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八尺様(後編)

 八代の話によると、それは八尺様と呼ばれる怪異であることを初めて知った。

 特定の地域にのみ現れるモノで、八尺様に魅入られた者は執拗に狙われ続け、最終的には幽世へと連れていかれてしまうというのだそうだ。


 都市伝説的な話として界隈では有名らしいが、それが実在するということに八代はかなり驚いていた。


 その日の夜、私は母屋とは別の離れで一夜を過ごすことになった。

 祖父母に危害が及ばないようにということと、独立した建物であることから結界を張りやすいという理由らしい。


 離れとはいっても10畳ほどの古びた小屋で、日中のうちに八代と2人で中の掃除をした。

 しばらく使われていなかったらしく床は埃だらけだったが、大きな傷みはなく、寝る分には困らなさそうだった。

 小屋の壁四方に御札が張られ、中に入ると四隅に盛り塩が置かれていた。


「今夜、八尺様は祭火を迎えにここにやってくるはずだ。だがこの屋敷には結界を張ったから小屋の中には踏み込んでこれない。夜明けまで絶対にこの小屋からは出てきてはいけない。分かったな?」


「分かった。でも、今夜必ず来るってどうして分かるのよ?」


「アレをおびき出すために家の敷地の外からこの小屋まで道を作るように虫の死骸を巻いたんだ」


「えぇ……。あんたは人の家の庭になんてことするのよ」


「都市伝説上で八尺様は幽世へと誘う怪異、つまり霊界への案内人だ。そういうのは”死”に吸い寄せられるんだ。ここまで上手く惹きつけて祭火に粘着している隙をついて、俺が除霊する」


「私は餌役ってわけね…………。八代は近くで守ってくれないの?」


「俺が近くにいたらアレは警戒して寄ってこなくなる。俺は母屋でくつろぎながらアレが出てくるのを待ってるよ」


「なんかモヤっとするなー」


「小屋に張った結界は強力だから心配しなくていい。とにかく、夜明けまで小屋の扉は絶対に開けるな。これさえ守ってくれればいい」


 まぁ頑張れよと、慰める気があるのか分からない適当なエールの言葉を残してさっさと母屋に帰ってしまった。

 何か一言言ってやろうと思ったが、こうなってしまったのは八代のせいではない。

 諦めて重くため息をついた。


 呪いの雛人形問題が解決できたというのに次から次へと。

 八代曰く、私が魅入られてしまったのは、”運が悪かっただけ”なのだそうだ。

 運が悪くて死ぬなんてたまったものじゃない。


 スマホの時間を見ると、夜の21時、小屋に籠ってから2時間経過していた。

 初めは緊張していたものの、八尺様が訪れる気配は一向になく、母屋はまだ明かりがついていて祖父母も八代も起きていたのでそこまで怖くはなかった。


 夜の23時になると居間の明かりが消えた。

 祖父母はもう就寝の時間なのだろう。

 来客用の部屋の明かりはついているので、八代はまだ起きているようだ。


 ランタンに灯る火は小屋の中を優しく照らしている。

 時折火がゆらめき、私の影が小屋の中を不気味に蠢く。

 その影がひとりでに動いているような気がして。

 でもそれはきっとただの気のせいで。


 私は私の中で膨れ上がる恐怖から目を逸らそうとスマホでyoutubeを観て時間を潰すことにした。


 夜の1時になると、母屋の最後の部屋の明かりが消えた。

 まさか八代は私を守ることを放棄して睡眠を優先させたのか。

 急激に不安が込み上げてきたが、たった今スマホに届いたメッセージを見てすぐに安堵した。


『アレにこちらの気配を気取られたくないから部屋の明かりは消した。まだ起きてるから心配するな』


 こういう気遣いはできる人なんだ。

 家族を殺されても、周りから疎まれていても、彼の優しさは変わらない。

 ありがとうと一言返信し、ランタンの日を消して布団に横になった。


 それで眠れるわけではなかったが、さっきまでよりは心が落ち着いている気がした。

 虫の鳴き声だけが時折聴こえる以外に音はなく、薄い月明りと重苦しい沈黙の時間が流れていく。


 それから1時間ほど経った頃だろうか。

 不安で寝つけないまま布団で横になっていると、昼と同じ金木犀の甘い香りが小屋の中に漂ってきた。

 金木犀の開花時期は9月の終わり頃だし、家の近くに金木犀なんてあったかな。

 気を逸らすように考えていると、小屋に近づく足音が聞こえてきた。


「おーい、まだ起きてるかい。お腹空いてると思っておはぎ持ってきたよ。食べるかい?」


 お祖母ちゃんの声だった。

 ホッとして小屋の扉を開けようとするが、夜明けまで扉を開けてはいけないことを思い出し、そのことをお祖母ちゃんに伝える。


「そうだったねぇ。でもオババだけだし、ちょっとくらいは平気なんじゃないかえ」


 せっかく持ってきてくれたので断るのも申し訳ないし、念のため八代に確認の電話をしてみる。

 しかし、圏外になっていて繋がらなかった。

 さっきまで問題なくユーチューブは見れていたのになぜだろう。


 メッセージを送ってみても送信できなかったが、何回か試したらようやくアンテナが1つ立って届いた。

 そして、すぐに返信が返ってきた。


『238yr279gあsidhoそdfふをssoidh29```}+l:k@』


 内容が文字化けしていた。

 何か変だ。

 そもそも、お祖母ちゃんは夜早くに寝てしまうのだ。

 こんな夜更けに急に起きてくること自体おかしい。


 私と同じようにたまたま寝付けなかったとか?

 説明のできない気味の悪さに鳥肌が立つ。


「ごめんお祖母ちゃん、深夜に食べると太っちゃうからやめとく。わざわざありがとうね」


「そうかい?そうかい……。あまり無理するんじゃあないよ。何かあったらすぐに大きな声を上げるんだよ」


 その言葉を最後に声はなくなった。

 母屋に帰っていったのだろうか、立ち去る足音は聞こえてこなかった。

 あれはお祖母ちゃんなのかそれとも別のナニカか。


 考えてもぐるぐると同じ思考を巡るばかりで恐怖も募っていく。

 考えるのに疲れて再び布団に横になった。

 心を落ち着けようと目を閉じる前に、ドンドンと扉を強く叩く音が鳴り、心臓が跳ね上がったのかと思うくらい驚いた。


「まずい緊急事態だ。祖母さんが八尺様に襲われた。庭先で倒れてるんだ。家まで運ぶから手を貸してくれ!!」


 八代の声だった。

 まさか、さっきのは本物のお祖母ちゃんで、小屋に近づいたせいで八尺様に襲われてしまったのか。


「お祖母ちゃんはどんな状態なの!?」


「死んではいないが意識はない。とにかく早く小屋の外に出て手伝ってくれ!!」


 扉に近づくと、金木犀の甘い香りが強烈に鼻をついた。

 ふと、扉付近の盛り塩が黒く焦げ付いていることに気づいた。


 だからどうしたというのか。

 お祖母ちゃんの命が危険だというのに迷っている場合ではない。

 それなのに、扉にかけた手が動かない。


 私はいつからこんな薄情者になってしまったのか。

 薄い扉一枚を隔てた向こうにはナニカがいるかもしれない。

 見えざる恐怖がべったりと身体に重くまとわりつく。


 震える指先をなんとか動かしてスマホの画面をなぞりフリック入力をする。


「いきなりなんだけどさ、お祖母ちゃんの髪色は何色?」


「いきなりなんだよ」


「小屋を出る前に、本当にそこに倒れているのがお祖母ちゃんか確認したいの」


「それどころじゃないんだよ!早くしないとヤバいことに……」


「何色なのか答えて」


「……………………白だよ。白髪」


「……………………あなた、誰ですか」


「俺だよ!俺!俺のことを忘れたのかよ。どうしちゃったんだよ急に」


「あなたの名前は?」


「………………………………」


 ドアのノックが急に止まる。

 不気味な静けさに包まれ、私は扉の前で動けなくなる。


「………………………………ぽ」


 静寂を破ったのは、まるで動物の鳴き声のような奇妙な笑い声だった。


 ぽぽぽっ。

 ぽぽぽっ。

 ぽぽぽっ。


 スマホが振動し画面を開くと、先ほど送ったメッセージに対する八代からの返信だった。


「扉を絶対に開けるな。目の前にいるのは俺の声を模倣した八尺様だ。何があっても夜明けまで絶対に開けるなよ。すぐにそっちに向かう」


 ぽぽぽっ。

 ぽぽぽっ。

 ぽぽ…………グギぃッッィェ


 奇妙な笑い声が悲痛な悲鳴へと声色を変え、そしてまた嫌な静寂が訪れた。

 私は扉の前で身体が固まったまま動けなくなる。


 扉の向こう側で何が起きているのか。

 視えるわけもないのに、私の視点は吸い寄せられるように扉の向こうへと集中する。

 再びスマホが振動し、それに大袈裟に驚きながらも画面を見ると、八代からの着信だった。


『八尺様はもう祓ったぞ。小屋から出てきて大丈夫だ』


『ちょっと待って。あなたの名前は?』


『はぁ?神野八代だよ。生年月日と身長体重も言った方がいいか?』


『ううん、私が疑いすぎていたみたい。助けてくれてありがとう』


 早く出て来いよと言って、八代は電話を切った。

 ようやく終わったと力が抜けてその場にへたりこみそうになる。

 もう深夜だしいつもなら寝ている時間のせいか、瞼が重い。


 今何時だろうとスマホの時間を見ると…………夜の22時、あれ?

 さっき見たときは夜の1時じゃなかったっけ?

 少なくとも夜の2時過ぎくらいだと思っていたのだが。


 ……眠気のせいで記憶まで混濁しているのだろう。

 早く母屋の方の布団でぐっすり寝たいと扉に近づく。

 金木犀の甘い香りがまた漂ってきた。

 扉の向こうから香ってきているようだ。


 私はそのまま誘われるように扉を開けた。

 お疲れさん、皮肉じみた笑みを浮かべて労いの言葉をかけてくるであろう、八代の姿はそこにはなかった。


 ……………………ぽっ。


 目の前には、白いワンピースを着た恐ろしく背丈の高い女が立っていて、こちらを静かに見下ろしている。

 大きな白い帽子が影となり、女の顔は深い闇で覗くことはできなかった。


 女は優しく私の肩に手を置いた。

 血の気が失せたような真っ青な腕。

 対照的に、爪は鮮血を塗っているかのような濃い赤で、不気味な妖艶さを放っている。


 身体から放たれる金木犀の甘い香り。


 ――――――――オイデ。


 血の通っていない冷たい手に導かれ、私は恐怖で身が竦みながら抵抗せずに歩いた。


 家の敷地を出て連れて行かれた先は、家から歩いて5分くらいのほど近い場所にあるお寺だった。

 八尺様は私の手を放し、真っ青な指と真っ赤な爪を立てて指を指す。


 そこは、古井戸だった。

 現在は使われていないのか、中を覗いてみると水はすっかり枯れ切っていた。

 夜の闇のせいか、深淵のように真っ暗闇で底が分からない。

 まるで別の世界へと繋がるトンネルのようにも見えた。


 ここに入れということだろうか。

 八尺様は私に貞子になれというのか。

 いや、都市伝説の話では、八尺様は霊界へ導く怪異。

 この井戸の底を抜けた先に、幽世があるのだろうか。


 しかし八尺様に敵意はなさそうで、襲ってくる様子はない。

 私が古井戸に飛び込むのを見守っているようにも見て取れる。

 とはいえ、井戸に飛び込んでしまったら、幽世ではなかったとしても、大怪我は必至。


 足の骨は確実に折れるだろう。

 何が目的なのかは不明だが、大人しく家に帰らせてはもらえないだろうか。

 恐る恐る、ご機嫌を伺うように八尺様へ視線を送ると、まるで私を急かすように軽く背中を押した。


 ――――――――ココ、ゲンセ、ジヤナイ。モトノセカイへモドリナサイ、ハヤク。


 …………元の世界??


 外国人が喋っているような片言の日本語で、ほとんど聞き取れなかったが、一部だけ聞き取ることができた。


 ――――――――アナタ、シシャ、チガウ。ココ、カクリ…………ギィッっゥ”ぇ”


 最後まで言い終える前に、八尺様の身体は塵となって消えていった。

 八代が放った護符によって。


「間一髪だったな」


 皮肉を混ぜたようなニヒルな笑み。

 それはいつも通りの彼らしい笑みであるはずなのに。

 何かがズレているような、欠けているような、異物が喉に詰まっているような違和感がそこにはあった。


 その違和感の正体を考えるほど私の体力は残っておらず、きっとただの気のせいなのだろうと、思考を放棄し無理矢理飲み込むことにした。


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