イ良い身体ブクロジャ持ってナイるヨねぇ
深夜の病院というのは、心霊慣れしている俺であっても恐怖を感じてしまうほどに不気味な空気が漂っている。
病院内に漂う瘴気は日中の比ではなく、幽世の者達がひしめく鼓動が聴こえてくるようだ。
夏紀には強力な念が込められたご神木の欠片が入った御守りを渡し、念のため盛り塩の結界を彼女の病室に張ったので問題はないだろう。
ちょくちょく彼女の様子を見に行っているが、彼女に憑いている瘴気は徐々に薄れていっているし、彼女の様子もこれといった異変はなさそうだった。
問題は、あの黒い怪異の正体だ。
それを調べるために瘴気が濃くなる深夜の時間帯にこうして病院内を徘徊して調査しているのだがあちらこちらからその瘴気の気配が漂っていて、もはや病院全体が大きな一つの怪異と化してしまっている様相を呈している。
「……まるで大きな怪異の胃袋の中を歩いている気分だな」
俺の独り言に応える人間は当然いない。
「イ良い身体ブクロジャ持ってナイるヨねぇ」
いた。
身体の血が全て抜けきってしまったような青白い肌をした少年だ。
少年のお腹には髭無精の中年男の顔が突き出ている。
奇妙な形をした2人の声が調和なく重なって通路に響いてきた。
「消えろ」
冷たく一言放ち霊力の矛先を向けると、奇妙に合体した霊体はすぐに霧散してしまった。
浮遊霊……にしては身体つきがおかしい。
物質的な肉体ではない霊体とはいえ、普通は別々の存在である浮遊霊同士がくっついたりなどしない。
「気持ちわりぃな」
しかし、形の歪な霊体はこれだけに留まらなかった。
その後も、大人子供赤ん坊の腕だけがくっついたヒトデのような霊体や、全身に目玉がびっしり張りついた妖怪百目のような霊体、あるいは、使用禁止の男子トイレに入ったら、壁全体に大小さまざまな口が花畑のように咲き乱れていて、そいつらに口汚く罵られた。
不細工、ぼっち、非モテに童貞。
別に何とも思わないが、純粋に煩かったので霊力の塊を爆散させて消し飛ばしてやった。
これまで出てきたどの奇抜な形の霊体も共通して病院のあちこちから放たれる瘴気と同質の気配が感じられる。
しかし、いくらそれらを除霊しても消えることはなかった。
2日、3日、4日……毎夜無尽蔵に湧き出る霊体を排除し続けたが、全くといっていいほど状況は変わらない。
どう考えてもおかしい。
これだけ除霊すればもっと霊が少なくなっているはずなのに。
病院は人が亡くなる場所であるとはいえ、亡くなった患者が悪霊としてこの場に留まり続ける事自体滅多にないのだ。
ネットで情報を収集してみると、30年以上前、この病院で何十人以上もの失踪者が続出したという記事を発見した。
未だにその真実は明かされておらず、失踪者も見つかっていないらしい。
夕闇怪奇俱楽部のサイト上で、この病院で昔起こった行方不明事件の噂や裏情報について何かないか有識者達の知見を集ってみると、なかなかに興味深い話が湧いて出てきた。
『時雨坂病院の大量失踪事件について情報キボンヌ』
『マッドサイエンティストみたいな医師がいて、身体の接合実験をしていたって聞いたことあるンゴ』
『ムカデ人間で草』
『医療費が払えない貧乏入院患者を病院ぐるみで殺して隠したって噂も聞いたことある』
『財務体質改善の鬼ンゴねぇ……』
『臓器売買として海外に売られたんじゃね?』
『それってソースあるか』
『ほい(ウスターソース)』
『わいはとんかつソース派やなぁ』
こいつら頼りにならねぇ……。
厚く垂れ込む曇り空を眺めながらため息をつくと、今日も飽きずに見舞いに来た祭火は苦笑いを浮かべた。
「少しは休んだら?休むために入院してるのにここでも怪我でもしたら元も子もないでしょうに」
「確かに祭火の言う通りなんだが、知ってしまった以上放置ってわけにもいかないしな」
「八代はそういうところあるよね。正義感?」
「そんな大層なものじゃないが、日々誰かの心霊相談を受けてると、使命感みたいなもんが芽生えるのかもな」
「でもお金もらってるじゃん」
「ライフワークみたいなものだな。それに、祭火からは徴収していないんだから良心的だろ」
「まぁ私達は幼稚コ園からの幼馴染なんだロし、無料サービスってことでいスいんじゃない?」
「それは祭火の立場から言えることではないな」
楽しそうに話す彼女から、一瞬だけ線香の香りが漂ってきた。
「確かにヒ今のは図々しトかったかもジね。じゃチあ今度映画代なんかミでも奢ツってあげケようかタ?」
目が真っ黒に変色し、身体を不自然に曲げながら、彼女はいつも通りの笑顔を浮かべている。
そして両手の親指を立て、自身の両目に向ける。
「どうせ見るならホラー映画がいいな。事故物件(続)が観たいぜ」
涼しい顔でそう答えながら、自身の両目を潰そう指を突き立てた彼女に向けて霊力の刃を放った。
「八代はそればっかねぇ。たまには恋愛青春映画とか見て女の子の気持ちについてもっと勉強した方がいいよ絶対」
「恋愛映画だけは観る気はないな」
俺の言葉に祭火は呆れたように肩を落とす。
彼女の身体に纏わりついていた瘴気は消え去ったが、当人は憑かれていたことすら気づいていないようだ。
それから彼女には魔除けの札を渡し、この病院には危険だからもう来るなと告げた。
祭火はなぜかむくれていたが、こっくりさんよりヤバいのが病院内を徘徊していると告げると、駆け足で病院を出て行った。
まさか日中にまで堂々と現れるようになるとは予想外だった。
幽霊は光を嫌うので、普通は日中には現れないはずだ。
それに、今度は明確に俺を狙うという意思を持っていた。
少々面倒になってきたというくらいにしか、この時の俺は考えていなかった。
断じて油断をしていたわけではない。
しかし、予期しないアクシデントというのは常に発生しうるもので、それは最早避けられない運命と呼ぶべきかもしれない。




