とある少女との出会い
脳に直接呼びかけてくるような、遠くもない、近くもないところから声をかけられる感覚。
周囲には一切気配や魔力を感じない。
暗く静まり返った地下室には、極限まで押し殺した自分の息づかいしか感じられなかった。
声のした方から距離を取りながら振り向くと、そこには人の形をした白い靄が浮いていた。この特徴は、ある魔物と一致する。しかし、それにしてはおかしなところがある。
(人語を話せるゴーストなんて、聞いたことがない)
その場から離れる様子のない白い靄を、じっと観察する。
白い靄は、何故か戸惑うようにもぞもぞと体を揺らした後、恐る恐ると声をかけてきた。
『あなた、私が見えるの?』
その質問に、仮面の下で眉を顰める。
「どういう…」
『すごいわ!』
「!!」
ぐっと身を乗り出すように体を近づけてくる靄を警戒し、僅かに仰け反った。
『あ、驚かないでほしいの。私、悪さをするような魔物じゃないわ。というか、そもそも魔物じゃないの』
「……」
『待って待って、魔法で何とかしようとしないで。ていうか魔法じゃ…』
パチンと音がして、浄化の魔法が発動した。間違いなく発動したはずなのだが。
『…私、魔法が効かないのよ。実体もないしね』
本来、魔物というのは体のどこかにコアがあり、そこが生命を維持する装置のような役割を持っている。人間でいう、いわゆる心臓だ。ゴーストも実体のない魔物ではあるが、中心にコアがあるためそれを破壊すれば倒すことが出来る。…はずだが、一切反応がない。コアがない、ということは、魔物ではない可能性が高い。
「イレギュラーな魔物…?」
『違うわ! 私、元々人間よ。ほら、どこかの国では幽霊とかいうあれね。時々絵本とかにも出てくるでしょう。まさか自分がそうなるとは思っていなかったけど』
「幽霊、ね。私、霊感は強い方ではないのだけど」
『どうして目に見えたのかは分からないけれど…私たち、相性がいいのかもしれないわ』
幽霊と相性がいいなどという話は聞いたこともないが、それ以外に今は説明もつかないので思考することを止める。
「あなたはいつからここに?」
『さぁ、ずっと昔からの気がするけれど…ずいぶん長い間ここから出られないから、よく分からないのよ』
「生前は何をしていたの? この屋敷に所縁のある人?」
『それも分からないわ。自分の姿も良く思い出せなくって。ただ、ここがすごく嫌な場所だっていうことは思い出せるの』
もしかして、この塔で亡くなった人の幽霊なのだろうか。死ぬ時のショックで、思い出せないのかもしれない。
何にせよ、コアがどこにあるのか分からない以上、目の前の物体を倒すことはできない。何も情報が得られないのであれば、この場から避難するのが一番である。この幽霊がいつまでも落ち着いているとは限らないし、油断させて襲われる可能性もある。
「そう。それじゃ、私はこれ以上ここに用はないから、失礼するよ」
『え、待って! もう少しお話ししましょうよ!』
「急いでいるんだよね。あと数時間で朝が来てしまうんだから」
背後を警戒しながらも幽霊に背を向け、塔の上部へ向かうため階段に足をかける。
すると、目の前に白い靄が移動してきた。
「どいて」
『ねぇ、お願いよ。私ずっと一人ぼっちで、久しぶりに人と話せたの。ここから出ることも出来ないし、時々来る人も私のこと見えないし…』
「気の毒に。でも、私も暇じゃないんだ」
ぐだぐたとまとわりつきながら、共に階段を上がってくる幽霊に、喉の奥でため息を押し殺す。
塔の中腹ほどまで来たところで、ぐっと腕を引かれた。
「もう、いい加減にしてよ」
そう言って手を振り払うと、幽霊は硬直した。
言い過ぎたのかと少し罪悪感を覚えたが、心を鬼にして無視することにした。
不思議と、幽霊は大人しい。
疑問に思って振り返ると、幽霊は自分の指先をじっと見つめながら立ち尽くしていた。
「…何?」
『……私、あなたに触れたわよね?』
「そうだね。それがどうしたの」
『………ここって、何階?」
「? …大体塔の中腹くらいかな」
怪訝に思いながらも、動かない幽霊にしびれを切らし、再度階段に足を掛ける。
その瞬間だった。
『すごいわ!!!』
ドンっと背中に衝撃が走り、腕のようなものに後ろから抱きすくめられていることを感じる。
「なんなの!?」
『わ、わたくし、人に触れたのって初めてよ!!』
「え?」
『それに、いつもは地上に出ることは出来なかったの。ちょうど地面より上に上がろうとしたところで、よく分からない強い力に弾かれてしまっていたのよね』
存外に強い力で抱きしめられ、咳き込む。すると、ごめんなさい、と言って幽霊が離れて行った感覚があった。
息を整え振り向くと、そこには誰もいない。
「…?」
『ばあっ』
『!?』
突然壁から人の顔らしき靄が飛び出し、驚いて腰の短剣に手を掛ける。
だが、よく見ればそれは先ほどから付きまとっている白い幽霊だった。
『あなた、すごいわ。何者なの? この塔の壁をすり抜けることが出来るなんて! 久しぶりに外の空気を吸ったわ』
「し、知らないよ…」
興奮する幽霊に少しだけ引き気味で返事をする。
『ねぇねぇ、これからあなたについて行ってもいい?』
「嫌」
『そんなこと言わずに! あなた、きっと訳ありなんでしょう? こんな雰囲気の悪い塔にわざわざ入ってくるなんて、正気の人間とは思えないわ。私、見ての通り壁をすり抜けたりもできるし、きっと役に立つわよ!』
その言葉に、少しだけ考え込んだ。悪くない提案ではある。しかし、本当にこの幽霊は誰からも認識されないのだろうか。それが気にかかる。壁をすり抜ける能力に関してもそうだし、もし今後この塔のことについて思い出すことがあれば、情報源としてとても有用だというのは間違いないが…。
(…どうせ、こんな体だ。それに、幽霊が見える人の方が少ないのは間違いない。この能力を見逃すよりはいいかもしれない)
「…好きにして」
『嬉しいわ! これからよろしくね。ねぇあなたのこと何て呼んだらいい?』
「私は、ロッカ。これからよろしく」
すっと右手を差し出すと、白い指先がその手を握った。実際の人のような感覚ではないが、じんわりと温かい。
『ロッカね! 私はリリィよ』
「自分の名前は覚えているの?」
『えぇ、名前だけはね。記憶の中でそう呼ぶ人がいるのよ』
「そう…ほかに何か覚えていることはある?」
『そうねぇ、断片的になら思い出せることもあるけれど…』
「小さなことでも構わない。後で聞きたいことをまとめるから、とりあえず上に移動しよう」
時計を確認すると、今は朝の4時を少し過ぎた頃。
人によっては目覚めて活動し始める人もいる。
ロッカはリリィの返事も聞かず、歩を進めた。