お前の正体を知っている
「早く教室戻ろうぜ、翼ーー!」
袈裟丸から声をかけられて腕時計を一応確認すると、13時まであと3、4分だった。
食堂から教室まで距離が長いし急がなくてはと慌てて椅子から腰を浮かせると、ちょうど目の前を通りがかった男子生徒と肩がぶつかってしまった。
その拍子に、男子生徒が手に持っていたコーラがこぼれてワイシャツにかかってしまった。
淡い茶色が服に溶けてべたつき、気持ちが悪い。
男子生徒はというと、こちらに目を合わせず、おどおどとした様子ですいませんすいませんと何度も謝る。
ただでさえ急いでいるというのに、ぶつかってきたのがスクールカースト底辺にいそうな貧弱そうな男子だというのだから、はらわたが一層煮えくり返ってくる。
「ここではやめとけって。…………この前事件あったばかりだし」
気がついたら右手をふりかざしていたようだ。
袈裟丸が俺の右腕に軽く手を置いて行動を諫める。
周囲にまだまばらに人がいるのを気にしているようで、チラチラと周りを気にしていた。
チッ、軽く舌打ちをして、手をひらひらさせると、男子は小走りで食堂を出て行った。
「ぶつかってきたあいつ、確か俺達と同じ2年だったよな」
「あぁ、確か隣のクラスにいたっけな。あんまり目立たない影の薄い奴だよ。いつも一人でいるなぁ。たとえるなら、浜崎みたいな奴?」
…………なぁるほどぉ。
袈裟丸からの面白い情報に、にんまりと口の端が横に広がった。
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「今日の定例ミーティングは以上となります。各自割り振られた職務は責任を持って全うするようにお願いします」
いつも通りの言葉で定例会を締めくくる。
俺の人望や優秀さを見習い、みな熱心に業務をこなしてくれている。
あえて厳しい言葉をかけずとも能動的に動いてくれるのは各員の能力の高さに寄与するが、俺自身のリーダーシップあってこそだろうと、生徒会の面々を見るたびに自分を誇らしく感じていた。
「生徒会長!急いで廊下に来てください!廊下の壁が……」
一度生徒会室から出ていった書記担当の女子生徒が血相を変えて戻ってきて言った。
彼女の形相が緊急事態といった様子だったので、俺は小走りで廊下に出た。
「…………なんだこの下品な落書きは」
廊下には赤い塗料で大きく落書きが描かれていた。
『お前の正体を知っている』
そして、腹が裂かれた猫のぬいぐるみが転がっていた。
心臓を氷柱で貫かれたような衝撃と緊張が身体を巡る。
…………これはまさか。
同時に、そんなことあるわけがないと冷静に自分に言い聞かせる。
転校してきたこの学校に昔の俺を知る人物など1人もいない。
知人が1人もいない学校を選んで転校してきたのだ。
「この壁どうします?……天上院会長?」
「さっさと職員室へ行って先生へ事態の報告をしろ!」
不覚にも声を荒げてしまった。
書記担当の女子は普段は穏やかな俺が苛ついていることに呆気に取られている。
俺は、すまないと一言謝罪し、丁寧に言い直してあげると、彼女は慌てて職員室へ向かっていった。
先生がここにやってくる前に一度頭を冷やして落ち着こうと、近場のトイレへ足を運ぼうとした時だった。
ちょうど男子トイレから出てくる1人の男子生徒と肩がぶつかった……と同時に、床に何かが落ちた。
拾い上げると、それはカッターだった。
なぜトイレにカッターなんか持ち込むのかと考える間もなく、男子生徒は俺の手からカッターを取っていった。
「サンキューな」
カッターを持っていた男子生徒は見覚えがある奴だった。
名前は憶えていないが、家族に前科持ちの人間がいたような……とにかく家庭に問題のある人間だった記憶はあった。
育ちの悪さが顔に表れていると思えるくらいに男子生徒の目つきは悪かった。
代々医者の家系である天上院家とは住む世界が異なるような底辺の世界の住人。
そいつとほんの僅かな時間関わっただけでも、俺の住む綺麗な世界に1つの小さな染みができたように感じて不快感が込み上げてくる。
さっさと顔を洗おうとトイレに身体を向きかけたところで、彼の後ろ姿のある違和感に目が留まった。
ワイシャツの肩の部分に付着した赤いシミ。
ちょっとした擦り傷でも負ったのだろうと考えるのが自然なのだが……。
思考を巡らせてみると、ふわふわと宙に置いていた違和感が徐々に鮮明になり、点と点が線で繋がっていくのを感じる。
やがて2つの違和感が1つの結論に収束し、俺は即座に廊下を全力でダッシュする。
あの男子生徒はすでに階段を下りていっていたが、まだ余裕で間に合うだろう、と思ったのだが、階段下にはすでに誰もおらず、玄関口まで走ったものの、彼はあっという間に
姿をくらませていた。
まぁ、今日捕まえることが出来なくてもそれは別に問題ない。
彼がこの学校の生徒でいる限り、生徒会長の俺からは逃げ切るなどできないのだから。
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「今日帰りスタバ寄ってかない?」
「いいねー。テスト前だし勉強する?」
「三葉にしては珍しく真面目じゃん。珍しー。翼君と勉強すればいいじゃん?」
「翼といると勉強になんないもん」
「すぐにそういう雰囲気になっちゃう的な?きゃー。マジ青春してるわあんた」
冗談交じりに茶化してくる律子の言葉に僅かに混じっている羨望と嫉妬。
私はニヤケそうになる口元を必死で抑える。
この優越感が最高にたまらない。
サッカー部の主将でイケメンという、スクールカースト最上位の人間と付き合っているマネージャーの私。
まるで恋愛映画の主人公になったような気分だ。
クラスメイト、サッカー部の部員、友人達みんなの顔がただのモブに見えてしまう。
この世界で顔が写っているのが私と翼だけ……いや、私だけかもしれない。
他はしょせんただの有象無象だ。
引き立て役、ピエロ、まぁなんでもいいけど。
放課後に友達とスタバで勉強はかなり映えそうだなんて話しながら、下駄箱の靴を取ろうとして手が別の何かに触れる。
それは1枚の手紙だった。
ハートマークのシールが貼付されている所から察するに、恐らくラブレターかもしれない。
未だにこんな古風な手段を使っている男子がいることにまず驚いたのと同時に引いた。
高校に入学してから半年以上経ち、告白された回数が10は超えている私だが、手紙はもらったことなど一度もない。
LINEではなく手紙という手段を取るあたり、知り合いではないのだろう。
「わぁーすごいじゃん三葉。また男子からアプローチ受けてるのね。誰から?見せて見せて」
律子が私の下駄箱の手紙を勝手に取り出した。
こういった状況には慣れているし、私には翼という立派な彼氏がいるものの、やっぱり中身は気になる。
手紙の中身を開いて舐めまわすように眺める律子の表情を覗くと、驚嘆したような顔から徐々に崩れ、ニヤニヤと小馬鹿にしたような顔で私を向いた。
私はそれが癪に障り、聞こえるように舌打ちする。
「さっさと返してよ」
奪い返すように手紙を奪い、中身を確認する。
中に入っていたのは、長ったらしい愛の言葉が書かれた便箋ではなく、一本の白い花だった。
「…………なんで花?」
しかもなんの種類だろう。
スマホで画像検索をしてみると、スノードロップと呼ばれる花が画面に表示された。
「なんか花言葉が愛にまつわる意味なのかもしんないよ?」
きっっっっしょ。
そんなの今時流行んねーよ。
自分に酔っちゃってるようなナルシストタイプなのかもしれないが、そういうタイプはかなりのビジュアルが伴っていないと成立しない。
「花言葉は…………、希望と慰め?あんた手紙で慰められてるの?ウケる」
律子はスマホの検索画面を見て噴き出す。
格下に見ていた友人に小馬鹿にされ、みるみるうちに血圧が上昇していくのが顔の熱さからはっきりと感じた。
「手紙の裏に送り主が書いてあるよ」
律子のニヤケ顔を引っぱたきたくなる衝動を抑えて手紙を裏返すと、そこには、【神野 八代】と書かれていた。
「……………………誰?」
「神野のこと知らないの?父親の事件の事とか」
「…………なにそれ?」
「あいつの父親、連続殺人鬼なんだよ。現在絶賛逃亡中のね」
呼吸が止まりそうになる。
私はそんなヤバい人間の息子に好かれて花を贈られたのか。
だったら浜崎開斗みたいな陰キャに告られる方がよっぽどマシだった。
ああいう陰キャだったらそれを晒し上げてあの時みたいにみんなでイジメて笑いに昇華できるが、本当に危険な男だった場合、何をされるか分かったものじゃない。
「クラスの友達に喋っていい?絶対にウケると思うんだけど。今期一のネタだね」
悪戯げに聞いてくる律子に対し、絶対に止めるよう制止させる。
「そんなビビることないって。神野自体は大人しいただの陰キャって感じだし。あいつが三葉に逆恨みして何かしてくるなんて万に一つもないわ。友達もいない感じだしねー」
神野という男子を見たことはないが父親がおかしいだけで、そいつ自身はそこらにいるようなチー牛男子か。
私は一体何をビビっていたのだろう。
しかも学校社会において友人がいないというのは、武装なしで戦場にいるようなもの。
友人という後ろ盾がない以上、侮蔑や迫害の対象にしやすい。
そんな何の能力もビジュアルも人脈もない日陰者がカースト最上位の私のプライドを踏みにじったというのか。
そんなこと許されるはずがない。
イジメ殺してやる。
アイツの時と同じように。