きさらぎ駅 ~八尺様再来~
バチンと電流が走ったような衝撃が脳内に走った。
半ば強制的に意識が覚醒したものの、寝覚めは悪くない。
まだ早朝の時間で、部屋を通り抜ける風が涼しく心地よい。
なんだかとても長い時間眠っていたような気がする。
頭の中がぼんやりとしていて、現実なのか夢なのかもはっきりとしない。
私は今祖父母の家のベッドで横になっているが、いつ自分がベッドに入ったのか覚えていない。
昨日?いや、もしかしたら一昨日?
実は一週間以上眠っていたなんて言われても不思議じゃないくらい今現在に至るまでの記憶が不透明で、ちぐはぐだ。
ゲーム下手がぷよぷよで歪に蓄積させてしまい、収拾がつかなくなっている時の感覚に近い。
時間の流れから自分だけ取り残されたような感覚があった。
昨夜のことを順序だてて整然と思い出そうと頭を捻ってみる。
昨夜、私は八代とお雛様と一緒に遠くの廃村で開催された不思議なバザール、通称夜市に赴いた。
そこで、変わった屋台のご飯を食べ、何にでも変身できるシェイプシフター達と出会い、そして、記憶を改竄することのできる”忘れ薬”を手に入れた……ところまでは憶えている。
あと、シェイプシフターと友達になったんだっけ。
ニャーオ、と猫の鳴き声が部屋の近くから聴こえてきた。
開いたままの部屋の扉から一匹の黒い猫が入ってくる。
「そういえば君が私の相棒だったね、ジジ」
黒猫もとい、黒猫に変身したシェイプシフターを私はジジと命名したことを思い出す。
魔女の宅急便で登場する黒猫の名前を由来に付けたのだ。
ジジは、私のベッドの中に潜り込んできて、気持ちよさそうにくつろぎ始める。
彼の正体をうっかり忘れてしまうくらい本物の猫そっくりだ。
確かシェイプシフターは変身した動物の特性なんかも引き継いでいると言っていた気がする。
ねこじゃらしがあったら反応するのか今度試してみよう。
昨日の出来事に関する記憶を時系列的に辿ってみると思い出せることは多いが、断片的に欠けていることもあった。
ーーーーなぜ夜市に出向いて”忘れ薬”を手に入れようと思ったのか。
ーーーー夜市に向かう直前まで私は何をしていたのか。
ポケットに入っていた小瓶を手に取ると、エメラルドグリーン色の液体がまだ半分ほど残っている。
元々入っていたであろう瓶に残った痕に比べて半分ほど減っていることから、すでに1回もしくは複数回使用されたことが推察できた。
それは一体どんな理由で誰に使ったのか?
私の記憶がぼやけているのはもしかしてこの薬のせいなのか。
過去へと記憶を辿っていくと、特定のラインを越えた辺りから急に記憶の風景が霧散して消えてしまう。
いや、単純に私の記憶力が悪い、もしくはボケが始まってたりして……。
私ってこんな物覚えの悪い子だっただろうか。
夜市に行く前の直近の出来事として思い出せることといったら、八尺様との遭遇だったか。
八尺様に遭遇して襲われたっけ、いや、襲われたわけじゃなかったような気がする。
彼女に誘われて近くのお寺に導かれたと思ったら、古井戸を指差して何かを告げようとしていたような覚えが…………。
何と言おうとしていたんだろう。
外国人が話すような片言で、話すというよりも音を発するという印象に近かった。
…………考えても分からないし、八代が退治してしまったのでどうせ答えなんか出ない。
怪異のことなんてさっさと忘れてシャワーでも浴びようと立ち上がろうとしたところで、身体が硬直する。
窓の外、庭の真ん中で、あの時退治されたはずの八尺様がこちらを向いて棒立ちしているのだ。
…………………………なんで?
気味が悪かったが、ただ立ち尽くしているだけで襲いに来るわけではなさそうだ。
2m以上はあるであろう、すらっと高い背丈に白いワンピース姿の女性。
長い髪が表情まで覆っていて顔の様子は窺い知れない。
長時間炎天下に突っ立っていて熱中症にはならないのだろうかと場違いな感想が頭に浮かんでくる。
肌は羨ましく思えるくらいに白い。
怪異にとっては日焼けの心配はないのかもしれない。
お互いを見つめ合う形で膠着したまま。
変な刺激を与えるのを恐れて私は一歩も身動きを取れない。
しばらくすると、八尺様は体の向きを変え、敷地の外へと歩き始めた。
どこに行くのだろう。
あの時と同じように、八尺様に誘われているような気がする。
何か明確な意図があって、再び私の前に姿を現したのだという直観。
見失う前にと、忘れ薬の入った小瓶をポケットに戻し、着替えもせずに急いでサンダルで外に出る。
彼女の後を追って着いた先は、ついこの前にも八尺様に導かれてやってきた近隣のお寺だった。
八尺様はあの時と同じように、古井戸を指差している。
ここに飛び込めと言いたげに。
八尺様に敵意は感じられない。
むしろ、八尺様の示すメッセージはかなり重要なことだと告げるように胸がざわついている。
恐る恐る井戸に近づいてみる。
距離が縮まっていくごとに、視界に映る八尺様の身体も大きくなっていく。
八尺様の隣まで来ると、私の目鼻の先は彼女のヘソ辺りの高さに並列した。
彼女の大きな影は私の身体を丸ごと覆いつくしてしまう。
見上げてみたが、逆光で彼女の表情を窺い知ることはできない。
顔全体が黒塗りされたように真っ黒だった。
逆光のせいだけとは到底言い難い。
彼女が間違いなく怪異であることは図らずも再確認できた……あまりにも怖いのですぐに目を逸らして井戸の中へ意識の矛先を向けることにする。
井戸の中を覗き込んでみると、外の空間とは切り離されているかのように空気がひんやりと冷たく、吸い込まれるように底の見えない深淵が広がっていた。
両手を井戸の中に入れると冷気が心地よく、夏の茹だる暑さを一瞬だけ忘れさせてくれる。
ここと井戸とで空間が隔たっていると言っていいくらい不自然な温度差。
まさか、八尺様は私に避暑地としての穴場を紹介したかった?……なわけあるまい。
この中に彼女にとって大事なものが落ちているとか?
それを探してくれと。
めんどくさっ。
いや実際のところはどうか知らないけど。
「私に何をさせたいの?」
ーーーーーーーーモトノセカイへ、カエレ。
それは脳に直接訴えかけられているように頭の中でこだまする。
鼓膜を通した音ではない、これがテレパシーというものだろうか。
不思議な能力だ。
そして、彼女の言っている言葉の意味は不明だ。
「どこの世界に帰れって?」
元の世界?
まるでここが現実の世界ではないような物言い。
今一つ理解ができない。
そして、こちらからの再三の質問に彼女は応えてくれなかった。
何も応えないまま、熱の感じられない青白い腕をすっとこちらに伸ばし、指先で私の額に軽く触れた。
突然電池が切れたように視界が一瞬暗闇に落ちかけたが、意識を失ったわけではないようだ。
映画のように、暗転した視界から映像が流れ始める。
その映像には、とある都市伝説に関して楽しそうに会話をしている私と八代が映っていた。
「きらさぎ駅って、知ってる?」




