3.宇宙の距離
紬の騎乗する魔獣鷹イムールが、地上のリンがいる場所まで降下していくと、空気からぐぐぐと抵抗を感じた。リンのそばまでは降下できない。どうやらリンが飛行体を防ぐ魔法フィールドを設置したようだ。
機械獣のまわりを魔獣鷹に乗って飛び回りながら、正木は魔銃ライフルで、デニは杖から火炎魔法を放って攻撃しはじめた。しかし機械獣は分厚そうな装甲板に覆われていて攻撃の効果は薄そうだ。
機械獣は口を開けた。その口の中に筒のようなものが見えた。紬は上空を飛びながらそれを見た。あれは大きなライフルのようなものなのでは!?機械獣の口の中のその部分が震えて鈍く光りだした。
危ない!
紬は頭の中の魔術式の引き出しの中から、すぐに展開できて効果がありそうな防御魔法フィールド展開術を選んで、リンの前方に魔力をこめて展開した。
展開し終えたのと機械獣が口から大きな炸裂音を響かせて放ったミサイルが、その魔法フィールドに当たって爆発するのとが同時だった。
爆風でリンが地面をコロコロと後方に転がって行ったが、紬の魔法の効果があったせいかリンは無事のようだ。
リンが起き上がり、機械獣を見、上空の紬を見、紬に向かって叫んだ。
「紬!!危ない!」
えっ
紬も機械獣を見た。口を開けてこちらに向けている!
やばい!
慌てて杖を振って火炎魔法を放つ準備をした。
ドーン!
発射音。ミサイルが猛スピードで向かってくる。火炎魔法を放つ。
紬の眼の前で火炎に当たってミサイルは爆発した。ドカンと爆発音が鳴った。ミサイルが砕け、その鉄片などが辺りに飛び散って紬の体も細かい破片に切り裂かれた。
革製の防具によって守られたところもあれば、防御魔法をかけてあっても腕や足のタイツは引き裂かれ、血が吹き出した。頬も切られて血が流れた。
紬は土人形のホムンクルスなのに体は人間のものと精巧に似せて造られているので、体液も赤い血でできていた。今それが傷口からどくどくと溢れ出した。
それにすごく痛い!
紬は痛みで気を失いそうになったが、自分に痛覚を減じる魔法をかけて正気を保った。
騎乗していた魔獣鷹イムールも被弾し、力を失って落下した。
地面に落ちる前にリンが駆け寄ってきて魔法で衝撃を減じてくれた。地面に落ちた紬だったが、すぐ側に墜落したイムールが心配で近寄ろうとした。傷だらけの体で立ち上がる。しかし、よろけてしまいうまく歩けない。リンが近寄ってきて紬の体を支えた。
「紬!大丈夫?」
そう言って修復魔法をかけようとする。
「私はあとでいいからイムールをお願い……」
紬はよろけながら弱々しい声で言った。
「分かった」
そのとき、拡声された正木の声が聞こえた。
「スナイパー!口を狙え」
紬とリンは見た。機械獣が再度こちらを向いてとどめをさそうと、口を開けてまたミサイルを発射しようとしているのを。
パーン!
後ろから乾いた炸裂音が聞こえた。
輝く光球がまっすぐ機械獣に向かって行き、開けた口の中の砲塔に吸い込まれた。
ドーーン!!
凄まじい爆発音がして機械獣は体の中から崩れるように倒れながら装甲板がガランガランと音を立てながら落ちて、その隙間から光と煙が吹き出した。
紬はあっけに取られた。
後ろからざざっざざっと足音が聞こえてきて、リリーが長い銃身の魔銃ライフルを抱えながら歩いてきた。ライフルの銃口からは薄い煙がゆらゆらと吐き出されていた。
リリーは紬を見て、「ひどい格好ね」と言った。
「ズル!この子大怪我してるわ。治療してあげて!」
リリーがそう呼びかけると前方から金髪の少年が心配そうに駆けてきた。
「紬さん!ああ、これはひどい。すぐ治療します」
ズルはそう言ってから、腰につけたバッグから小さなガラス瓶に入ったポーションを取り出して紬に差し出した。
「まずはこれを飲んで」
そして紬の傷ついた体に杖をかざし魔法を展開しようとした。ズルはすぐに間違いに気づいた。
「ああ、間違えました。治癒魔法ではなく、修復魔法にしないと・・・・・・」
そう。紬は土人形であるホムンクルス。治癒魔法は効かないのだ。紬が手にしている緑色の液体のポーションも効果はないのかもしれない。しかしズルはこう言った。
「それは飲んでください。治癒だけじゃなく体力回復の効果もあるんです」
紬は感謝を込めて頷くとポーションの瓶の蓋を開け、中の液体を喉に流し込んだ。ズルは魔法の術式を変更し再度紬の体に杖をかざした。
痛みが和らいでゆく。どうやらズルは治療(や修復)を得意とした優秀な魔法使いであるようだ。
少し離れてリンはイムールに治癒魔法をかけはじめた。
正木とデニは魔獣鷹を着陸させて地面に降り立った。
彼等は続く災難がやってくることに気付いた。また地面震えるのを感じる。ズーンズーンという音が近づいてきているし、なにやら上空からバラバラという異音も聞こえてきた。
「ちっ、やれやれだな」
デニが舌打ちしながら言った。
上空を後方から大きな翼を持った物体が飛行して通り過ぎて行った。かなり大きい。しかも機械でできているようだった。紬が聞いたことのないキィーーンという飛行音だった。
さきほど倒した機械獣が現れた丘のほうから、同じ形をした機械獣が今度は三体現れた。ドスンドスンと近づいて来る。上空を通り過ぎた機械の飛行体は旋回しながら降下しつつこちらに近づいてくるようだ。
「どうする?正木」
デニが言った。
正木は機械獣が三体近づいてくるのを静かに見つめている。
紬は痛みを堪えて立ち上がった。足を引きずりながら前へ出る。
たしかに科学文明の機械は危険だわ。正木とリンがいつも言っていたとおりだった。でも、私の命がけの魔力を込めれば少なくとも一体は破壊できるかもしれない。
紬はそれについてはなぜか自信があった。もしかしたら二体を足止めすることもできるかもしれない……。
少しでも正木たちが有利に戦えるように。
紬はそう考えて体の中の魔力を増幅していった。杖をかかげて、多少時間をかけて複雑な術式を展開する。魔力をこめようとしたとき正木の声が聞こえた。
「紬……つむぎ、やめるんだ」
紬ははっとなって正木を見た。正木は紬の前に出て前方を見ていたが、紬に行動をやめるように後ろ手を振って合図していた。
紬は魔法の展開を中断した。
どうして正木は紬の魔法をやめさせたのだろう。さきほどの機械獣には苦戦した。それが三体も同時に近づいて来ているのだ。何かしないといけないことは明らかだ。リリーがスナイパーとしての腕が確かなのは分かった。機械獣の弱点に対してあのように狙い撃ちすることで決定的な有効打になることも。しかしそれにはチームが協力して機械獣の弱点を狙えるようにする必要があった。それを三体を同時に相手にしてできるだろうか?加えて空からは大きな飛行機械獣のようなものまでいるのに!接近戦になる前に攻撃をしかけて相手の数を減らせるようにするべきなのでは。それを紬は考えて強力な遠隔魔法攻撃をしかけようとしたのに。
紬は辺りを見回した。
正木は動かない。静かに近づいてくる機械獣を見つめているだけだ。
他の者たちは・・・・・・いつでも行動を起こせる準備をしつつ正木の指示を待っている様子だ。あの血気盛んそうなデニでさえも。
このようなときはリーダーの指示を待つという暗黙の了解のようなものがあるようだ。紬も空兵のリーダーをしていたことがあったから分かる。兵士に勝手なことをされては勝てるものも勝てなくなってしまう。そう思って少し恥ずかしい気持ちになったが、
でもでも、今すぐなんとかしなくては!
そのとき、紬も気づいた。何かが前方から近づいてくるのを。ドスンドスンと大きな音を立てて歩いている四足歩行の大きな機械獣三体を追い越して飛んでくる何か。
それは人が騎乗した何かだった。魔法使いが乗る魔獣鷹ではない。陽光を反射してキラキラと輝くそれは、機械でできた空飛ぶ乗り物だった。キィーンという甲高い音を出しながら飛ぶそれは、かなりのスピードで飛んできて機械獣たちの前で着地した。
その空飛ぶ機械に騎乗した人物は、片足を振り上げて機械から降りると地面にすっくと立ち、正木たちには背を向けて機械獣たちが向かってくる方を向いた。
紬は横目に見て気付いたが、正木は刀を鞘に戻し落ち着いた様子で新たに現れた人物の様子を伺っていた。
正木はこの人の出現を予期していた?もしかしたら知り合いか何かなのかしら。
そう紬が思ってしまうほど正木は落ち着いた様子を見せていた。
機械で飛んできた人を前に三体の機械獣は歩みを停止した。まるで主人の「待て」という指示に従った犬のように頭を下げて動かなくなった。
その人はくるりと振り返りこちらを向いた。そしてつかつかと歩いて近づいてきた。薄青の体にぴたっとした、てかてかと陽光を反射する素材でできた、トップスとボトムスの継ぎ目のない着衣を着ていた。靴の部分まで一体化しているように見える。白い肌の顔に、短く刈ってある髪の色も白かった。男性とも女性ともどちらにも見える中性的な顔立ち。無表情。背丈はあまり大きくなかった。紬やリンと同じくらいだろうか。もしかして子供?と紬は思ったが顔立ちは冷たい感じがして子供らしさはなかった。手には何ももっておらず武器の類は所持していないように見えた。
白い髪の人物は正木から五メートルほどの位置まで近づいてきて立ち止まった。それから辺りを見回しながら言った。
「武器をしまいなさい。ここは立入禁止区域である。あなた方は市民法を十七個も犯している」
その者は傍らに横たわった機械獣の残骸を見下ろした。
「中央政府の機材破壊行為を確認。重罪犯罪人に昇格」
紬はその人から今まで感じたことのない違和感を感じていた。身につけた魔具の魔法により彼?彼女?が発している言葉の意味は理解できた。しかし原音に含まれる金属的な高音が交じる声質は、耳障りだったし今まで聞いたことのないようなものだった。
正木は仲間のほうを振り返って言った。
「武器をしまえ」
みな言われた通りにした。
すでに刀を鞘に収めている正木は白い髪の人物に向き直って言った。
「私はこの者たちの代表者、正木涼介だ。お前の名前は?」
その人は正木に冷たい視線を向けた。
「私は中央政府トピカの端末五三八九」
白い髪は金属的な響きの交じる声で答えた。
「……あの人、アンドロイドですね」
紬の隣にいたズルが小声で紬に言った。
あの人がアンドロイド……機械…人間。
「抵抗しなければここで処刑はせずにメトロポリスに連行し弁明の機会を与えます」
「機械獣にやられる前にお前を殺すことはできそうだ」
正木が言った。
アンドロイドは微かに反応を見せた。瞳に白い光を帯びたように紬には見えた。
「私はトピカの意思を伝える端末に過ぎない。破壊されても微々たる損害でしかない。それを実行すれば、我々の機材があなた達への攻撃を再開し、別の端末がやってきてあなた達を処刑または連行するでしょう」
「分かった。大人しく連行されることにするよ。ちょっと待ってくれ」
正木はそう言ってアンドロイドに背を向け皆がいるほうに歩み寄り、手振りで集まれと合図した。
「お互いに動的防御魔法を掛け合うんだ。最大限にな」
そう指示されたので、紬は途中まで構築してあった攻撃魔法の術式を捨て、皆に防御魔法をかけた。
「科学文明の都に行くのね?」
紬が言った。
「正木、危なくねえか?機械どもがどんな準備をしているか分からねえぜ」
デニが懸念を表明する。
「今のところ選択肢はない。あるとすればあの機械獣たちと戦ってなんとか生き残り、ゲートを通って逃げることだが……何人かは落としてしまいそうだ」
「それなら敵の懐に踏み込むってか。賭けだな」
「機械とやりあうときは必要なことだ」
正木はそう言い切ってから防御魔法が十分に行き渡ったことを確認すると、アンドロイドのほうに向き直った。
「それで?どうやってお前のメトロポリスとやらに行くんだ?」
白い髪のアンドロイドは上空を指さした。
先ほど上空を飛ぶのを見た大きな空飛ぶ鳥のような機械獣が旋回しつつ降下してきた。キィーーんと凄まじい機械音も近づいてくる。
アンドロイドは飛行獣が着陸しようとしいる方へ歩き出した。歩きながら自分が乗ってきた機械でできた乗り物の方を見た。瞳がまた白く輝くのが見えた。機械は自ら動き出し、シュイーンという音を出した。誰も乗せることなく飛び立ち、もの凄いスピードで飛び去っていった。
正木たちは警戒しつつアンドロイドについて行った。
リンが足を速めてアンドロイドに近づいた。
「ねえ」
アンドロイドに話しかける。アンドロイドは何も反応を見せなかった。
「わたし、リンっていうの。あなたのお名前は?さっきの……何かの番号みたいなのじゃなくって、ちゃんとしたお名前はなんて言うの?」
「私は中央政府トピカの端末…」
「五三八九!でしょ。そういうのじゃなくて、たとえば、お友達とかにはなんて呼ばれているの?」
「私はお友達、もしくはそれに関連したものを所持していません」
「そうなの……じゃあリンがあなたにあだ名をつけてあげる!」
「……」
「実は良いあだ名を思いついてたの。髪もお肌もきれいな白い色してるでしょ。番号も五三の八九だし、ハクって呼ぶね!」
アンドロイドは歩きながらリンのほうを向いた。リンは無邪気な笑顔でアンドロイドの答えを待った。
「私にあだ名というものは不要です」
リンは露骨にがっかりした様子を見せた。アンドロイドの瞳にまた白い光がまたたいた。
「……しかし、あなたが私をあだ名で呼ぶことについては承知しました」
「……!」
リンは笑顔になりアンドロイドへ手を差し出した。
「うんうん!じゃあ、ハク!よろしくね!」
アンドロイドのハクは差し出された手は無視したが「よろしくおねがいします」と答えた。
紬はリンの隣に駆け寄った。
「ちょっとリン!あんた何してるの?」
「番号みたいなのじゃ呼びにくいでしょ。だからあだ名をつけてあげたの。紬もハクって呼んであげて」
「この人、私たちのこと処刑するって言ってるんだよ!?」
「うん……でも仲良くならないとそれもそのままになっちゃうでしょ」
紬はリンが持ち前の明るさで、色々な星で人と仲良くなるのを見てきた。その力をアンドロイドにも発揮しようというのか。
「ハク。この子は紬。リンの一番の友達だよ」
ハクは無視して歩き続ける。
「リンと紬はホムンクルスなの。ハク、あなたはアンドロイドでしょ?だから私たちは同じ人造人間の仲間ってわけ」
ハクは立ち止まった。リンと紬を見る。
「ホムンクルス……」
ハクの瞳が白い光でまたたいた。
「うん。リンと紬は魔法で作られた土人形。ホムンクルスだよ。あなたは機械でできたアンドロイドでしょ。人間に造られたってとこと、人間じゃないってとこは同じだよ」
ハクの瞳の白い光は消えることなく輝いていた。
「わたし達お友達になれると思うわ」
リンが明るく言った。紬はおそるおそるハクの目を見ていた。
「……リンと紬。よろしくおねがいします」
ハクはそれだけ言ってまた歩き出した。
それがリンと紬、そしてハクの出会いだった。
ハクに促されて正木たちは飛行する機械に乗り込んだ。ズルは紬にこう教えてくれた。
「これは機械獣とは違って乗り物として作られたものですね。飛行機というのですよ」
その飛行機は翼が左右についていて、鳥の形に似ていたが機械獣のように獣として動き回るようにはできていなかった。翼をはためかせることはなく、翼の部分についている推進力を得る部品を使ってゆっくりと地上に着陸できる性能を持っていた。
魔法界にも大型の飛行鷲を使って十人ほどが乗る乗り合い航路を運用している星もあったが、紬が驚いたのは、この飛行機は胴体の中に乗り込むと内部は部屋のようになっていて、椅子が置いてあり、外を眺める窓もついていたりして、快適にすごせる空間になっていたことだ。しかも内部は広くたくさんの人数を乗せられそうだった。
機械の音が高まって飛行機は離陸した。
紬は窓の近くの椅子に陣取って外の様子を眺めた。
さきほどまでいた森は眼下に見えるようになった。森はすぐになくなり、その後は荒れ果てた土地が続いた。木々があまり生えておらず、乾いた土に背の低い植物が点在するような景色がしばらく続いた。
飛び立ってからすぐ、正木がハクに声をかけた。
「我々はおまえ達の国のものではない。他の星から来たのだ」
「その情報に関連する事象はトピカは予期していました」
正木はうなずき、
「おまえ達の国について、制度や状況について教えてほしい。そうすれば我々がおまえ達に害をなす存在ではないことを説明しやすくなるだろう」
ハクは目を光らせた。どうやら考えたり、何かと意思の疎通をしているときに、瞳の白い光がまたたくようだ。
「分かりました。トピカ了承。メトロポリスに到着したのち、裁定担当端末が同席の上で話をしましょう」
正木は満足げに頷いた。
それからは皆無言になった。
機械の推進音だけが室内に響いていた。
それにしても、と紬は思った。
この飛行機の中はなんて快適なんだろう。四方を機体の壁に囲まれた室内のようになっているおかげで風切り音は少ししか聞こえないし、魔獣鷹で飛んでいるときのような風圧とは無縁だ。
もしかして科学文明では魔法界よりも快適な生活を送っているのかもしれない。紬はそう考えることもできるなと思った。それは科学文明の存在を知ってから予期していなかったことだった。魔法が使えない人々は勝手に不便な暮らしを強いられているとばかり思い込んでいたのだ。
ズルが紬の向かいの席に座った。
「僕も飛行機に乗るのははじめてなんです」
「快適よね。箒や魔獣鴨、鷹なんかよりもよっぽど」
「そうですね」
ズルは笑った。
「しかも、なんだか、かなり速い速度が出ている気がするわ」
「はい・・・・・・待ってくださいよ、計ってみます」
ズルはなにやらポケットの中から魔具を取り出して魔法をかけながら辺りを見回す仕草を見せた。
「すごく速いです。音速に近いスピードが出てます」
「音速!?音の速さってこと?」
「そうです。時速1200キロにもう少しという感じです」
「それはどれくらいなのかしら……」
「魔獣鷹が重力を使って降下しながらの最大戦速が時速300キロくらいです。その四倍速いですね」
「すごい……」
空兵だった紬はもちろん魔獣鷹のスピードを知っていた。降下時のスピードは恐ろしいくらいなのだが、それよりも四倍速いというのは信じられないくらい速いということを意味していた。
「でもこの飛行機そんなに軽くはできていないと思うのだけれど」
「そうですね。人もこんなに乗ってますしね」
科学文明の機械の力、恐るべしだと紬は思った。
「そうだ。星と星の距離を表す光年の話し。今なら理解しやすいかもしれない。説明してみましょうか」
ズルが提案した。
「お願いしたいわ」
「今、僕たちは音のスピードで進んでいます。それと同じように、」
「待って。変だわ」
ズルは話を紬に遮られたが、それが重要だというように手振りで紬に続きを促した。
「私たちは音の速さで動いているのにどうしてこうやって普通に話せているのかしら。声は音でしょう?そうならまともに話ができなくなっちゃわないと逆におかしいんじゃないかしら」
「いいですね。そういうふうに疑問を持つことは大切だと思います」
ズルに褒められて紬はなんだかむずかゆい感じがした。
「音は空気を伝わる波のようなものだと言います。魔獣鷹に乗って音速で進んだらおしゃべりするどころじゃないでしょうね」
「風がすごくてきっと聞こえないわ」
「風は空気の流れです。この飛行機は空気ごと僕らを運んでいるので・・・・・・つまりこの空気も音速で移動しているんです」
「・・・・・・?」
「僕と紬さんは音速で動いている。この空気もそうです。僕から見て紬さんは同じスピードで動いているので、そのスピードの差はゼロです。つまり動いていないのと同じです。この飛行機の中では、この周りの空気も同じです。スピードの差はゼロです。紬さんから見ると、僕も、周りの空気も動いていないことになります」
「だから私の声は普通に届くのね」
「その通り。相対的なものなのです」
「そうたいてき・・・・・・?」
「すみません。分かりづらいことを言ってしまいました。無視してください」
「でもさっきの説明はなるほどと思ったわ」
ズルは頷いた。
「では光です。音は空気を伝わる波のようなものと言いましたが光は波そのものといった感じです」
「うっ・・・・・・そうは思えないわ。波って海のあの波のことでしょ。音も光もあんなふうには見えない」
「そうですね、ここはちょっと分かりづらいですね。でも魔法使いなら分かってもらいやすいと思うのですが、光には力を加えれば加えるほど強くなるという性質があるんです。強い光は激しい波となって進みます。普通の光だと何かに遮られたらそこで止まってしまいます」
「曇りの日は暗いわ」
「そうですそうです。そんな感じです。強く激しい波となった光はあらゆるものを突き通して進んだりできます」
「それが本当ならある種の魔法に近いわね。魔力を込めれば込めるほど強力になる魔法があるわ。早くそういうのも使いこなせるようになりたい」
ズルは笑いながら頷いた。
「ああ、すみません。この波長と光の強さの話は、距離の光年を理解してもらうにはあまり必要なかったかも知れません」
紬は、ただでさえ理解しづらいのに余計なことを言ってくれたわね、と思ったが笑顔で「大丈夫」と言ってあげた。
「頭のよい人って余分なことも言いたくなっちゃうんでしょ。正木みたくめんどくさがってぜんぜん教えてくれないよりはマシだから大丈夫」
ズルはマシで良かったと思いながら苦笑した。
「では今から僕の言うことを少し信じてみて、想像してみてください」
「分かった」
「光にもスピードがあって、今も陽の光が僕の顔を照らして紬さんの瞳に届くまで、ほんのわずかですが時間がかかっています」
「・・・・・・」
「音と比べると光はものすごく早いです。光は音の百万倍も速いです」
「はやい!」
「ですから普通に暮らしていると実感できることは少ないんですよね。音は山彦だったり雷の音が遅れて聞こえたりするので感じやすいんですが」
「そうね・・・・・・」
「群青には衛星がありましたね?たしか二つかな」
「あるわ。青月と赤月よ」
「衛星自体は光ってはいないので恒星からの光が反射して見えています。衛星に光が反射して群青に届くまでにおよそ一秒ちょっとかかります」
「一秒ちょっと・・・・・・」
「あの恒星」
ズルは飛行機の窓から見える夕刻の恒星を指さした。
「群青から見える恒星でもだいたい同じですが、あの恒星が光りを発してからこの惑星に届くまでおよそ十分かかります」
「十分・・・・・・」
「今!見ているあの恒星は十分前の姿ということです。あのくらい大きく見える恒星でも、光のものすごいスピードで、十分かかるくらい距離的には離れているということですね」
「ズル・・・・・・ちょっと待って・・・あなた、さっき群青からこの星までは百五十万年離れているって言ってたよね」
「はい」
「分かってきたけど・・・・・・きたけど・・・・・・」
「今あの恒星が光って、僕たちが見るのは十分後ですけど、その光が群青に届くのは百五十万年後です。宇宙ってすごく広いんですよ」
「音の百万倍速い光のスピードで百五十万年かかる・・・・・・」
「そうです。それだけ宇宙は広いので、通常の単位では距離を表しずらいんです。なので光の速さで何年かかるかという光年を単位として使います」
紬は理解できたような気がして頷いた。しかし・・・・・・そうするとあの、
「ゲートはその百五十万光年の距離をあんなふうに転移してこれるすごい大魔法なのね!!確かに・・・・・・たくさんゲートを通ったけれど・・・・・・」
「はい。銀河と銀河の間には何もない空間が広がっているのですが、そこを転移するゲートは数万光年から数十万光年を一気に移動するらしいですよ」
「すごいわゲートの大魔法。いくら科学文明の機械がすごいといってもゲートのような大魔法の比ではないんだわ」
紬は機械獣の強さやこの飛行機の性能の良さに科学文明のすごさを知ってしまい意気消沈していたが、魔法の素晴らしさを発見したような気分になって言った。
「はい。ゲートは古代人が残した神位魔法の遺物ですからね。それに機械を通さないようになっていて僕たち魔法界を科学文明の影響から守ってもいるんです。他にもどんな仕掛けが施されているのか……。秘めたる力は他に類を見ませんが、古代人だけがそれを扱えた神位魔法の産物です」
「魔法は魔法よ。私にだっていつかそんな大魔法を操れるようになる可能性があるんだわ」
おっとそれは少し危険な考え方だが・・・?とズルは思ったが気分が良くなっている紬の邪魔を言うのは控えておいた。
「あれを見てください。紬さん」
ズルは窓の外に見えてきた都市の景観を指さして言った。
「わー!」
リンも窓際に来て一緒にメトロポリスの景色を眺めた。きゃっきゃっと騒ぎ出したホムたちの声を聞いてうるさそうな顔をした正木だったが、少し離れた席に座っているアンドロイド、ハクの様子をさりげなく監視している目には油断がなかった。
特にゲートの話が出たとき、ハクの瞳がうっすら白い光を帯びたのを正木は見逃していなかった。