院内のカフェでお茶しない?えへへへっ
昨夜の黒い影が消え去った後日、これまでの体調不良が嘘のように回復した私は、善は急げと言わんばかりに病院内を駆け回り、すれ違う男の患者さん達の顔をチラ見してまわる。
誰にもぶつからないように軽やかに身を躱し、看護師さん達の制止の声を振り切り、階段を2段飛ばしで駆け上る。
まるでアメフトのランニングバックにでもなった気分だ。
久しぶりの絶好調な身体でじっとなんてしていられなかった。
年を取ってから健康のありがたみを実感するなんてお婆ちゃんが昔言っていたが、今更ながらその言葉の意味を身を持って理解した。
ありがとうお婆ちゃん。
……まぁ、もう死んじゃったんだけどさ。
1時間ほど病院内を走り回ったが、それらしい男はなかなか見つからない。
そもそもとして、目つきが悪い、若い年上男性なんて情報量が足りな過ぎるのだ。
しかも、深夜の真っ暗な病室で月明りのみを頼りにチラッと見えただけで光の当たり具合によってはかなりのイケメンだったかもしれないし、ただのおじさんの可能性だってある。
本人の顔を見ればピンと来るかもしれないと勢いで捜索を始めてみたものの、早くも暗礁に乗り上げそうだった。
半ばヤケ気味に階段を5段飛ばしで降りようと左足に力を加えてジャンプしようとしたのだがーーーー
…………あ、やばいかも。
着地先の通路脇から人の影が見えた時には遅かった。
すでに両足は地上を離れ、空中に身が投げ出されているため、避けることはできない。
通路脇から出てきたのは、両目を包帯で覆われた、松葉杖をついて歩く男だった。
バトル漫画で描写されるように空中で体勢を変えて身を翻すなんてできるはずもなく、両目が視えていないであろう男の斜め上から飛び蹴りする構図で飛び込む……はずだった。
しかし、男はこちらの気配を察したかのように瞬時に私の方に体の向きを変え、持っていた松葉杖を放り投げて私をキャッチした。
ボールのように軽くもなければ腕に収まる大きさでもないので、私を抱きかかえながら後ろに倒れこんだが、私は男がクッション代わりになってくれたおかげで幸い無傷だった。
「あっぶなかった~~」
「…………そこをどいてくれないか」
床が僅かに温かいと思ったら、男の上に乗っかっていたことに気づいてすぐにどいた。
「元気が良いところ悪いが、病院内を走り回ったらいけないことは小学生でも分かるだろう。悪霊が飛びかかってきたのかと勘違いしそうになったぞ」
「悪霊って人間を襲うとき飛びかかったりするもんなの?」
「さぁ、どうだろうな。とりあえずぶつかったなら謝ろうぜ」
そうでした、ごめんなさい。
頭を下げると、男は気にしない素振りで手を振り、ニヒルに口の端を曲げて笑った。
細身で肌や声質から若い男であることが読み取れた。
高校生から大学生くらいか、私より少し年上の学生くらいだろう。
そして、皮肉が混じっているようなひねくれた笑み。
明確な根拠はないただの直観なのだが、昨夜の目つきの悪い男に近い雰囲気を纏っているような気がする。
しかし、昨夜の男は両目を包帯で巻いていなかった。
似た雰囲気というのはやはり私の思い違いだろうか。
いやしかし、昨日の男が纏うミステリアスな雰囲気と近いものを目の前の男からも感じる。
それに、実際に不思議に感じていることが1つあった。
「なんで俺の顔をじっと見ているんだ。両目に巻いた包帯がそんなに珍しいか?」
「両目が包帯で巻かれているのに周囲が視えているようで不可思議だなって思って。
どういうトリック?」
この質問に面食らったように男は肩をびくっとさせた。
「…………まぁ直観みたいなものか?」
「直感でウチが飛んでくるのを予測してキャッチしたってこと?」
「不可能な話じゃないだろ」
「うっそだー」
「………………」
ミステリアスというか怪しさが漂ってきた。
「両目は病気か何かなの?」
「…………結膜炎?」
結膜炎で入院して包帯巻くなんてありえるのだろうか。
通院で治療可能なレベルの病気だったはず……。
男は歯切れの悪い口調で、落ち着きなさそうに頭を搔いている。
ますます怪しく見えてきた。
でも無意味に両目を包帯で覆うなんて中二病じゃない限りそんなことしないだろう。
年齢的にはむしろ私の方が中二病にかかる年頃だし。
でも、目の病気だというのに松葉杖は果たして必要なのだろうか。
「じ、じゃあ俺はもう行くからな。院内は走らないようにな」
「ち、ちょっと待って!!」
二度とない好機を逃してしまいそうな気がして自然と口をついて出てしまった。
どうして呼び止めたりしてしまったのか、自分でもよく分からない。
そして、次の言葉が見つからない。
正確に言うと、両目を包帯で巻きながらも遠くに飛んで行った松葉杖に向かって迷いなく歩こうとする男にツッコミを入れたいのだがそうではなく――――
「…………なんだ?」
「ちょっと、院内のカフェでお茶しない?奢るからさ。えへへへっ」
もうただのナンパみたいになっちゃったじゃん。
キモいなぁ私……。
「……………………」
男は松葉杖を持った後、ハッとしたように立ち止まり、私の方をじっと見る。
「ど、どうしたのよ」
「包帯のせいで両目が視えない。歩く補助をしてくれないか?」
男はそう言って左肩を軽く上げた。
先ほどまでバッチリ周囲が視えている動きをしていたので、その不自然さを慌てて取り繕ったようにも見えるが。
しかし私の疑いすぎなことも否めないため、仕方なしに彼の求めに応じて手を握るってあげた。
男の手は大きく温かった。
お兄さんって感じがする。
家族に兄貴なんていないから実際のところはよく分からないけれども。
あれ、なんだか顔が熱くなってきた。
なんで私、緊張なんてしているんだろう。
「…………おい」
「あの、実はウチ、男の人と手を繋ぐの初めてで……」
「いや、そうじゃなくて」
「もしかして、手汗出てる?」
「腕とか肩を持って歩行介助してほしいんだが」
ああああああああああああああああああああああああ!!!!
キモすぎるなぁ私…………。




