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過去がお前を殺しに来たぞ

 正義漢気取りの頭のおかしい男、神野八代。

 自分を主人公だとでも思っている勘違い野郎が泣き叫ぶ様を早く見てみたい。

 どうやってコイツを料理してやろうか。


 ゾクゾクしながら想像を広げていると、一瞬倉庫内が暗くなった。

 使われていない予備倉庫というのもあって、蛍光灯が古いせいだろう。

 拷問らしい雰囲気が出ていて、こっちの方が良いかもしれない。

 床に這いつくばる傷だらけの神野に向き直ろうとして、……………………あれ?


 そこには誰もいなかった。

 逃げられたかと周囲を見回したが、誰もいない……誰もいない?

 そこにいるはずの京真と三葉までいつの間にかいなくなっている。


「おい、京――――――――」


 言いかけて、俺は自身がその場から身動きが取れない状況になっていることに今更ながら気づいた。

 椅子に縄で縛り付けられているのだ。


 なぜ?いつの間に?2人はどこだ?

 水泡のように沸き上がる疑問は目の前の暗闇からひたひたと近づく足音で一斉に弾けた。


「お前……どうやってあの状況から」


 俺は目の前の信じられない光景に一瞬呼吸を忘れかけた。

 だって現実にあり得ないだろう。

 神野がいつどこから取り出したのか見当もつかないほど、大きな鋏を抱えているなんてことが。


 それは背丈くらいまで高さのある鋏で、巨大な剪定鋏にも思える大きさだ。

 首など簡単に斬り落とせるような重厚感と鋭い刃。


「そういえば、屋上から落ちた浜崎開斗の両腕には煙草を押し付けた跡がいくつもあったらしいな。彼はさぞ熱かったろうな。いっそのこと腕を斬り落としてしまいたいと思うほどに」


 神野は鋭い目を俺に向けて、刃の先を指で撫でた。

 そして、静かな怒りを携えてその切っ先を俺の左腕に向ける。


 これといって特徴のない何の価値もない人間。

 浜崎開斗という人間は俺からしてみればその程度の存在だ。

 勉強もスポーツも芸術も音楽も、特別秀でているものがなければ友達もほとんどいない影の薄い奴。

 そこらを歩けば鬱陶しいくらいにあちこちを闊歩しているつまらない存在の1人がこの世から消え去っただけ。


 いなくなっても誰にも気づかれないような存在のはずなのに。

 すぐに事件は風化して過去のものになるだろうと思っていたのに。


「過去がお前を殺しに来たぞ」


 大きな鋏は俺の左腕に向けられて、大きく口を開く。

 ただの脅しで終わるだろうと僅かに期待していた。

 俺達をビビらせるだけビビらせて優位に立ちたいだけなのだろうと。

 それがただの淡い期待だとすぐに悟った。


 どんよりとくすんだ人殺しの瞳は、そんな俺の小さな期待を丸飲みしまうほどに暗くて深い深海のようで、奥底へ吸い込まれるような錯覚を覚える。

 ぼーっと、少しずつ感情が無になっていくような、思考を奪われているような不思議な感覚。


 しかし、酩酊にも似たぼんやりとした意識は、唐突に左腕に走る激痛によって地獄へと景色を変える。

 左腕に向けられた大ぶりな鋏の口が閉じられていたのだ。

 倉庫内に広がる狂ったような絶叫。

 それが自分の声だと分からなくなるほどにまで正常性が失われていた。


 ******************************


 ついさっきまで体育予備倉庫にいたはずなのに、気がつくと保健室のベッドに横になっていた。

 私はいつの間に保健室で寝ていたのだろうか。


 外はすっかり暗くなっていて、夕方の時間をとうに過ぎている。

 早く家に帰らないとお母さんにグチグチ言われてしまう。

 はーうざっ。


 京真か翼が起こしてくれればよかったのに、男って本当気が利かないなとため息をつく。

 いや、あるいは私の意識はまだ夢の中なのかもしれない。

 だって、今私の目に映る光景があまりにも現実離れしているから。


 月明かりが血のように赤く、保健室内は血まみれなのかと錯覚するぐらいに赤々と照らされている。

 不気味さを感じてベッドから起き上がろうとして、私は自身の手足が縄でベッドに縛り付けられていることに気づいた。


「は…………?なに、なんで?」


 何がどうなっているのか理解が追いつかず、軽くパニックになりながら必死で手足を動かすものの、縄が解ける様子はない。


 その時、保健室の扉がゆっくりと開いた。

 開いたドアの向こうは深淵のように真っ暗闇だった。

 窓から外の明かりが幾分か差し込んできているはずなのに、一切の光がない。

 そこから、1人の男子が姿を現した。


「な、なんで……。あんた、どうやって倉庫から出られたのよ。京真と翼はどこ?つーか、縄解いてよ!」


 現れたのは神野八代だった。

 私は罵詈雑言をぶつけながら両手足を何度もばたつかせ、敵意をむき出しにする。


「ベッドに縛り付けて私に何する気?少しでも私の身体に触れたら翼があんたのことボコボコにするからね。あんたみたいな気持ち悪いチー牛童貞が私に気安く触れんじゃねぇえよ!」


 ベッドの上で暴れまわる私を、神野は冷たい目で静かに見下ろしている。

 激しく身体を動かしすぎて息が切れた時、神野が口を開いた。


「俺の親父は連続殺人鬼で現在も逃亡中の身だ。母さんと妹を殺すに留まらず、あいつは逃亡しながら今なお殺人を続けている」


 神野は焦点が定まっていないくすんだ目で私を見下ろしながら、私の反応なんてお構いなしに語りを続ける。


「俺が今1人暮らしをしているアパートに毎夜、親父がかつて殺した被害者達の怨霊が縁を辿って尋ねて来るんだ。お前を呪い殺してやるって呪い事を吐いて俺を襲いかかる。

 俺はそいつらに呪い殺されないために毎晩必死で抵抗し、闘い、あるいは躱し続けた。それは、つまり幽世の世界と接続し続けているということだ。そのせいで、いや、そのおかげで俺には霊能力が身についたんだ。彼らの姿が視えるし声が聴こえるだけじゃない。彼らと言葉を交わし、そして操ることのできる精度の高い霊能力をな」


 神野は開いたままの扉の奥、暗い廊下へと手を伸ばし、手をひらひらとさせる。

 池で泳ぐ鯉を引きつけるかのように。


「襲いに来る怨霊達の中には童貞の男が何人もいてな、死ぬ前に一度でいいから可愛い子と経験してみたかったと俺に不満をぶつけるんだ。彼らがまだ生きていれば今後そういった経験ができたかもしれないのに、それができなかった。父親が犯した罪とはいえ、息子の俺も責任を感じてさ、こいつらに何か償いをしてやりたいと思っていたんだ」


 神野はニヤリと笑った。

 暗闇の奥から現れる黒い靄。それは人型を模していて、1人、2人、3人、次々と入ってくる。

 部屋に入ってきた黒い人型の靄は、徐々に質感を伴った輪郭を表していく。


 禿げかかった丸い頭、だらしなくたるんだ腹のおっさん。

 あるいは、痩せぎすでいかにもオタクっぽい、教室の隅で歴史の本を読んでいそうな男子。

 すれ違ったら思わず振り向きたくなるほど不細工な少年。

 どいつもこいつも私が目もくれないような気持ちの悪い男ばかりだ。


 そいつらが、一斉に私へと視線を集中させる。

 ベッドに縛り付けられ、身動きが取れない私を。


「親父がお前達を殺してしまった罪に対するせめてもの償いだ。好きにしていいぞ」


 神野は捨て台詞のように言葉を吐くと、ポケットから白い花を取り出して私の胸元に置いた。

 それは、私の下駄箱に入っていた手紙に同封された花と同じものだった。


「スノードロップ。花言葉は、希望と慰めだが、もう一つの悪い意味がある。それは、”死を望む”ということ。死者への供物に供える花さ」


 じゃあなと一言残し、保健室から出て行った。

 保健室に残されたのは、何人もの気持ち悪いチー牛男達とベッドに縛られた私だけ。

 男達は息が荒く、表情が紅潮していて、死人のはずなのに生きているかのような生命力が溢れていた。


 男達は恐怖に慄く私を見てニタニタと笑い目配せをしだす。

 彼らの下腹部の膨張した局部を見て、私は絶望の叫び声を上げた。


 ******************************


「一体何がどうなっているのか説明してくれないか」


 墨を広げたような真っ黒に塗りつぶされた空の下、俺は学校の屋上の手摺の向こう側に立たされている。

 手は後ろに縄で縛られており、まるで絞首台に立たされた死刑囚のような気分だった。

 淵まで10㎝もなく、半歩踏み出せばそのまま地面へと真っ逆さまに落ちていってしまう生死の境手前。


 口調は努めて冷静に、しかし身体は正直なもので、額から冷や汗が噴出している。


「その台詞、そっくりそのままお前に聞きたいところだ。正直に言ってくれれば、お前だけは助けてやってもいいぞ」


 真後ろから声が聞こえてきたので軽く振り向くと、神野が何の感情もない無表情で俺を見据えている。

 全てを飲み込んでしまいそうな暗い瞳からは彼の感情が読み取れない。

 本当に殺す気なのか、ただの脅しなのか。


「お前だけはということは、翼と三葉にはすでに危害を加えたのか」


「さぁ、どうだろうな」


 神野は不気味に薄く笑っていた。

 笑ったまま、一歩、また一歩と俺に向かって近づいてくる。

 彼が一歩踏みだすたびに心臓が跳ね、血流が激しく脈打つ。

 鼻先数センチというところまで迫り。

 ポンと、肩に軽く手を置かれた。


 神野の目を見ることができず思わず下を向くと、鼻先から汗がぽたぽたと垂れていく。

 頭上から恐ろしく低い声が唸った。


「正直に告解しろ、天上院京真。浜崎開斗はそれを望んでいるんだ」


 迷うように視線を左右に這わせると、神野の横にもう1人何者かが立っているのが視えた。

 煙のように朧気な輪郭のそいつは生きている人間ではないことをすぐに悟った。

 恐る恐る顔を観察すると、そいつは死んだはずの浜崎開斗だった。

 哀しそうに俺をじっと見つめている。


 罪悪感が沸いたのか、思わず後ずさりしそうになり、背中に吹き付ける風でハッとする。

 体勢を戻すも、肩に乗った神野の手が軽く押すだけで俺は地面へと落下してしまう。

 一度大きく深呼吸をして息を整える。


「日常の積み重なったストレスだ。俺は、東大受験を控えた日々の勉強と生徒会活動。両親からの期待と圧。翼は今年のインターハイ優勝を掲げたサッカー部主将としての責任とプレッシャー。三葉は家庭内不和による自尊心の欠如。養父に繰り返される性的虐待に毎日恐怖している。みな日々の生活に尋常じゃないストレスを抱えているんだ。そんな過剰なストレスを解消できるほどの強い刺激が俺達には必要だった。それが虐めだ。他人を自分の支配下に置いてコントロールできる圧倒的支配欲。人は自分より劣っている者や虐げられている者を見て安心する生き物だ。生きる上で常に誰かの存在を犠牲にし続けていく。それならば俺達は、虐げられる側ではなく、虐げる側になる。自分の心を護るためにだ。それが理由だ」


「丁寧な説明をしてもらったところ悪いがそれ嘘だろ」


「……なんだと?」


「中野三葉の家庭の事情には詳しくないし、お前と青空がストレスを抱えていることを否定する気はないが、お前が2人のために虐めという行為をしていたのは間違いなく嘘だと思ってな。お前は自分自身の快楽のためにしか行っていないだろ」


「なぜそう言い切れる?」


「自分では気づいていなかっただろうが、2人に危害が加わったと話をしていた時、お前笑っていたぞ」


 ……………………。


「2人がどうなろうがお前にとってはどうでもいいんだ。お前はお前自身の快楽のために人を虐めていた。恐らくあの2人もそんなとこだろう。あいつらの楽しそうな顔を見れば誰でも分かる。そんな行き過ぎた快楽をそれぞれが求めて惹かれ合うように集まったのがお前らゴミの寄せ集めだ。お前はこの学校へ転校してくる前の学校でも同じことを繰り返していた。それが露見してこの学校への転校を余儀なくされた。ウサギを殺すだけじゃ満足できなくなった。お前はもう怪物だよ」


「ありもしないデタラメをよくそこまで思いつくものだな」


「思いつきなんかじゃない、教えてくれたんだ」


「……誰がだ?」


「今までお前が虐め殺してきた生徒達だ」


 神野はそう言って俺の足元を指差す。

 足元を見下ろした俺は奇怪な光景に絶句した。

 見覚えのある奴らが、俺の両足にしがみつき、引っ張っているのだ。


 下へ下へと、死へと誘うように。

 足を振り払って蹴り飛ばそうとしたが、足は彼らの身体をすり抜けてしまう。

 その勢いで身体のバランスが一瞬で崩れた。

 終わった。

 恐怖を感じる間もなく、あっという間に地面へと落下し、首の骨が砕ける音が脳に響いた。


 ……………………あれ?


 走っている時のような風を切る肌感。

 上から下へと流れていく景色。


 ついさっき墜落死したはずだと思っていたが、ここはどこで俺は今どういう状態なのか。

 ほんの僅かの間巡らせた思考は、頭上に走る激しい衝撃と痛みのせいで再び強制停止された。


 視界が暗転したと思ったら、また俺の身体は風を切るように凄まじいスピードで移動している。

 上から下へと流れる景色は先ほどと変わらない。

 視線を動かすと、背後では学校が真っ黒な空へと落下していく…………いや。

 俺が地面へと現在進行形で落下しているのだ。


 さっき墜落死したはずなのになぜまだ落ちているのか。

 自問自答に対する結論が出る前に、また地面へと頭から衝突し、死亡した。

 そしてまた目が覚めると、俺の身は空から落下している。


 何十回、何百回、何千回と落下が何度も何度も繰り返される。

 数秒にも満たない一瞬の恐怖と死を伴った激痛。

 しかし、それだけであればまだマシだっただろう。

 本当の絶望は、それがいつまで繰り返されるのか、終わりが見えないことだった。

 死んで終わりなんかではない、新しい絶望の始まりなのだった。



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