くねくね(後編)
物置に籠ってから何時間経っただろうか。
時間を忘れ、室内に無造作に置かれた珍品の数々を観察していた。
まず最初に目を見張るのが、戦国時代に使われていたと思しき古い甲冑。
数多く刻まれた傷とともに殺された者達の強い怨念の痕跡が宿っている。
黒光りする鉄はある程度の手入れが施されているが、血の混じった瘴気の残り香が未だに感じられ、恐ろしくもそれ故に貴重な一品と言っていい。
喜びや感動と言った正の感情はすぐに昇華されてしまう一方で、悲しみや恨み、呪いといった負の感情は人にも物にも根強く残ってしまうのが世の理。
しかし、時代が変わっても恨みの念が残り続けるということは、かなりの深い業をこの甲冑は背負っているはずだ。
「素晴らしいの一言に尽きるぜ……」
隣に目を移すと、表紙に交換日記と書かれた一冊のノートが棚に置かれ、その横にはご丁寧に鉛筆が1本添えられていた。
まるで見た人に何か書いてほしいと言わんばかりに置かれていたので、興味本位にノートを手に取ってみる。
中はまっさらで何も描かれてはいないが、微弱な霊気が伝わってくる。
念のため隅々まで見てみたが、特に変わったところは見つからない。
せっかく鉛筆も添えてあるので試しに今日の事柄でも記してみようか。
『物置小屋で恐怖の珍品達を発見。とても暑くてとても涼しい気分』
サクッと簡潔に書いてノートを閉じたのだが、奇妙なことに閉じたノートの中からサラサラと筆が走る音が聞こえてきた。
ノートを開くと、俺が書いた次の白紙のページに文字が新たに記されていた。
『暑いの?涼しいの?どっち?楽しそうだね!』
ゾクゾクと好奇心が背筋をざわつかせる。
物置には他にも見たい品々が数多くあるので、俺はノートの続きに
『今度一緒に俺と遊ぼうぜ』
と一言返事を記してノートを閉じ、棚の上に戻した。
ノートからは楽しそうに筆が走る音が聞こえてきた。
そういえばと、俺は雛人形の存在を思い出し、それらが収まっている棚に手を伸ばす。
件の雛人形の本日のヘアースタイルは縦ロールだった。
霊力でパーマ掛けすることなんてできるのかと呆れ交じりに感心してしまう。
満足げに微笑む雛人形へ、和装少女に縦ロールはどうなのかなどと色々ツッコミたくなったが、面倒なので何も言わずに雛人形を棚に戻した。
さて、次は何を鑑賞しようかと室内を見まわした時、硬い物がぶつかるような大きな音がどこからか聞こえてきた。
壁伝いに伝わる僅かな振動。
まさか熊でも出てきたのか、と身構える間もなく、再び大きな音と振動が響き渡ってくる。
幽霊相手にはめっぽう強い俺でも物理(暴力)の前には無力だ。
熊、もしくは猪なんかでも出てこられたらひとたまりもないだろう。
物置部屋の扉をそっと開き、廊下へ顔を覗かせてみたが誰もいない。
再び部屋中に鳴り響く、ゴッという鈍い音。
しかしそれは、獣が暴れているような荒々しいものではなく、一定の間隔で機械的に鳴り続けていて、動物的というよりもむしろ、無機質さを感じさせるものだった。
音はかなり近く……居間の中から聞こえてきた。
しかし、まだ獣の可能性は捨てきれない。
俺は足音を立てないようすり足で居間に近づき、そっと顔の端を居間へと覗かせた。
……。
…………。
……………………。
そこには、頭から血を流しながら、しかしそれを何の意にも介さず、機械のように自分の頭を何度も壁に打ち付けている祭火灯花がいた。
何かにとり憑かれたように無表情でひたすら頭を打ち続け、痛みを感じている様子はまるでない。
血が額から首筋を通って胸元へと流れ、Tシャツが真っ赤に染まっている。
打ち付けている白い壁には、まるで赤い線香花火が弾けているように血が飛び散っている。
俺は彼女の肩を掴み、こちらへと身体を無理矢理向けさせるが、彼女からの反応はない。
両の黒目が上を向き、目の前の現実に焦点が合っていない。
「こりゃマズイもんを見たな」
********************
視界は黒一色。
光の一切届かない水底のようで、首を上下左右見回しても何も見えない。
動き回って確かめようとした時に、自分が椅子に縛り付けられて身動きが取れないことに気づいた。
瞬間、叫びだしたくなるほどの恐怖が急激に押し寄せてくる。
いつどうしてこうなったのか。
ここはどこでこれからどんな目に遭わされるのか。
犯人は男か女か。
目当ては金か、それとも……。
想像して吐き気まで込み上げてくる。
喉元まで出かかった胃液をなんとか飲み込む。
心を落ち着けて、覚えているところまで記憶を振り返ってみよう。
気晴らしに外に出た私は、川沿いを歩いているとうねうねと身をくねらせた奇妙な物体を目にした。
それが何なのか目を凝らしてよく見ようとして……あれ。
それから思い出せない。
誰かに襲われたとか、熱中症で気分が悪くなって意識を失ったとか、そんな記憶はない。
ではなぜ記憶が途切れているのだろう。
思い出そうと脳内に意識を巡らせた直後、頭の中で虫が這いまわっているようなむず痒さを覚えて、どっと冷や汗が溢れ出す。
気持ちの悪い感覚はすぐに消え失せたが、確かに身体が覚えている。
目覚めるついさっきまで、気が狂いそうなくらい、このむず痒さに身体が悲鳴を上げていたことに。
あの疼きはなんだったのか。
あのくねくねした生き物は何だったのか。
そして、私をここに連れてきて縛り付けた者は誰で何の目的なのか。
視界の暗さで何も分からず、未知への恐怖ばかりが膨れ上がっていく。
実は、私は怪物の胃袋の中にいるのかもしれないなんて妄想が。
あり得ない……でも、じゃあそれを完全に否定できるのか。
いや、あるいは私の身体の中で新種の寄生虫が見つかり、国の秘密の科学施設で被検体として幽閉されている可能性も……
考え出すととめどなく被害妄想が膨らみ続け、鳥肌が立つ。
その時、ガチャっ、と扉が開く音がしたかと思うと、部屋の明かりがついた。
蛍光灯から発せられるほのかにオレンジがかった電球色。
弱弱しく光る電球の光に照らされたそこは、薄汚れた独房のような部屋だった。
砂埃でざらついた床、触れることすら拒みたくなる黒ずんだ壁。
そこらを我が物顔で這いまわるゴキブリ。
そして、何よりも異質な目の前の存在に思わずぎょっとする。
ジェイソンを彷彿とさせる白い仮面を被った男が立っている。
男は台車を引いて部屋に入ってきた。
持ってきた台車の上には、3センチから5センチほどの大きさの黒光りした十数匹の昆虫が乗った皿が載っている。
それらは皿の上をモゾモゾと蠢き、時折ひっくり返っては何本も生えた足をばたつかせている。
ダンゴムシを大きくさせたような、ヤスデのような昆虫。
あまりの気持ち悪さに顔をしかめながら、それでも恐怖を相手に悟られないように
相手を睨みつける。
「私をどうする気なの」
男は嬉しそうに呻くような笑い声を上げて言い放つ。
「食事の時間だよ」
そうして、男は大きめのスプーンで黒虫を救い上げ、私の口へとそれを運んだ。
********************
俺はスプーンでソレを一口分掬い上げて彼女の口に入れようとしたのだが、心底嫌がるように口を堅く閉ざしてしまい、なかなか上手く食べさせることができない。
必死に頭を左右に振って抵抗するため、あやうくスプーンを落としそうになる。
埒が明かない。
少々手荒ではあるが指で彼女の鼻を塞ぐことにする。
口を閉じ、鼻を塞がれた状態が長く続くわけもなく、やがて彼女の口は酸素を求めて僅かに開かれたので、顎を掴んで口を無理矢理こじ開け、そこにスプーンを突っ込んだ。
激しい吐き気に襲われているのか、身体を激しくのたうち回らせたので、ヘッドロックをきめて口を無理矢理閉じさせ、食べたものを吐き出させないように押さえつける。
椅子に縄で縛り付けているものの、古びた木製椅子はギシギシと悲鳴を上げて非常に頼りなく、いつ壊れてもおかしくなさそうだ。
数十秒間の激しい抵抗の末、なんとか口に入れた物を飲み込んだ。
彼女の両目からは大粒の涙が零れ落ち、しゃくり上げ、嗚咽を漏らしている。
アレを視てしまったせいで、恐らく視覚認知機能が狂ってしまっているのだろう。
彼女の目には、自分が口にした物が一体何に視えているのだろうかと、俺は左手に持っているソレを見ながら顔を引き攣らせる。
冷蔵庫で冷やされた桃缶を。
吐き気を催している彼女に申し訳なさを感じつつも、これを摂取させることで彼女に身体に生じた異常を治すため。
正確に言うと、アレを通して地獄の存在の一端を視てしまったことで狂った彼女の平衡感覚を正常に戻すために。
缶に入ったプリっと柔らかい桃の一切れをスプーンで再び掬い上げる。
なぜ桃なのか。
かつて古代中国では、桃は強い魔除けの効果があると言われ、それが信仰として日本に伝わった過去があるそうだ。
日本にある桃の節句という風習は、桃の花を飾ることで邪気を祓い、厄を祓うことを目的としているというのだ。
昔話で有名な桃太郎、『桃』、『鬼退治』というのも、元を辿ればこれら古代中国の思想と風習に起因するらしい。
除霊や退魔の際に桃など使ったことがないので、効果があるかはやってみないと分からない。
そもそもとして、彼女には霊がとり憑いているわけでも邪気に侵されているわけでもないのだから。
恐らくは脳の認知機能が狂ってしまっている。
正常な世界を認識できないどころか、彼女の五感は目の前の物全てが別の何かへと置き換わって視えてしまっていると考えられる。
つまり、今の彼女の意識は、本来とは全く異なる認知世界を視て感じているのだ。
このまま放っておくと二度と正常な認知機能を取り戻せず、狂った認知世界の中で生きていくことになってしまう。
そんな環境に普通の人間が耐えられるわけがない。
数日と保たずに自我が崩壊するだろう。
だから、桃に退魔の効果があったとしても、彼女の狂った認知世界を正常に戻すための役割を果たせるとは思えない。
といっても、他に効果的な方法は今のところ思いつかない。
こいつの言うことを信じる他ない……か。
「お前の言うことを信じるからな?」
俺は小屋の脇に置いておいた雛人形に語りかける。
和人形に不釣り合いな縦ロールヘアーのお雛様は、何も言わずニコニコとした表情を浮かべている。
口は動かさないが雛人形から放たれる意思は霊力を介して確かに伝わる。
そのまま続けろ、と。
「ったく、八尺様の次はくねくねか。次から次へと……やれやれだな」
邪気を祓うとされる風習『桃の節句』、別名『ひな祭り』。
おかしくなってしまった祭火の対処法に困った俺が不承不承に頼ったのは、呪いのお雛様だった。
彼女曰く、桃を食わせれば祭火は正常に戻るかもしれないと。
縦ロールお雛様は仰々しそうに扇子を彼女に向け、継続の意思を示している。
とりあえずお雛様の示す通り、このまま続けていくしかないだろう。
再びスプーンで掬い上げた桃を見て、祭火は絶望の表情を浮かべている。
少しでも彼女の警戒を解こうと、掬い上げた桃を自分の口の中に入れた。
瑞々しい桃の果肉と咀嚼するたびに滲む芳醇な香り。
乾いた口内に同時に広がる甘味と潤い。
美味しさをオーバーリアクション気味に取ってみるも、そんな俺に対して彼女は、まるでかつて見たことないほどおぞましい存在を前にしている時のような視線を向けてくる。
この桃が相当ヤバい代物と錯覚しているのか、もしくは俺自身も何か恐ろしい存在に視えてしまっているのかもしれない。
彼女が誤って目にしてしまった存在、通称くねくね。
鬼門を通って地獄から漏れ出した怪異。
それは千切れた魂と怨嗟の集合体。
汚れた魂が地獄で受け続けるとてつもない苦痛故、魂そのものが砕け、それらが己の欠損を埋めるように他の魂の残滓と結合し、やがて反発しあい、己が生みだす際限のない怨嗟と苦痛で苦しみ続けている。
想像を絶する苦痛で常に身をよじらせるその様がくねくねと呼ばれる所以で、その身には地獄で受けた時の苦痛を宿しているという。
祭火はくねくねの存在を通して地獄の一端を視てしまったのだ。
この世には理解できないモノがあり、そして理解してはいけないモノもある。
地獄という存在は、たとえ一かけらの情報でさえも、人間の精神に異常をきたすほどの魑魅魍魎、奇々怪々な世界が広がっているのかもしれない。
俺でさえ地獄なんてものは見たことがないし、少しその存在に触れただけでも狂ってしまうだろう。
再び口を堅く閉ざす彼女に対して、本当に申し訳ないと先に詫びを入れてから、鳩尾に拳を叩きこんだ。
容赦なく襲い掛かる痛みに身悶えして口を開ける。
泣いて嫌がる彼女の口内に再び桃をねじこみ、吐き出さないようにヘッドロックをして口を無理矢理抑え込む。
「もうやだ。ごめんなさい。もう許して。ごめんなさい」
泣きわめく彼女の顔を見ていられず顔を背けると、お雛様が困ったように扇子を自分の頭に当てて首を傾げているのが視界に入り、舌打ちした。
結局、あの後続けても祭火の意識が正常に戻ることはなく、地獄のような責め苦を受けていると錯覚している彼女は、そのストレスに耐えきれず意識を失ってしまった。
持って行き場のない気持ちが爆発しそうになった俺は、縦ロール無能お雛様に向けて余った桃をぶちまけてやろうとしたが、一足早く逃げられていた。
…………これはかなりマズイ状況だ。




