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お前の身体、欲しいなぁ

 雲一つない青空が広がった晴れの日、退院3日前に控えた海原夏紀は満面の笑みを浮かべながら俺の病室に訪ねてきた。


「退院目前だから会いに来たよ。ウチにもう会えなくて寂しい?」


「いーや、全然」


「寂しくなったらいつでもLINEでメッセージ送ってきてね。待ってるから」


「退院したら色々と忙しい日常に戻るからあんまりLINEを送る暇はないだろうけどな。気が向いたらな」


「まぁ霊力もない耐性のないこの身体じゃそう長くは保たないだろうけどね」


「一体どうやって夏紀の体の中に入りこめたんだ。それと自分の首に突き付けているナイフは下げてくれないか?」


「やだねぇ」


 両目が真っ黒に変色した夏紀は、目や耳から黒い液体を垂れ流しながらナイフを自分の首元に突き付けて薄笑いを浮かべている。


「夏紀には強力な御守りと塩の結界を張ったはずだ。結界が消えたとしてもあの御守りさえあれば大抵の霊は退けられたはずだ」


「結界は破壊、御守りは破棄された。全部この娘が自分でしていたぞ。トチ狂っちまったのかなぁ。人間の感情ってのは時に理解不能な行動を起こさせるよなぁ」


 アハハハィハヒハハはハハはハハハ。

 姿形は海原夏紀本人だが、声も話し方も人格も彼女の面影すら感じられない。


「お前は幽霊ではないな。複数の怨念の集合体か」


「当ったりー」


 夏紀は年齢らしからぬ幼い子供がはしゃいだような声で答えた。


 病院全体を覆うほどの瘴気。

 不自然に接合した複数の霊体。

 通常の霊に当てはまらない特徴。

 この病院で死んだ患者達の負の意識が沈殿して膨れ上がった存在。


「昔この病院で起きた大量失踪事件の患者達が元になっているのか……?」


「どうだろうね。あまりにも怨念の数が多いから誰の意識が混ぜこまれたかなんてもう分からないさ。そいつらも含まれているのかもね。ただ1つ、どの怨念にも共通して切望しているものがある。”生きたい”という想いだ。どの命も天寿を全うせずに死んだんだ。その共通意識が1つの集合体になったと言えるんだろうね」


「それで夏紀の肉体に乗り移って外の世界で人間として生きようって魂胆か」


「そのつもりだったんだけど、普通の人間じゃこれだけ多くの怨念を入れるには精神的にも肉体的にも難しいしねぇ。どうしようかねぇ」


 夏紀に乗り移った怪異は、困ったような喜んでいるようなどっちとも取れない歪な笑顔を顔に張り付けながらナイフで首を小さく引っ搔いた。

 首元から流れ出る血は真っ赤だ。

 生きている彼女自身の血液だ。


「お前の身体は良いなぁ。大量の霊力を身体に宿しているし耐性も十分だ。長く使っていけそうな身体だなぁ。欲しいなぁ欲しいなぁ」


 俺は怪異の要求を察して鼻で笑った。


「悪いが俺の身体をお前にくれてやるつもりはない。俺にも色々とやらなくちゃいけないことが山積みだからな。お前だけに構っている暇はないんだ」


「……本当にいいのかなぁ?」


 怪異は首に当てているナイフの握る手を強めた。

 彼女の首の皮膚が切れて血が滲みだしている。

 だが、俺はその程度のことで動揺などしない。


 極論、俺は自分以外の人間がどうなろうがどうだっていい。

 そのために、俺は必要以上に他人と仲良くなろうとせず距離を取ってきた。

 自分の命を懸けてまで誰かを救うなんてラノベのヒーローにでもやらせておけばいい……と思っていたはずなのに。


「良い判断だなぁ。いや、愚かというべきか。まぁでも身体を明け渡してくれることには素直に礼は言うよ。霊だけにね、なーんて」


 目の前の怪異は身体から溢れ出る黒い瘴気を大きな口のように広げ、俺を包み込んでいく。

 夏紀なんてしょせん、病院で知り合っただけの間柄だ。

 長く築いた関係性でもなければ特別な仲でもない。

 妹と同じ年齢の女の子というだけだったはずなのに。


「イタダキマース♪」


 パクリと、俺は丸飲みされた。


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