがつらい……!


 


 それでも、ふと。

 昨日の戦いでクラウゼ号と一緒に空をくぐり抜けた記憶が、少しだけ私の背筋を伸ばしていた。


 


「……でもまあ、こうやって騒がれるってことは」


「はい。当主様がこの“空”に、“いる”という証です」


 


 レーネのその言葉に、ちょっとだけ――胸が熱くなった。



パート②「空が怖い」


 ――高度三千五百フィート。


 静かな空。晴れ渡る青。


 


 魔導演算盤の針は平衡を示し、風向きに大きな乱れはない。

 クラウゼ号は穏やかな飛行を保っていた。


 けれど。


 


「うう……無理ぃ……」


 


 私は操舵席にしがみつきながら、声にならない声を漏らしていた。

 手のひらは汗で滑るし、背中は冷や汗だし、膝は勝手にぷるぷる震える。


 


「当主様、高度一定、気流も安定しております。恐怖因子の外的要因は見られません」


「そんな理屈で解決するなら、苦労しないのよ!!」


 


 レーネは相変わらず冷静だった。

 というか、“高所恐怖症で空を飛ぶ”という矛盾の塊である私に、どう対応していいか困ってるのは明らかだ。


 


「昨日のあれは……その、テンションっていうか……」


「ハイテンション状態による一時的な恐怖抑制ですね。実際、模擬戦後には直ちに疲労反応が確認されました」


「つまり気合いでなんとかなったけど、今日はその反動で“現実”がきてるのね……」


「正確には“気合いで生理的恐怖反応を一時的に上書きした反動による心因性自己拒否”です」


「いまの一文に“理解”できる日本語一文字もなかったんだけど!?」


 


 私は操縦桿から手を離し、立ち上がろうとした――けど、足が震えてそのまま転がった。


 


「ほら見てレーネ! もうこれ無理なやつでしょ!? 私、絶対向いてないって!」


「当主様。現実を申し上げると、“向いていないのにやってのけた”ことが貴女の価値です」


「そんな大それた価値いらない!! もっと平凡で地に足のついた人生がよかった!!」


「空は、地に足をつけられない世界ですから」


「うっさい! 上手いこと言わないで!」


 


 しばし沈黙。


 外の空は美しくて、どこまでも澄んでいて。


 でも、私はそれを“きれい”だと思えない。

 それが悔しいのか、悲しいのか、自分でもわからなかった。


 


「……ねえ、レーネ」


「はい」


「私ってさ、ほんとにこの空にいていいのかな……?」


 


 レーネは即答しなかった。

 ただ少しだけ考えて、それからまっすぐな声で言った。


 


「“向いていない”ことを、自分の意志で選び続けている。それはとても――貴族らしいことだと、私は思います」


 


 なんか、それもまた、じんわりくる。


 涙は出ない。でも、ちょっとだけ、胸の奥が温かくなった。


 


 そのとき。


 


「――当主様。学院から通信です。乙女艦長・フィリア・エルメロードより、直接の“面談要請”が届きました」


「……えっ」


 


 私の心拍数が、魔導演算盤より正確に跳ね上がった。


 


「フィリアさんが? え、なに? なにか告訴される感じ?」


「内容は、“艦を降りて直接話をしたい”とのことです」


「余計怖いんだけど!?!?!?」


 


 空は怖い。戦うのも怖い。

 でも、何よりいまは、“あの完璧すぎる人と会うこと”が一番怖かった。



パート③「乙女艦長との面談」



学院南棟のサロン――。


 天井の高い、静かな応接室。銀の燭台に、窓からの光が柔らかく反射している。


 その中央、深紅のソファに座るのは――


 


 フィリア・エルメロード。


 


 整った制服、完璧な姿勢。瞳の奥には、一切の無駄がなかった。

 それなのに、私を見て言った第一声が、まるで違う意味で私の心を撃ち抜いた。


 


「どうぞ。お茶をどうぞ」


 


 ……普通にお茶出された!?

 こ、怖くない!? いやちょっと怖いけど!??


 


「え、ええっと……じゃあ、いただきます……」


 


 私はおそるおそる椅子に腰を下ろし、目の前のティーカップを手に取る。


 紅茶の香りは上品で、でも、どうにも落ち着かない。

 なんだろうこの緊張感。模擬戦より緊張してない?


 


 そんな中、フィリアが静かに言った。


 


「昨日の戦い。貴女の戦術は、私の空に“なかったもの”でした」


「……え?」


「敵に背を向けず、勝利も奪わず、ただ――沈まなかった。

 その選択は、私の常識の外でした」


 


 淡々とした声。

 でもその中に、“興味”という感情が紛れ込んでいるのがわかる。


 私は、自分の声が少し震えるのを感じながら言った。


 


「……だって、攻撃しても当たらないと思ったんです。

 だったら無理に撃つより、逃げずに“避ける”方が、マシかなって……」


 


 フィリアは頷いた。


 


「恐れを否定せず、恐れながら立っていた。

 それは、“恐れを克服した者”には、真似できないことです」


 


 ……それって。


 今、めっちゃ褒められてない?


 この人、すごく遠回しに……いや、乙女艦長流の全力の賛辞じゃない!??


 


 思わず、私はぽつりと口にしていた。


 


「……私、ほんとは空が怖いんです。高いところも、速い動きも。

 昨日は……なんか、気合いでどうにかなっただけで……」


 


 言ってしまってから、しまったと思った。

 こんな、空を制する者の前で“空が怖い”だなんて――


 


 けれど、フィリアは静かに言った。


 


「それでも、飛んだのですね」


「……はい」


「ならば、貴女は“空を征服した”のではなく、“空と共に在った”のだと、私は思います」


 


 私は、目を見開いた。


 


 今まで、“空を怖がる”ということは、ただの欠陥だと思っていた。

 でもこの人は――その恐れを、“存在の仕方”として認めてくれた。


 


「私は、“勝ち続けるためにだけ設計された空”の中で育ちました。

 けれど、貴女のような戦いを見て、私は……“怖がっていいのだ”と思えたのです」


 


 その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。


 目の前の乙女艦長は、ずっと高くて、強くて、完璧だった。

 でも今、少しだけ――“人間”に見えた。


 


 沈黙のあと、私は思い切って笑ってみた。


 


「……じゃあ、怖がり仲間ってことで」


「ええ。空を怖がりながら、それでも飛びたい者同士、ですね」


 


 ふっと、フィリアがわずかに口元を緩めた。

 それは、昨日の戦場では決して見せなかった、柔らかな表情だった。



パート④「高所恐怖症の話」


「……わたし、高いところが、ほんとうにダメなんです」


 


 紅茶の香りがまだ残る空間で、私はふっと力を抜いて言った。

 フィリアはその言葉にすぐ返事をしなかった。

 ただ、静かに、私の言葉の意味を吟味するように数秒間の沈黙が流れる。


 


 私は思わず目線を逸らす。

 これまで、笑われてきた。からかわれた。呆れられた。


 “空を飛ぶ身でそれはないだろう”と。


 


 でも、それでも伝えたくなった。

 この人になら、伝えてもいいかもしれないと思った。


 


 それくらい、昨日の戦いが私の中に残っている。


 


「模擬戦も……本当は途中で吐きそうでした。

 あの旋回、クラウゼ号の重さも、風の音も……全部、怖くて。

 心の中でずっと叫んでました。“落ちる”“死ぬ”“やめたい”って」


 


 ふっと、息がこぼれた。

 もう笑われてもいい。開き直った気持ちで。


 


 ――けれど。


 


「それでも飛んだのですね」


 


 その声は、ほんのわずかに熱を帯びていた。


 


 顔を上げると、フィリアは私をまっすぐに見ていた。

 同情でも、驚きでも、軽蔑でもない。


 ただ、敬意を込めた瞳で。


 


「私は、飛ぶことが“当然”として育ちました。

 空は恐れるものではない。そう教えられ、そう振る舞ってきました。

 けれど――私は、一度も“怖い”と思えたことがありませんでした」


「それって、いいことじゃ……?」


 


 私は戸惑いながら返す。

 でも、フィリアはわずかに、首を横に振った。


 


「恐怖は、“生きる”という本能です。

 それを感じることができない私は、たぶんどこか“壊れている”のです」


 


 淡々としていた。

 でも、その声の奥には、孤独があった。


 


 戦って、勝って、称賛されて、それでも――

 “怖い”と思う誰かの気持ちには、なれなかった彼女。


 


「だから、貴女を見て、私は嫉妬したのかもしれません」


 


 私は呆然としていた。

 この完璧な乙女艦長が、私に……?


 


「怖いと思える貴女が、羨ましい。

 そして、怖がりながら空を選ぶという、その意思が、私にはできなかったことです」


 


 私は――不思議と、泣きそうになった。


 


 怖がってる自分は、情けないと思ってた。

 皆から見れば“足手まとい”で、“才能がない”証拠で。


 でも今、この人は、それを“羨ましい”と言った。


 


 笑わなかった。

 否定しなかった。

 むしろ、認めてくれた。


 


 私はぎゅっと拳を握って、息を吸った。


 


「……じゃあ、私が空にいる意味、少しくらいあるってことですかね」


「ええ。十分すぎるほど、あります」


 


 そう言って、フィリアがほんのわずかに微笑んだ。


 その微笑みは、今まで空の上で見たどんな雲よりも――柔らかかった。



パート⑤「約束」



午後の陽が、サロンの窓辺を金色に照らしていた。

 ティーカップの中の紅茶もすっかり冷めて、それでも、私は座り続けていた。


 フィリア・エルメロードは、立ち上がると、最後にひとつ、まっすぐな声で言った。


 


「――クラウゼ号艦長、リリィ・フォン・クラウゼ」


「えっ、は、はいっ」


 


 呼びかけられて、ついびしっと姿勢を正してしまう。

 咄嗟にそうしてしまうほど、彼女の声には芯があった。


 


「次に模擬戦で対峙する際は、私はあなたの戦術を模倣します」


「…………へ?」


 


 思考が一瞬で停止する。


「も、模倣って、それ……真似するってことですか? 私の……逃げ回るのを?」


「逃げてはいなかった。生き残っていた。明確な目的と判断に基づいた行動です。

 模倣するに値する――立派な“選択”でした」


 


 ……なにそれ。


 なにその、わたし史上初の正面からの褒め言葉みたいなセリフ。


 


「え、ええっと、ええと……そ、それって……つまり、またやるんですか? 模擬戦……」


「できれば、空の上で。今度は、“互いに選んだ戦術”をもって」


 


 まっすぐな目だった。

 決して感情的ではないのに、その視線はあまりにも、まぶしかった。


 


「……こ、こちらこそ、またよろしく……お願い、します……っ」


「そのとき、私は“怖がりながら飛ぶ貴女”に――少しでも、届くように飛ぶつもりです」


 


 届くように。


 それはたぶん、昨日の私が彼女の内側に何かを投げかけた証だった。


 


 別れ際、フィリアがほんの少しだけ立ち止まって、振り向いた。


 


「“恐れること”を恥じないでください。

 それは、空の中で最も強い意志のかたちです」


 


 それだけ言って、彼女は去っていった。


 


 静かなサロンにひとり残され、私は手元のティーカップをそっと見つめた。


 恐れることは、弱さじゃない。

 空を怖がりながら、それでも空にいること。


 


 それは、きっと――


 


 わたしがわたしとして、空にいることなんだ。


 


 窓の外、蒼い空。


 その下に、クラウゼ号が待っている。


 たぶんまた手は震えるし、背中には汗をかく。

 それでも、私は――


 


「また、飛ぶよ。ちゃんと、見ててね……!」


 


(第4話・完)


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