ゲームの「自由」
私はゲーマーである。
ああ、ゲームも色々あるな、私は主にキャラクターを成長させていくゲーム、
RPGやシミレーション等のゲームを好むゲーマーだ。
レベルを上げて、同じ敵に攻撃するだろう?
その時に「やった、3ダメージが5ダメージになったぞ。」
みたいな事でニヤニヤするようなゲーマだ。
・・うん、これは気持ち悪いな。私の事は別の機会にしよう。
今回はゲーマーとはなんぞや、という事を考えてみたい。
例えばだ、ゲーマーと言うのは良くこのセリフを吐くんだ
「自由じゃない、もっと自由に遊ばせろ」
聞いたことは無いか?
おそらく、ゲーマーなら一度くらいは聞くようなセリフだと思うが。
とにかく私はこのセリフを良く聞くなぁ、と思っているんだ。
それに応えるように、ゲームを制作している企業は一生懸命に自由度を上げている。
食事やトイレも選択肢にするほど、自由度は大事なんだ。
道具だって山ほど用意する、NPCも各キャラに個性を持たせる、一筋縄じゃいかない。
ゲームの世界だって異様に広くなっていく。特に行く必要のない場所だって用意する。
だが、それは無駄な努力なんじゃないかと、私は思う様になったんだ。
ゲーマーは口では自由だなんだのとのたまうが、
実際に膨大な選択肢があると、
ネットを漁り、自ら一本道の道にしてしまうのだから。
これは企業側も問題はあると思う。
自由にしすぎて、ラスボスを倒せない育成もできてしまうのだから。
どのような育成であっても、ラスボスを倒せなければ
外れを大量に生み出す結果になってしまう。
ラスボス?倒せますよ、真のラスボスは無理だけど。みたいな事を言わないでくれ。
真のラスボス?倒せますよ、真の真のラスボスは無理だけど。みたいな事になるから。
ゲーム上にいる最強の敵を倒せる育成だけにしてくれ。
最近、自由にしすぎて、選択肢を増やして、外れをバカみたいに増やして、
わざわざ己の首を絞め、ご新規、一見さまお断りにして
門だけは異様に狭くなってしまった気がする。
レトロゲーム専門の一派ができる始末だ。
これは私の結論。
ゲーマーの「自由にしろ」は、他のプレイヤーに外れを選択させて
「俺だけドヤ顔させろ」だ。
こんなわがままを聞く必要はないぞ。
自由にしても自らネットを漁り、窮屈な育成をするのがゲーマーだ。デュフフ。
サッカーの試合で「手も使わせろ」とか言ってるようなものだ、
それがゲーマーのいう「自由」だ。デュフフフフ。
※これはのちにラップになりました。