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◆第1話「悪役令嬢、落ちる。」

①転生シーン


……首が落ちる寸前だった。


 断頭台の上で、冷たい刃が私の視界を切り裂く。


 ああ、これで終わりだ――なんて思えるほど、綺麗に人生をやりきっていたわけじゃない。

 だって私は、“悪役令嬢”だったのだから。


 


 ――そして、目を覚ましたら。


 


「…………は?」


 


 視界いっぱいに広がる、青。


 違う。これ、“天井”じゃない。空だ。


 ふかふかのシーツに包まれている私の体。

 その下にあるのは、白いベッド。そして――


 


 そのベッドが、浮いていた。


 


「う、う、うわああああああああ!!!!!???」


 


 叫びながら跳ね起きた私の全身が、ぐらりと大きく揺れた。

 ベッドが揺れる。空中で、ぐらりと。


 


 視界の端に、まるで普通のことのように浮かぶテーブル。

 中空に宙吊りになってる本棚。

 そして、浮遊してるメイドさんが、優雅に紅茶を淹れていた。


 


「……おはようございます、リリィ様。浮いてらっしゃいますね、今日も」


「えっ……? えっ、なに? えっ、なに? ここどこ!? 地面は!? どこに地面あるの!?」


「真下にございますが、落ちると大変ですのでお気をつけて」


「落ちる前提なのね!?!?!?」


 


 私は震える指先で、自分の頬をつねった。


 痛い。つねりすぎて痛い。

 でも起きない。夢じゃない。夢のくせに現実味が強すぎる。


 


 なぜか目の前のメイドが、空を漂いながらティーカップを差し出してくる。


「高高度での水分補給は重要です。空気が乾燥しておりますから」


「高度!? なにそれ!? ここ地上じゃないの!?」


「申し遅れました。ここはアルパスト公国、浮遊州“リフター区”――リリィ様の領地です」


 


 メイドは、まるで「今日の天気は晴れですね」くらいのトーンで言った。


「この世界では、大地は浮かぶもの。飛ばないほうが不便でございます」


 


 ――私の脳が、情報の過積載でバグを起こす。


 


「ちょ、待って……私、死んだんじゃ……断頭台の上で……」


「はい。お亡くなりになられたのち、正式に転生されました。おめでとうございます。

 このたびはアルパスト貴族、クラウゼ家の一人娘・リリィ様としての新たな人生を」


「……って、転生してんじゃん私!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?」


 


 その瞬間、ベッドの下で風が吹いた。ぐわん、と空気が巻き上がり、私の体が一瞬、ふわりと浮く。


「う、うわああああああああああああああああああああ!!!!!」


 


 私は本能的に、ベッドの柱にしがみついた。

 空が下にある。地面が見えない。見えるのは、雲と、遥か彼方の大地だけ。


「いやああああああ!! 地上に返してえええええええええ!!!」


「残念ながらリリィ様、地上はもう数百メートル下です」


「ひいいいいいいいィィ!!?」


 


 かくして私は――


 空を怖がる悪役令嬢として、

 空に浮いたベッドの上で、転生人生をスタートさせたのであった。


② 状況整理


空に浮かぶベッドで朝を迎えた少女は、今、全身で空を拒絶していた。


「私は地面が好きなのッ! 地に足をつけて生きたいのッ!!」


「お気持ちはお察ししますが、地上はもうございません」


「あるよね!? 絶対あるよね!? ちょっと降ろして! エレベーター! どこエレベーター!!」


「残念ながら、浮遊州リフター区は垂直移動制御式。手動降下は……死亡事故の可能性が」


「ッッ!!!!????」


 


 動悸がする。汗が吹き出す。

 なのにメイドは涼しい顔で、空に浮くティーカップを回している。


「お飲みになりますか? 空冷式ロイヤルブレンドです。浮いたままでもこぼれません」


「いらないッ!! 飲んだら胃まで浮きそうなのよッ!!」


「そうですか。では温め直しておきますね。浮いたまま」


「浮かすなあああああああ!!!!!」


 


 深呼吸。深呼吸。落ち着け私。私は冷静。私は優雅。私は貴族。

 ……いや、待って? 私、今なに? そもそも誰?


 


「メイドさん……あなた、誰?」


「改めまして。私はレーネ=エルム、クラウゼ家付メイド長でございます」


「クラウゼ……?」


「リリィ様の家名です。貴女はクラウゼ家の一人娘であり、アルパスト公国リフター区の当主です」


「…………はい?」


 


 まるで、ミルクの入っていない紅茶のように、理解が薄い。


「当主……? 私が?」


「そうです。この浮遊州の管理権、航空戦力、そしてクラウゼ号の指揮権、すべて貴女が」


「ちょ、ちょっと待って!? 私、空が怖いの! 飛べないの!! 絶対やっちゃいけないポジションでしょそれ!!」


「ですが、他に誰もおりませんので」


「軽いなおい!!!」


 


 レーネは淡々と、次々と驚愕の事実を投げつけてくる。


「先代当主であるリリィ様のお祖父様は、3年前に戦争中行方不明。貴女が唯一の継承者でございます」


「えっ、戦争ってなに? あったの?」


「ありましたし、たぶんまたあります。リフター区は現在、他国の空域進入に晒されております」


「やめてよそういうの!! まだ飛び立ってもないのに終わるフラグやめて!!」


 


 この世界は、魔法と空の浮力で成り立つ文明。

 空を制する者が、国を治める。


 貴族は「空域」を統べ、飛空艇で航路と領空を管理する。

 地上の領土などは“落伍者の住処”とされ、すでに衰退して久しい。


 


 そんな“空の貴族社会”で――


 空が怖い、というだけでほぼ詰みである。


「そんなの、理不尽すぎる……!」


「ご安心ください、リリィ様。ほとんどのことはクラウゼ号がやってくれますので」


「やってくれるの? 私、何を?」


「浮いているだけで結構です。名目上は」


「そういうの一番こわいのよ!?!?」


 


 リリィの絶叫が、また空の彼方へと吸い込まれていった。

 その声に応えるように、遥か遠く、雲の向こうからひとつの影が接近してきていた――


 


「……リリィ様、よろしければ。クラウゼ号の見学など、いかがですか?」


 


 それが、彼女の“落ちかける運命”の始まりだった。


③ 自身の立場


 ――そして私は、クラウゼ号と対面した。


 


「……なんでこんなに……でかいのよ……」


 


 目前にそびえ立つのは、長さ150メートル、重量1万トンを超えるとされる巨大飛空艇。

 全体は艶やかな黒金色。古いながらも整備は行き届き、貴族の気品と軍艦の威厳を同時に備えている。

 だがそれ以上に問題なのは――


 


「浮いてるじゃん……また……空に……」


 


 クラウゼ号は、空に浮いていた。しかも巨大な艦体ごと。


 雲より高い高度に優雅に滞空するその姿は、まるで空を泳ぐ王魚。

 だが私にはただの空飛ぶ棺桶にしか見えない。


 


「ようこそ、クラウゼ号へ――当主様」


 


 低く、重厚な声が響いた。


 


「だっ、だれ!? どこ!? 誰喋ったの!?」


「私でございます。クラウゼ号です」


「……お前が喋ったの!? 飛空艇が!? しゃべったの!?!?!?」


 


 クラウゼ号には、魔導機構によって**“意思”が宿っていた**。

 そして、かつての主――リリィの祖父クラウゼ卿――の命により、「正統な後継者」にのみ声をかけるよう設計されていたという。


 


「私が再び目覚めるのを、長らく待っておりました。お嬢様の名が、風に届く日を」


「いや目覚めなくてよかったよ!? 寝てて!? なんでそんなナチュラルに戦力化されてんの私!!」


 


 クラウゼ号の甲板に足を踏み入れるたび、胃がひっくり返りそうになる。

 なぜなら床が透けていた。魔導式視界透過床材らしいが、こっちは生理的に透過不可だ。


 


「吐く……私これ無理……」


「失礼ながら、リリィ様は高所に耐性が……?」


「“ない”わよ!!!! むしろ“敏感に察知して即座に拒絶する”わよ!!!!」


 


 それでも艦内を一周し、最上階に案内された。

 そこにあったのは、ひとつの古びた椅子――“提督席”。


 


「こちらが、お嬢様の席でございます」


「え? いや、違う違う。私、見学来ただけで……」


「アルパスト公国領空防衛艦隊旗艦《クラウゼ号》、指揮権限、リリィ・フォン・クラウゼ当主へ正式移譲」


「しない! 移譲しない!! キャンセルボタンどこ!?!?!?!?」


 


 艦内に、ぼんやりと灯るランプが一斉に瞬いた。

 その光は、まるで彼女を主として“歓迎”しているかのように、温かく、優しく、でも無慈悲に――


 


「……やだ……本当にやる流れじゃん……」


 


 その瞬間、クラウゼ号の視認窓に、遠くの空を滑る“影”が映った。


「リリィ様、警戒信号。南方の空に未承認飛空艇。識別信号なし。高度接近中」


「……え、今って就任式じゃなかった?」


「今が“初陣”でございます」


「初陣!?!?!?」


 


 突然始まる空の戦争。

 突然始まる貴族業務。

 突然始まる「高いところで死にたくない人生」。


 


 私は椅子に座った。


 それしかなかった。もう、降りられなかった。


 


「クラウゼ号……墜ちるなよ……?」


「はい。当主様。貴女が落ちなければ、我も墜ちませぬ」


 


 風が、吹いた。

 リリィの髪がふわりと舞い上がる。

 空は遠く、高く、そして容赦なく青い。


 


 こうして、“空が一番嫌いな令嬢”が――

 空を守る提督になった。



④ クラウゼ号登場


クラウゼ号の艦橋は静かだった。

 静かすぎて、心拍音が自分の鼓膜にやかましい。


 


 私は、椅子に座っている。

 クラウゼ号の“提督席”――この空を指揮するための、いちばん高くて、いちばん怖い場所に。


 


「ご準備が整いましたら、発艦手続きへ移行いたします」


「いやいやいや! 整ってない整ってない整ってない!!!」


「精神状態を感知しました。非常時モードへ切り替えます」


「やめてよ! 非常事態は私のメンタルだから!!」


 


 叫び声もむなしく、クラウゼ号は静かに、しかし確実に動き始めた。

 重たい振動が足元から伝わってくる。体の芯が浮くような錯覚。いや、浮いてるんだ本当に!


 


「クラウゼ号、上昇開始。魔導浮力炉、出力五十パーセント……」


「こわいこわいこわいこわいこわい!!!!!」


 


 ガラス張りの艦橋の床の向こう――地面はすでに、見えない。


 雲を抜ける。


 空を割る。


 クラウゼ号が、飛んでいく。


 


「う、わ、ああああああああああああ!!!!」


 


 私は椅子にしがみつき、白目をむいた。

 顔面蒼白。肩は震え、口元は泡をふきかけ、完全にダメな人だ。


 


「高度、現在一五〇〇メートル。風速は穏やか。気温も安定」


「知らん!!! 地面が恋しい!!!」


「当主様、艦内に“慰め羊ぬいぐるみ”を配備しております。必要であればお呼びいたします」


「それで落ち着けると思う!?!?」


 


 私はもう、どうにでもなれと思って、目をぎゅっと閉じた。

 このまま気絶して、すべて夢でしたってオチにならないかな。


 


 でも、そのとき――


 


 耳に、声が届いた。


 


「当主様。空とは、恐れるものではありません」


 


 それはクラウゼ号の声だった。

 深く、静かで、どこか――あたたかい。


 


「風は、すべての者の頭上に平等に流れます。

 しかし、空を恐れる者にこそ、私は翼を貸しましょう。

 貴女が、落ちることを望まぬ限り――私は決して、墜ちませぬ」


 


「……なに、それ……かっこいいじゃない……」


 


 私は、そっと目を開けた。

 広がるのは、果てしない蒼穹。

 雲の上を行く、まばゆい太陽。

 まるで、空に手が届くような――そんな風景。


 


「……ねえ、クラウゼ号」


「はい。当主様」


「私が、怖がっても……飛んでくれる?」


「もちろんでございます」


「じゃあさ……落ちるなよ?」


「はい。当主様。命に代えても――墜ちません。」


 


 風が、リリィの髪を撫でる。

 その瞬間、クラウゼ号はひときわ高く舞い上がり――空の女王として、吠えた。


 


 その初陣は、空の静けさの中、ゆるやかに幕を開ける――


⑤ 初フライト&決意


「当主様。南方空域より、未確認飛空艇が接近中。識別信号、確認できません」


 


 クラウゼ号の声が静かに響く。


 艦橋のガラス張りの前方、遠くの空に――黒い点が見えた。


 それは、風に乗り、こちらに向かってゆっくりと進んでくる。


 雲を裂き、輪郭を現すその影。


 ――戦艦だった。


 


「なんでぇ!? まだ正式に空飛んで一時間も経ってないのに!?」


「領空侵犯の可能性があります」


「こっちは“恐怖心で領空侵犯中”だわよ!!!」


 


 私はクラウゼ号の操縦席――というか、ふかふかの椅子にうずくまり、震えながら叫ぶ。


「こわい……いやだ……帰りたい……地上に……あったかい地面……土……草……雑草でもいい……」


「当主様。敵艦がクラウゼ号の射程圏に入りました。

 交信を試みますか?」


「交信とかじゃないの! 私が交信したいのは大地なのよ!!」


 


 そのときだった。


 艦体がわずかに揺れた。

 いや、風だ。

 空を流れる風が、クラウゼ号の甲板を撫でていく。


 それが、ふと――懐かしく思えた。


 


 ……あれ?


 なにこの感覚。


 


 私は思い出した。


 前の人生の最後。

 断頭台の上で、すべてを失って、怖くて、泣きたくて――


 でも、最期の最期に。


 


 ――死にたくないって、思ったんだ。


 


 だから、私はここにいる。


 もう一度生きるために、ここにいる。


 


「……クラウゼ号」


「はい、当主様」


「このまま、逃げたら……」


「逃げたら?」


「きっと私は、また“死ぬ”わ」


 


 目を開けた。

 その先には、空があった。


 怖くて、冷たくて、遠くて。


 ――それでも、手を伸ばしたくなる空。


 


「私は、生きるって決めたの。

 空が怖くても。高いのが嫌いでも。

 落ちたくないから、飛ぶのよ」


「……了解いたしました。当主様。

 クラウゼ号、全エネルギーを浮力炉へ転送。高度、維持」


 


 クラウゼ号が、翼を広げる。

 戦艦でありながら、まるで大鳥のように――空を滑る。


 リリィの瞳が、強くなる。


 


「……撃たない。撃たせない。

 とりあえず今日は、笑って帰るの。

 “生きる”って、そういうことだから!」


 


 クラウゼ号が旋回する。

 空を切り裂きながら、黒い艦に向けて堂々と飛ぶ。


 


「空が嫌いな悪役令嬢だって、飛べるのよ。

 震えながら、逃げ腰で、へっぴり腰で――でも、前を向いて!」


 


 風が鳴いた。

 雲が割れた。

 空が、少しだけ――優しくなった気がした。


 


 こうして、クラウゼ家令嬢リリィ・フォン・クラウゼは、

 その名を空に刻み始めた。


 空が怖くてたまらない、空の提督として――


 


(第1話・了)


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