終幕
今は誰も管理していないであろう寂れた神社の広々とした境内。
深夜という時間帯もあって人目はほとんどない。
煌々と燃える焚火がサークルを描くように設置され、その中心で神野八代は座禅を組みながら経を唱え続けていた。
露出した上半身には文様のように描かれた経の言葉がびっしりと描かれ、それら1つ1つが霊の溜め込んだ邪気を払拭し、幽世へと送り出すための意味を成している。
薪となったご神木は、聖なる炎で彼を照らし、闇を浄化していく。
小一時間、大量の汗を流しながら経を唱え続ける彼の身体から私の霊体は徐々に抜けていき、自身の気配がだんだんと消えていくことに心地良さを感じていた。
病院にいたときに私の中で暴れまわっていた負の感情が嘘のように消え、痛みも苦しみもない透明な感覚へと変わっていくのが分かる。
自身の存在が完全に消え去る前に、私は疑問に感じていたことを神野八代に問いかけてみる。
「最期に一つ聞いていいか」
「なんだ」
「なぜそうまでして父への復讐に囚われるのだ。憎しみを抱き続ける生活に、精神がすり減っていく日常に疲れ切っているだろうに」
「別に疲れてなどない」
「嘘をつくな。一時でもお前の身体に乗り移っていたんだから私にはお前の情動が分かる。普通の人生を生きた方が遥かに楽なはずだ」
「…………確かに、その通りだ。憎しみだけを糧に生き続けることに正直疲れた。普通の人生を生きた方が楽だし、父に殺された母さんも妹も天国でそれを望んでいると思う。でも--------」
……………………。
神野八代は身体を小刻みに震わせて黙り込んでしまった。
込み上げる悲しみをじっと耐えるように。
そして大きく息を吸い込んで息を整え、続ける。
悲しそうに俯きながら。
「過去を置き去りにして自分の人生を生きていくことが怖いんだ。自分の幸福を追い求めるうちに、母さんと妹のことを忘れてしまう気がして。憎しみを抱いてアイツを追い続けているうちは、母さんと妹の存在は俺の中から消えないから。だからどれだけ心が摩耗しても、俺は今の生き方を止めるわけにはいかないんだ」
「…………………………………………。」
私は返す言葉が見つからなかった。
彼の歩んでいる世界は地獄そのものだ。
かつての私以上の黒い感情を持ち続け、その感情に執着するという生き方。
私が彼の身体を完全に支配して人として生き続けた方が彼にとって、やはり良かったのではないかと思ってしまう。
もはや今となっては遅いのだが。
自身の悲痛さを誤魔化すように小さく笑みを浮かべる彼の姿が少しずつ小さくなっていく。
鬼門が開き、私の方が幽世へと吸い込まれていっているのだ。
私の声はもう彼には届かないだろう。
それでも、天へ届くように私は強く願いを込める。
神野八代の未来が平穏でありますように。




