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真っ黒な異形達

 今日も夜の2時に目が覚めた。

 病室には御香の香りが漂っている。

 金縛りで身体は指一本すら動かせず、恐怖に慄きながら天井を仰ぎ見るしかない。


 今日も、彼らは私のベッドを取り囲んで、ぶつぶつとお経のようなよく分からない言葉を唱え続けている。

 真っ黒い姿をした異形達。

 どれも煤を被ったように真っ黒な見た目をしていて、暗い病室に身体が完全に溶け込んでいるのに、白い目だけがぎょろっと動いて私の顔を覗き込んでいる。


 真っ黒い異形達が現れるのは決まって夜の2時。

 同時に私も金縛りの状態でいつも目が覚める。

 盲腸で入院してから数日後の夜、何の前触れもなく彼らは私の病室に突然現れた。


 最初はあまりの恐怖ですぐに気絶した。

 2回目の出現では気絶はしなかったものの、恐怖で身体が震えているのに金縛りのせいで逃げることもできず、彼らが消えるまで、地獄のように長い夜を過ごす羽目になった。


 3回目、4回目と不気味な夜を過ごすうちに、次第に異形達の姿にも慣れていき、特に危害を加える様子のない彼らに対する恐怖は少しずつ薄れていった。

 しかし、それと同時に私の身体が少しずつ衰弱していっているように感じられた。


 担当医の診察によると、本来は回復していくはずの容態が悪化していき、他臓器の炎症も起き始めているとのことだった。

 数か月前まで中学の友達と教室でダベったり、女子テニス部で活発に練習していた頃が遠い昔のように私の身体はやせ細っていき、肌は青白くなっていっている。

 それなりの筋肉があった私の二の腕が今は枯れ木同然になってしまった。


 私は涙目になりながら、天井を見つめてただ不気味な夜が過ぎるのを待つ。

 思えば、彼らが私の目の前に現れるようになってから私のエネルギーが吸い取られているような気がする。


 異形達が毎夜唱えているのは呪い言か何かだろうか。

 ふと気になり始め、彼らの念仏に耳を澄ませてみる。

 四方から流れる言葉が濁流となって耳の中で混在し、乱れる。


 静かな病室の中でこだまする彼らの声ははっきりと聞こえているはずなのに、はっきりと言葉を聞き取ろうとすればするほど言葉の1つ1つがぼやけていき、理解できない不協和音に変わっていってしまう。


 耳と脳を過度に働かせたせいか、目覚めてから30分ほどでうつらうつらしてきて、

 いつの間にか寝入ってしまった。


 ********************


 はっと目が覚めると、時刻はまだ夜の2時だった。

 鼻につく御香の香り。


 ……………………あ、れ?時間が巻き戻った?


 ついさっき夜の2時半くらいに眠ったはずなのに、病室の時計の針は2時を指している。

 私のベッドの周りにはいつもの異形達が私のベッドを取り囲んでいる。


 彼らのお経のような言葉が耳鳴りのように響き、鼓膜がじんじんする。

 眠っていたばかりなのに身体が酷く疲れている気がする。

 全身がくたくたで、金縛りでなかったとしても起き上がる気力が湧かないほどだった。


 彼らの白い目がぎょろぎょろと蠢き、私の顔を覗き込む。

 そして、嬉しそうに口元が大きく横に裂けた。

 その不気味な笑みが何を意味しているのか考える前に、私は再び意識を失ってしまった。


 ********************


 目が覚めても、やはり時刻は夜の2時のまま。

 そしていつもの御香の香り。

 長い時間寝ていた感触はあるのに、病室の時計を見ると時間が一向に進んでいない。


 夜の2時で世界の時は止まってしまったのだろうか。

 私を囲む異形達は相変わらず意味不明の言葉を唱え続けている。

 いくらなんでもこの状況はおかしい。


 どれだけ睡眠しても時間が経っていないなんて。

 シーツにくるまれているのに凍えるような寒さを感じるのも。

 割れるような頭痛と眩暈も。

 日に日に悪化していく体調も。


 歯を食いしばり、金縛りで動けない身体を無理矢理にでも解こうと意識だけでも暴れまわった。

 すると、身体が僅かに揺れ動き、右手がぴくりと動いた。

 自由になった右手で救いを求めるようにスマホに伸ばし、画面を開いて絶句した。


 画面に表示された日付は7月5日。

 今日は7月3日だと思っていたが、2日も過ぎていたことになる。

 時間が止まっていたのではなく、丸一日眠っていて、次の日の2時になっていたのだ。


 それではほとんど死んでいるのと一緒ではないか。

 これは異形達のせいに違いない。

 彼らの念仏を聞いてはいけない。

 眠ってはいけない。

 そう自分に強く言い聞かせているのに、延々と流れ続ける彼らの念仏が意識をどろつかせ、深い睡魔に襲われてしまう。


 視界が少しずつ暗く、呼吸が浅くなり、息が苦しくなってくる。

 息苦しいはずなのに酩酊したように心地良くもあり、薄れていく意識の中で、このまま死ぬんだとどこか他人事のように思った。


 その心地よさに身を委ね、諦めたように目を瞑ろうとした瞬間、彼らの念仏をかき消すほどに大きいお経めいた言葉を発する男の声がどこからか響いてきた。

 彼らは念仏を中断し、白い眼を何度も瞬かせながら周囲をきょろきょろと見回している。


 また、別の大きな異形が現れたのだろうかと訝しむが、その男の声を聞いていると虚ろになっていた意識がクリアになっていき、金縛りがいつの間にか消えていた。

 だんだんと男の声が大きくなっていき、部屋中にうるさく反響する。


 ガタン、と病室の扉が叩かれる音がする。

 扉が少しずつスライドしていき、比例して男の声量も増していく。

 黒い姿をした異形の1人は砂のように形が崩れて窓から外へ飛んで行ってしまった。


 脳を揺さぶるような男の声が私にはただのお経にしか聞こえないのだが、異形達にとってはかなりの不協和音に聴こえているようだ。

 姿がぐちゃぐちゃに乱れて、人型が崩れていく。


 やがて、2人目、3人目と窓から飛んで逃げ去ってしまい、私の周りにいた異形達はいなくなった。

 彼らがいる間ずっと香っていた線香の匂いも消え、気怠かった身体が嘘のように軽くなった。


「ーーいーょうぶか。呪いーーーーかかーー」


 男は何か私に向かって言葉を発しているようだったが、私は激しい運動をした後のようにまた眠くなってきた。

 昨日一昨日とは違う、これまでの日常で過ごした時と同じ健全な疲労感と睡魔。

 心配そうに言葉をかけてくれていたのだが、私は彼に返事をすることなく眠りについてしまった。


 ********************


 目が覚めると、窓から朝日が差し込んでいた。

 久しぶりに太陽の光を見たような気がする。

 眠っていた細胞全てが活性化し、大きく伸びをする。


 肩が少し凝っている以外身体に問題はなく、むしろ今すぐ部活に戻りたいくらいの気分だった。

 ベッドから起き上がり、病室の時計を見ると朝の7時だった。

 正常な次の日の朝だ。


 一体、昨夜までの黒い異形達は何者だったのだろうか。

 いくら考えても答えなど出てくることはないが、昨夜現れた男なら詳しい事を知っているかもしれない。

 もしかしたらすぐに見つかるかもしれない。


 男は私と同じ病院の患者着を着ていたことから、私と同じ入院中の患者のはずだ。

 はっきりとは覚えていないが、容姿はかなり若くて、私よりやや上くらいだったような気がする。

 高校生か、大学生くらい……?


 でも、目つきがかなり悪く、黒い異形達よりも人相は悪いかもしれない。

 彼に命を助けてもらっているので、辛口レビューはこの辺にしておこうと思う。

 よし、それじゃあ今日から彼の院内捜索開始だ。


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