◆第3話「飛べない悪役令嬢と、無敵の乙女艦長」
① 招待
朝、食堂。
私は、浮かない顔で浮いたパンをかじっていた。
「浮かないわね、パンが」
「それが正規仕様です。当主様」
「そうじゃなくて、気分がよ……っていうか、“浮かない顔で浮いたパン”って字面がもうひどい」
空の学校生活にも、ようやく慣れ……かけていた。
通路が透明なのも、艦が横を滑っていくのも、朝礼が空中合唱なのも、まあなんとか。
だけど、今日だけは――嫌な予感しかしない。
そしてその予感は、驚くほどあっさりと当たった。
「当主様。お知らせです」
「嫌な予感が当たった音がする」
「本日午後より、空軍士官学校主催の模擬空戦演習が開催されます」
「演習? へえ……で、私に何の関係が……」
「貴女様が特別出場されます」
「関係ど真ん中じゃない!!??」
私は立ち上がって叫んだ。パンが浮いて逃げた。
「なぜ!? なぜそんな話になったの!?」
「クラウゼ家は、“空中独立貴族艦”として学院に登録されております」
「知らないうちにエントリーされてた系!? 勝手にエントリーされてた系じゃない!?」
「“空中での政治的存在感を高める機会”として好ましい、との議会判断です」
「勝手に政治判断されてた系だし!!?」
私は慌てて立ち上がる。食堂のイスが空中でくるくる回る(なんで?)。
「ま、待って!? 私、飛空艇の操作まだ“基本的にレバーが動く”くらいしか分かってないのよ!?」
「ご安心ください。当主様の操縦は“象徴的演出”としての参加で構いません」
「演出って言った!? 今演出って言ったわね!? この命が演出で散るの!?」
「加えて、対戦相手が決まりました」
「やめて!! せめてそこはランダム制にして!!」
レーネは相変わらずの微笑で告げた。
「お相手は、【フィリア・エルメロード】艦長候補です」
「聞いたことある……その名前、聞いたことある……!」
「“不沈の乙女艦長”“星撃の魔導令嬢”“天上最速”などの二つ名を持つ方です」
「多すぎる! 誰よその人!? こっちは“ビビりの高所恐怖症”よ!!?」
レーネは、最後にこう締めくくった。
「当主様。あとはどうか、誇りある沈黙をお守りください」
「もう沈黙じゃなくて沈没よーーーー!!!!」
パート②「対戦相手」
模擬空戦の会場は、空に浮かぶ大円環状の演習場――通称。
周囲を囲むのは貴族艦、士官学校艦、そして――観戦用に滞空する“応援船”の群れ。
「すご……これ、全部……人?」
「はい。当主様。空戦観覧はこの地域では最も人気の高い催事のひとつです」
「え、なに? あたし今から人気イベントの“見世物”になるの?」
「正確には“公開処刑的エンタメ”枠かと」
「笑えないこと言わないでレーネ!!!」
私はガチガチに固まりながら、クラウゼ号の展望フロアに立つ。
さっきから胃がぐるぐるしている。高所恐怖症なのに、高所で晒されるとか意味わからない。
だが、そのとき――場の空気が変わった。
「――アルシオーネ号、演習空域に進入」
「艦長、フィリア・エルメロード、搭乗確認」
名前を聞いた瞬間、周囲がざわめいた。
空が静かになる。観客たちの視線が一斉にそちらへ向く。
私も、ついその艦を見た。
それは、銀だった。
銀というより、“光”そのもの。流れるような艦体。美しすぎて息が止まる。
そして、その艦の先端――艦首甲板に、ひとりの少女が立っていた。
風に乱れない白銀の髪。
エメラルドの瞳。
背筋をまっすぐに伸ばし、まるでこの空が“自分の領空”であるかのように――立っていた。
「あれが……」
「はい。当主様。フィリア・エルメロード艦長候補。
空帝連邦直属、“全戦無敗”の名門乙女艦長です」
「実在したのね……あの“最強のサブキャラ”枠……」
「彼女は“ヒロインを圧倒するために作られた敵”のような存在ですから」
「いや私まだヒロインとして確定してないから!?」
やがて、通信が入った。
『クラウゼ号。当主リリィ・フォン・クラウゼ殿、聞こえますか?』
「ひ、ひえ……き、聞こえてます!」
『本日、貴艦と模擬戦を行うこととなりました。……よろしくお願いします』
抑揚のない、静かな声音。
だけど、その中に一分の隙もなかった。
礼儀正しく、感情は無音。それはまるで――“空そのもの”のようだった。
「ひええ……やばい……絶対、あの人、開幕から“とっておき”使ってくるやつ……」
「ご安心ください。当主様。あちらが“とっておき”を使う前に、当主様が“標的”として選ばれます」
「その“安心”いらないのよ!!!」
フィリア・エルメロード。
この空を知り尽くし、この空で一度も負けたことのない少女。
私が今から戦う相手は、
“空を信じきった者”の代表格だった。
パート③「模擬戦開始」
「――模擬空戦、まもなく開始されます。各艦、戦闘準備を整えてください」
澄みきった女声のアナウンスが、空のあちこちに響いた。
それはまるで、祝祭の始まりを告げる音楽のようで――私の鼓動はもう限界だった。
「クラウゼ号、準備完了……は、してる……してるのかこれは……?」
「当主様の精神的準備を除けば、艦としての出撃態勢は整っています」
「それ一番重要なとこなんだけど!?!?」
私は操舵席に座ったまま、脚をぷるぷると震わせていた。
クラウゼ号のコントロールレバーは、まるで年代物の楽器のように重厚で、
“手に馴染む”というより“握ったまま二度と手放せない呪いの宝剣”みたいな雰囲気を放っている。
遠くに、敵艦――アルシオーネ号が浮かんでいた。
その姿は、ため息が出るほど美しかった。
無駄のない流線型、銀白の外殻。
そして、周囲を巡る魔導リングが、いまや静かに、だが確実に回転を始めていた。
「相手、やる気満々じゃない……」
「はい。“開戦3秒以内に勝利する”構えに見えます」
「どこの格ゲーキャラよ……!」
カウントが始まる。
――Three.
――Two.
――One.
「模擬戦、開始!」
その瞬間だった。
視界から、アルシオーネ号が――消えた。
「っ!? ど、どこ――」
「上です。当主様!」
私は反射的にレバーを倒す。
クラウゼ号が、ぎぃぃっと悲鳴を上げながら機首をずらす。
その直後――
青白い魔導標識弾が、こちらのすぐ隣をかすめていった。
「っ、近っっっ!! 今の“かすり”で済んだの!?」
「命中はしていません。当主様の初動判断、見事でした」
「褒めるな! 死ぬかと思った!!」
それからの数十秒――私は、生きているのが不思議になるほどの猛攻を受けた。
アルシオーネ号はまさに“空そのもの”。
どこにいたかと思えばもう別の方向、しかも正確無比な射撃。
観客席からは歓声と悲鳴が入り混じったようなどよめきが上がっていた。
「これが……“空帝連邦の星”……」
「いやいやいや、あれで模擬って何!? 模擬って優しめのやつじゃないの!? ねぇ!」
「当主様、クラウゼ号、次の回避行動に移ります。風向き変化、予測外圏内です」
「わかった。っていうか、“予測外圏内”って単語がすでに怖い!」
クラウゼ号の重い船体が旋回する。
ただそれだけなのに、私の胃は遠心力で逆回転しそうだった。
でも――まだ、私たちは落ちていない。撃たれてない。
無傷で、生きている。
「……クラウゼ号」
「はい」
「これ……勝てない、よね」
「残念ながら。火力差は圧倒的です。戦術速度も、機動も、全て向こうが上」
「だよね……」
私は、深く息を吐いた。
手は震えてる。足は言うことをきかない。
だけど――心の中で、ある決意が形になっていた。
「でもさ。だったら、“撃たない”って選択も、あるよね?」
「――御意」
ここから、私たちの“戦わない戦い”が始まる。
撃たず、逃げず、ただ避けきることで、生き延びる。
勝利はくれてやる。
でも、“負け方”くらい、こっちで選ばせてもらう。
パート④「選択」
クラウゼ号は、空の中を静かに漂っていた。
攻撃しない――という選択をしただけで、驚くほど周囲の空気が変わる。
観客席はざわついていた。
「……あれ、クラウゼ号、撃ってないよな?」
「逃げてるだけじゃね? いや、回避ってレベルじゃ……」
「まさか、“撃たないで生き延びる”つもりか?」
私はレバーを握り直す。
まだ震えている。けれど、さっきまでの“逃げたい”という気持ちは不思議と消えていた。
「クラウゼ号、風向き計算、再補正。次、どこへ抜けられる?」
「後方下層の気流に逆らいながら、螺旋回避が可能です。ただし、一般的な空戦行動からは著しく逸脱しています」
「むしろ望むところよ。普通の戦い方じゃ勝てないんだもの」
クラウゼ号の魔導炉が低く鳴る。
古式艦であるこの船は、最新艦みたいに器用なことはできない。
でも、“鈍重な重さ”こそが、この船の最大の個性だった。
「“沈空反転”、行くわよ」
「了解――反重力制御、開放開始。バラスト投下、タイミングは……今!」
クラウゼ号が、落ちた。
驚くほど静かに。
そして、美しかった。
重力を使い、落ちることで加速しながら回避する――“沈空反転”。
旧時代の艦しかできない、忘れ去られた回避戦術。
それを見た観客たちの声が、一瞬止まった。
「……なに、あれ……?」
「落ちてるのか? いや、回避してる?」
「違う……“舞ってる”……」
アルシオーネ号が再度突っ込んでくる。
青白い標識弾が、何発もこちらを狙って放たれる。
でも、私たちは撃たない。
ただ避ける。流す。逸らす。
空を読む。風と対話する。
「魔導泡障壁、右舷へスライド! リフレクションで標識弾ずらす!」
「了解。次、前方慣性ずらし、逆バンクで!」
クラウゼ号は応えた。
この艦は、ただの鉄の塊じゃない。
私と一緒に、空を生きる“仲間”だった。
「撃たなくても、戦えるんだよ……!」
そのとき――
『――なぜ、撃たないのですか?』
無機質な声が、通信から聞こえてきた。
フィリア・エルメロード。
あの“無敗の乙女艦長”が、私に話しかけてきた。
『この戦いは模擬であり、貴女の行動に法的制約はない。にもかかわらず……なぜ、撃たない?』
私は、正直に答える。
「だって、当たらないし。無理だもん。砲撃したって、絶対かわされる」
『……では、降伏すればいい。命を惜しむのならば、なぜ』
「違うわ。私は、“逃げる”んじゃない。……“生き延びる”のよ」
通信が、しばし沈黙した。
「私は、まだ空を怖がってる。でも、降りたくない。
怖がりながらでも、この空に――いたいのよ」
その瞬間、アルシオーネ号の動きが一瞬だけ――止まったように見えた。
無感情な乙女艦長の中で、わずかに“何か”が揺れた気がした。
パート⑤「決着」
鐘が鳴った。
高く、澄んだ音が空に響いた。
「模擬戦、終了――」
その一言で、私は初めて肩の力が抜けた。
全身がぐったりと操舵席に沈み込む。息を吸うと、喉の奥が痛い。
でも――私は、生きている。
「クラウゼ号、全系統、停止信号確認。戦闘データ、保存します」
「ふ……ふぅ……生き延びた……!」
「お見事でした。当主様。“撃たずに、沈まずに、10分間”という記録は初だと思われます」
「“初”って言い方、ちょっと恥ずかしくない!?」
「では、“奇跡の悪役令嬢”とでも」
「そのネーミングもイヤ!!」
ふと、周囲の様子が耳に届く。
ざわつき。歓声。驚き。そして、賞賛――?
「避けきった……のか?」
「クラウゼ号、あの速度と火力に、1発も被弾してないぞ……」
「まさか、“逃げ戦”でここまで……?」
どうやら、ただ“避けただけ”の私たちは、思った以上に目立ったらしい。
そりゃそうだ。誰もやらない。やりたがらない。
でも私たちは、“怖がりの空”を最後まで飛び切ったんだ。
そのとき、通信が入った。
『クラウゼ号。――艦長、リリィ・フォン・クラウゼ』
「へっ、はいっ!」
フィリア・エルメロードの声。
さっきと同じ、静かな声――でも、どこか熱がこもっていた。
『貴女の戦い方は、私の常識の外にありました。
敵に背を向けず、攻めず、ただ沈まなかった。……その姿勢は、私にはなかったものです』
「え、えーと……褒めてる?」
『私は、貴女に“負けたかった”のかもしれません』
え。
「え……それって、なに……どういう意味……?」
『模擬戦は私の勝ちです。しかし、“戦術的価値”においては、貴女の方が“勝っていた”』
そう言って、通信が切れた。
「…………なんか……すごく遠回しに褒められた気がする……」
「つまり、“あの戦い方は、私にはできない”と。そういう意味でしょう」
「え、なにそれ……ちょっと、泣きそうなんだけど……!」
私は笑った。
汗まみれで、体も震えて、目の前はまだ霞んでるけど――でも確かに、私は、空を飛んだ。
この空で、“誰かに何かを残せる”ような飛び方が、できたんだ。
クラウゼ号の外殻が夕陽に照らされる。
風が吹く。音もなく、ただ穏やかに。
私は、その風の中で、静かに誓った。
次は、ちゃんと“戦える自分”になろう。
“怖がり”のままで、“空の中に”居続けられるように。
(第3話・完)