霊能力解放
祭火が帰宅した後、俺は今の自分がどうしてこうなってしまったのか考え込んだ。
注意力の欠如、自身に対する過大評価、能力不足。
もし最悪の事態になっていたら、俺だけじゃなく尾道も祭火も大変なことになっていたかもしれない。
このままでは、父に対する復讐を果たすどころか、関係ない周囲の人間まで犠牲にしてしまう。
俺は、祭火が切ってくれた最後のリンゴを咀嚼し、ベッドから立ち上がって病院からこっそり拝借した包帯を両目に巻きつけた。
大きく深呼吸し、全身の力を抜く。
そして、全神経を研ぎ澄ませた。
――――――――霊能力解放。
頬に当たる柔らかな風。
患者同士の話し声。
車椅子の動く車輪の音。
五感で感じている現世の情報が遮断され、無音の世界に切り替わる。
両目に巻かれた包帯のせいで視界は真っ暗だが、全身から放つ霊力で、手で触れているかの如く空間を認識し、生者の放つ生命力を、死者が放つ霊気を感じ取る。
みなが五感から感じ取る世界を、俺は今、霊能力だけで触れて認識する。
額から汗が滲んだ。
霊力を放出し続けるせいで通常の何倍も疲労感が蓄積し続けているのだ。
だからこそだと、俺は松葉杖を持って病室を出る。
常に霊能力を使い続けることで、自身の能力をより向上させ、以前よりももっと強くなるのだという強い意志を持って。
通路を行き交う看護師や医師、患者達の存在を正確に把握しながら歩く。
霊能力のみで世界を感じ取っているからこそ、幽霊の存在もこれまでより色濃く感じる。
目的なく彷徨う、元患者らしき高齢者の浮遊霊とすれ違い。
患者に憑いている悪霊にはそれとなく霊力を込めた手刀を入れて祓い。
幽世の瞳を持って、病院内を闊歩していく。
霊能力トレーニングを始めて30分、疲労感が重くなってきたところだった。
かなりの速さで動く存在が近づいてくるのを敏感に察知する。
俺は警戒レベルを上げ、ゆっくりとそのまま歩き続ける。
階段下に出た直前、こちらに向かって高速で飛来する存在を察知し、反射で受け止める体勢を作る。
ぐっ、と受け止めた人間の重さと完治していない腹部の怪我の痛みに思わず声が漏れてしまった。
衝撃を逃がすために身体を後ろにそらして抱えた人間もろとも倒れ込んだ。
腹部がズキズキと痛みだす。
「あっぶなかったー」
若い女性の声だった。
体重も比較的軽く、受け止めた身体も小さい。
中学生、いや小学生だろうか。
俺よりも年下の女子かもしれない。
とはいえ、いくら軽くても、いつまでも俺の上に乗っかられているとだいぶ辛い。
「そこをどいてくれないか」
呻くように言うと、謝罪の言葉もなく彼女はどいた。
「元気が良いところ悪いが、病院内を走り回ったらいけないことは小学生でも分かるだろう。悪霊が飛びかかってきたのかと勘違いしそうになったぞ」
「悪霊って人間を襲うとき飛びかかったりするもんなの?」
そこはツッコむところなのかと逆ツッコみを入れたくなるが抑える。
「さぁ、どうだろうな。とりあえずぶつかったなら謝ろうぜ」
「ごめんなさい」
割と素直な子だった。
とは言ったのだが、彼女はその場をじっとして動かない。
何故か顔をじっと覗き込まれているような気配を感じる。
「なんで俺の顔をじっと見ているんだ。両目に巻いた包帯がそんなに珍しいか?」
「両目が包帯で巻かれているのに周囲が視えているようで不可思議だなって思って。
どういうトリック?」
彼女の言葉にギクッとした。
確かに今の俺は普通に考えて怪しすぎるのだ。
なんて誤魔化せばいいか、咄嗟に言葉が思いつかない。
くそっ、友人が少なくて会話慣れしていない弊害かパッと上手い言い訳が浮かばない。
「…………まぁ直観みたいなものか?」
いくらなんでも無理がありすぎる言い訳だった。
「直感でウチが飛んでくるのを予測してキャッチしたってこと?」
「不可能な話じゃないだろ」
「うっそだー」
「………………」
もうそれ以上追及しないでくれ頼む。
「両目は病気か何かなの?」
クッソこのガキこれ以上の追及は止めろと念じてるだろうが。
「…………結膜炎?」
結膜炎ってどんな病気だっけ?
もうだめだ早くこの場から脱しなければ。
「じ、じゃあ俺はもう行くからな。院内は走らないようにな」
「ち、ちょっと待って!!」
まさか呼び止められるとは思わなかったが、引き止めを聞かなかったことにして去ろうか迷った。
しかし、彼女の身体からのほのかに放たれている瘴気を感じて立ち止まる。
呪物が放つような線香の香り。
昨夜の黒い影達からも似た香りが匂ったような……。
「…………なんだ?」
「ちょっと、院内のカフェでお茶しない?奢るからさ。えへへへっ」
俺の考えすぎだろうか。
しかし、念のため探りを入れてみた方がいいかもしれない。
恐らく彼女にはナニカが憑いていた可能性が高い。
そして、憑き物は必ずといっていいほどに、再びその者に訪れる。
俺は彼女の誘いに頷き、松葉杖を手に取った。
しかし、両目を包帯で覆った俺がそのまま1人で歩き出すとまた怪しまれてしまうだろう。
「包帯のせいで両目が視えない。歩く補助をしてくれないか?」
そう言って左肩を上げ、今更ながら目が視えていないアピール。
我ながら嘘くさいなぁと自己嫌悪する。
彼女に腕と肩を持ってもらおうとしたが、なぜだか恥ずかしそうに俺の手を握ってきた。
いや、手でも構わないが、そんなに俺と並んで歩くのが恥ずかしいのか。
「…………おい」
「あの、実はウチ、男の人と手を繋ぐの初めてで……」
一体どういう言い訳だ?
「いや、そうじゃなくて」
「もしかして、手汗出てる?」
彼女は何を気にしているのだろうか。
「腕とか肩を持って歩行介助してほしいんだが」
そう言うと、発狂したように悶えだした。
まさか、たった今悪霊にとり憑かれたというのか。
俺は神経をより研ぎ澄ませたが、悪霊の存在は感じられなかった。
********************
院内カフェに足を運び、2人で向かい合うようにテーブルに着く。
薄々分かってはいたが、彼女はお金を持っていないようだったので結局俺が会計を済ませることになった。
バイトや心霊相談の依頼料のおかげで潤沢に資金はあるので全く構わなかったのだが、彼女は申し訳なさそうに肩を縮めたので、気にするなと言ってやった。
向かい合う彼女からは、やはり瘴気が放たれているのがはっきりと分かった。
そして、彼女の気配から恐怖が滲み出ている。
俺の元に心霊相談に来る人達と同じだった。
孤独に悩んでいて、誰に相談していいのか分からない。
話したとしても、信じてもらえないかもしれない。
心霊被害に悩む相談者は誰もがそのように苦しんでいる。
彼女も全く同じ様子だった。
昨夜、黒い影に憑かれていた女の子は目の前の彼女だと確信する。
「やはり、君だったのか。それなら、もう誤魔化す必要はなさそうだな」
俺はこれまでの心霊に怯えていた相談者達にそうしたように、震える両手を優しく握ってあげ、相手をひとまず安心させてパニックに陥らせないように言葉をかける。
霊能力トレーニングを中断して包帯を解くと、小柄で幼い顔立ちの少女が涙目になりながらこちらを見つめていた。
「…………小学生?」
「中学2生生よ!」
にしては幼い体型だなぁ。
「昨夜、黒い影に囲まれていたのは君だな」
「…………うん」
彼女は小さな肩を震わせながら俯く。
そんな怯えた彼女を見て、俺は呼吸が止まりそうになる。
存在が一瞬重なって見えてしまった。
錯覚なのは分かっている。
でも、もし生きていたら、目の前の彼女と殺された妹が同じ年齢であることに気づいてしまった。
目頭が急に熱くなり、何かが込み上げて来るのを感じて目元を抑える。
乱れかけた呼吸を整え、深呼吸をする。
「大丈夫だ、安心してくれ。俺が助けるから何も心配しなくていい。ただ俺を信じてくれればいい。俺の名前は神野八代だ。君の名前は?」
「海原夏紀。よろしくね、ヤッシー」
少しだけ安心したように海野は微笑んだ。
こんな状況下でも初対面の男にあだ名をつけるほどのコミュ力。
スクールカースト上位にいそうな子だなぁと場違いにもそう感じてしまう。
「よろしくな海野」
「夏紀でいいよ」
「入院中に違和感を感じるようなことがあったらすぐ俺に教えてくれ海野。いいな?」
「わかんなーい」
「………………。よろしく頼むぞ夏紀」
「はーい」
ただの面倒くさい中坊だった。




