◆第2話「飛空艇学校、地に足つかず!」
① 導入
――初陣を終えたその日の夕方。
私はクラウゼ号のベッドに倒れ込み、全身を震わせていた。
「こわかった……ほんと、こわかった……」
「当主様、温かいミルクを。甘味成分と鎮静効果がございます」
「このミルクも浮いてない? 大丈夫? 浮いてる液体、信じられないのよ最近……」
「浮いてはおりますが、バランスは良好です」
「やっぱり浮いてるのね!!」
初めての飛行、初めての艦橋、初めての“他国艦接近”。
結局、接近してきた飛空艇はただの商隊だったけれど、
私は一人で勝手に“空中開戦フラグ”に突入していた。
あの時の顔は見せられない。誰にも。
そんな私に、さらなる地獄がやってきたのは――
その10分後だった。
「……え? “空軍学校”? 私が? 行くの?」
今、目の前でレーネがさらっと爆弾を投下した。
「はい。当主様は名目上、空軍戦略学院の“外部理事”という肩書をお持ちですので」
「それは聞いてないのよ!?」
「当主就任と同時に任命されました。今日の午後に書類が届きました」
「一日も経ってないじゃない!?!?」
「明朝、学院艦より迎えが来ます。服装は自由ですが、浮遊耐性靴の着用をおすすめします」
「耐性靴!? “浮遊耐性”って何よ!?」
「空中でスカートが捲れるのを防ぐ魔導処理です」
「スカートも空に怯える時代なの!?」
私は頭を抱えた。
戦争は怖い。空も怖い。
なのに、今度は**“空のプロ”が集まる学校に顔を出せ”**という。
「レーネ、私は空が怖いのよ。
空軍学校って、もっと……筋肉ムキムキとか、ガチの飛空艇乗りとか、空中で腕立てするような人たちでしょ……?」
「はい。概ねその通りでございます」
「やっぱりじゃないのよ!!」
レーネは言った。
この世界では、空こそが常識。
飛空艇を持つ貴族は、同時に“空の力”を示す者として、教育機関の名誉職にも就く。
それは、社交の一環であり、外交のアピールでもあるのだと。
「でも私……空の“く”の字も知らないんだけど……」
「その“く”も浮いております。当主様」
「浮くなあああああああああ!!!!」
翌朝。
艦の甲板に現れたのは、天を裂くような流線型の巨大艦――
アルパスト空軍士官学校、**学院艦**だった。
その姿を見上げた私は、泣きそうになった。
だって、また浮いてたから。
② 空の学校
「……うそでしょ」
私の目の前に広がるのは、空中に浮かぶ学園都市だった。
それも、ただ浮かんでるだけじゃない。
校舎、グラウンド、講堂、礼拝堂、購買部、全てが個別に浮いていて、空中連結されてる。
雲の上に架けられた空中歩廊を通って移動する。しかも、その通路の床が――
「透けてるじゃんかあああああああああああ!!!!」
「リリィ様、お静かに。学院艦の中庭でございます」
「中庭の高さじゃないのよ!? ここ地上3000メートルくらいじゃない!?!?」
「3150メートルでございます。微妙な数字がリアルですね」
「リアルすぎて吐きそうよ!!」
ちなみに今私が立っている通路は、**“無風式透明浮遊橋”**という魔法装置でできているらしい。
名前のくせにめちゃくちゃ風通し良くて怖いし、
“透明”の時点で地獄だし、
“浮遊橋”という単語を使うのやめてくれ。
周囲を見渡せば、生徒たちは実に堂々と空を歩いていた。
空中体操部が鉄棒で360度回転してるし、
魔導推進付きスケート靴で空中走行してる子もいるし、
購買部のパンは空中配送されてるし。
「なにこの世界!? 地上のパンは売ってないの!?」
「地上から運ぶとつぶれますので、空中焼きが主流でございます」
「パンまで浮いてんのかああああああ!!!」
さらに校舎に入ると、そこには更なる狂気が広がっていた。
廊下の両端が吹き抜けていた。左右の壁がない。
教室のドアもスライド式で、下が完全に空。
窓の代わりに外気魔法膜という謎技術が張られており、風を遮断しながらも視界は開放されている。
「ここに落ちたら……落ちるよね?」
「いえ、落ちる前に“空間補足式セーフベール”が発動します」
「そのベール、絶対信用できないやつじゃない!?」
「前年度の生徒落下率は3%です」
「そこそこ落ちてるじゃないのよ!?!?!?」
そこへ、空から滑るようにやってきたひとりの人物。
赤髪を靡かせた、生徒代表の少年が現れる。
「君が、クラウゼ号の新当主かい? もっと……空気のある人かと思ってたけど」
「えっ、空気のある人ってなに? 私、今むしろ酸素薄いわよ?」
「僕はエリク・ブレイザー。上級艦長科主席。“飛ぶ貴族”を目指してる」
「わたし“飛びたくない貴族”なんだけど、敵かな?」
エリクは冷ややかに笑った。
「クラウゼ号って、もう古いだろ? 時代遅れの艦に、時代遅れの当主。笑い話だね」
「……いや、待って。わたしまだ“笑い”のステージにも立ててないから!」
ひゅう、と風が吹く。
見下ろせば、雲が流れていく。
上を見れば、空の果てに飛空艇訓練場が浮かんでいる。
――完全に、地に足がついてない。
「……レーネ。私、ここで……どうすればいいの?」
「とりあえず落ちずに、がんばってくださいませ」
「精神論!? 教官って、もっと安全靴とか配るもんじゃないの!?」
かくして私は、「空を歩くのが当たり前」の人々の中に、地面を恋しがる異物として放り込まれたのであった。
この世界において、空が怖いのは――
私だけかもしれない。
③ 屈辱
飛空艇操縦実習――。
この学校で最も花形とされる授業のひとつであり、
貴族出身の生徒たちが自分の艦を持ち寄って、“空の技術”を競い合う時間。
当然、私も呼び出された。
呼ばれた以上、クラウゼ号も出さねばならない。
「……いや無理でしょ。クラウゼ号、完全に博物館案件よ?」
「クラウゼ号は現役です。当主様」
「浮いてるだけでもう限界なのよ!」
ところが、教官も生徒たちも――
「わあ、あれがクラウゼ号? 本当に動くんだ……」
「前に聞いたよ。魔導炉が化石って噂。まだ爆発してないんだ?」
「逆にすごい。クラシックカーを戦場に持ってくるレベル」
……とまあ、口が悪いこと悪いこと。
クラウゼ号は空に現れた瞬間から、“時代遅れの遺物”として、笑い者にされていた。
確かに、他の貴族艦はどれも最新式だ。
艦体は軽量で、流線型の魔導外装。
武装も最新式の浮遊砲塔、誘導式魔導弾、戦術遮断膜。
そして――クラウゼ号。
金属装甲がごつごつしていて、古めかしい。
魔導炉は前世紀の設計。
動力系はすべて手動式補助あり、という古き良き……というかただの古い構造。
「クラウゼ号って、“風上に立てない艦”で有名だったらしいよ」
「推進魔導式が時代遅れすぎて、戦場でぐるぐる回るって話、マジ?」
「やば、艦じゃなくて洗濯機じゃん」
私は、何も言えなかった。
口を開いたら、泣きそうだったから。
悔しいとか、怒りとかじゃない。
ただ――
申し訳なかった。
クラウゼ号に対して。
あのとき、あんなに震えながら、でも必死に私を支えてくれたこの艦に。
私は今、堂々と「自分の艦」だって、言えなかった。
そのとき、エリクがやってきた。
「やっぱりね。クラウゼ号ってもう引退すべきだよ。
こんな時代にあんな艦に乗ってるなんて、戦う気がない証拠だ」
その言葉に、私は――顔を上げた。
悔しさじゃなく、静かな怒りが、胸の奥で目を覚ます。
「……それ、本人に言った?」
「本人……?」
「クラウゼ号に。“飛ぶ気がない”なんて、よく言えるわね」
「は?」
そのとき、艦橋のスピーカーから、低く穏やかな声が響いた。
「クラウゼ号、魔導浮力安定。推進炉、起動準備完了」
クラウゼ号が、静かに、動き始めた。
④ 見せ場
クラウゼ号が、空を滑った。
それはまるで、空中を這う獣のような、低く唸る動きだった。
「なにあれ……」
「遅っ! 出力、全然上がってないじゃん」
「重すぎて旋回できないんじゃないの?」
笑い声が、また上がる。
けれど、その誰もがまだ――知らなかった。
この艦が、空を生き延びた艦であることを。
「当主様。訓練飛行、承認を」
「えっ、私、何も許可してな――」
「了解を確認。クラウゼ号、訓練飛行、開始します」
「聞いてないってばーーーー!!!!!」
魔導浮力炉が唸り、艦体がぐらりと傾く。
だが、それは不安定ではない。“古いけれど、確実な重さ”だ。
そのとき。
クラウゼ号が沈んだ。
空中で――沈んだ。
「おい、あれ――落ちてるぞ!? 本気で墜ちる気か!?」
生徒たちの声が上がる。だが、それは違った。
「当主様、旧式機動《沈空反転》開始」
「えっなにそれ!? かっこいいけど名前だけ!? 意味あるの!?!?」
次の瞬間――
クラウゼ号の艦体が、地面に対して背面を向けた。
背中を下に、腹を上に、空中でぐるりとひと回転。
上下が反転した姿勢のまま、魔導推進を真横に吹かし――
旋回した。
くるり、と。
大艦が、まるで小鳥のように宙を舞った。
「な……っ!?」
誰かの声が震える。
その艦動作は、最新の自動制御艦では絶対にできない技術だった。
クラウゼ号は、全身を**“重さ”として使う。**
質量、装甲、重力の癖。
すべてを活かして、風に対して“滑る”ように動く。
「……“沈んでから跳ねる”って、そういうこと……?」
私の脳が、ようやく追いついた。
「当主様。続けますか?」
「……うん」
私の手が、自然と操舵杖に伸びた。
手が震える。でも、なんとか握れる。
「ねえ、クラウゼ号」
「はい。当主様」
「さっきの技……昔の戦場で、使ってたの?」
「はい。貴女の祖父君が得意でした。
“不器用な艦でも、賢く飛べる”と、誇らしげに仰って」
私は、ぐっと息を呑む。
そして、ゆっくりと頷いた。
「だったら、見せてやろうよ」
クラウゼ号が、再び風を切った。
旋回、降下、加速、反転。
重い機体でしかできない、**“無理のない無茶”**の数々。
それは派手ではない。速くもない。
でも――しぶとい。強か。美しい。
「旧式ってだけで笑うなってのよ……!」
気がつけば、周囲の生徒たちは声を失っていた。
エリクも、唇を噛んでいた。
リリィ・フォン・クラウゼ。
“落ちたくない”だけの弱気な令嬢は――
今、空で初めて、“カッコいい”と呼ばれた。
⑤「決意」
クラウゼ号が、空に舞った。
静かに、しなやかに。
けれど確かに、**“空を知っている者の飛び方”**だった。
操舵席の私の手のひらには、じっとりと汗。
心臓はバクバク。呼吸は浅くて、ひざも震えてた。
怖いのは、変わらない。
それでも――
生徒たちが、黙ってクラウゼ号を見つめていた。
ついさっきまで「骨董品」「洗濯機」と笑っていた連中が、今は息を呑んでいる。
そんな空気の中、クラウゼ号が静かに言った。
「当主様」
「……なに?」
「私は、時代遅れかもしれません。
ですが、“役目を終えた”つもりは、一度もございません」
私は、そっと目を伏せた。
「……わかってるよ。ごめんね。
あんたが、私を空に連れて行ってくれたってこと、忘れてた」
「いえ。当主様が、私に空へ向かう勇気をくださいました」
「逆よ、逆……こっちが勇気もらってるわよ……」
私はふと、ふき出した。
空の上で、足元は透明で、何百メートルも下に地面があって。
そんな場所で、私は笑っていた。
たぶん――
今までの人生で、いちばん高い場所で。
「ねえ、クラウゼ号」
「はい」
「……私ね。まだ怖いのよ。落ちるのも、笑われるのも。
失敗するのも、自分が“ちゃんとしてない”って言われるのも、ぜんぶ」
「……」
「でも。
あんたと一緒になら、ちょっとくらい――飛べる気がするの」
それは、ほんの小さな一歩だった。
空への恐怖は、消えたわけじゃない。
でも、私はもう逃げないと――そう決めた。
「私はこの艦の当主、リリィ・フォン・クラウゼ。
ポンコツで、びびりで、浮いてばっかりだけど。
この空の中で、ちゃんと生きてみせるわ」
風が吹いた。
クラウゼ号が、空を抱いて進む。
その操舵席に立つ彼女の背筋は、わずかに――でも確かに、まっすぐだった。
こうして、リリィの空での二歩目が始まった。
足は震え、心臓はばくばく。
でも――空は少し、優しくなった。
(第2話・了)