悪夢 ※暴力的なシーンが含まれています
荷解きを始めて数十分。リリィのおかげですぐに片付き、ロッカはベッドで今にも眠りにつこうとしていた。
もう、何日起き続けていたのか分からない。眠るというより、ほとんど気絶。だが、ロッカはいつも気絶するように眠る以外、自ら睡眠を取ろうとしない。
『私、ちょっとあたりを見てくるわね』
夢現の中、遠くにリリィの声が聞こえる。その記憶を最後に、気を失ってしまったようだった。
「…今日は、久しぶりにあれか」
ロッカは、自分が“眠っている”と理解したまま夢を視ることがある。
これ以上動く体力もないほど疲れ切って眠れば、夢を視ずに眠れることが多いため、いつもは体力の限界まで起き続けているのである。
(…やっぱり、あれはたまたまか)
ロッカは、意識の中で、ぎゅっと自分の体を抱きしめるように小さくなった。数週間前に一度、夢を見た記憶はあるが、内容が全く思い出せなかったことがあった。悪夢なら、いつも鮮明に覚えているのに。もしかして呪いの効力が弱まっているのかとも考えたが、違ったようだ。
何度経験しても慣れることのない、強い恐怖に歯がカチカチと鳴る。
「いたぞ、こっちだ!」
「殺せ!!」
縺れそうになる足を懸命に走らせ、ロッカは走る。
背後から毒の塗った弓矢が飛んできて、先ほどまでロッカが走っていたあたりに突き刺さった。
腹から酸味のある液体が上がってきて口の端から漏れるが、そんなことも気にしていられないほどロッカは恐怖に怯え、死に物狂いで逃げていた
(あぁ、今日はどんな殺され方をするのだろう)
なぜ、ロッカは夢を視たくないのか。
それは、夢を視るときロッカは、ロッカではない誰かと意識を共有し、死ぬ間際の一時を共にしていたからだった。
何回も繰り返し同じ人と意識を共有することもあれば、全く別の人の場合もあるし、年齢も性別もバラバラ。ただ共通しているのは、皆黒髪であるということ。
今回も、前かがみになると視界の端に垂れてくる髪は、周囲の闇に溶け込むほどの黒だった。
そして、もう一つの共通点。
これまでに多くの同胞と意識を共有してきたが、遅かれ早かれ、彼らはいつも、悲惨な最期に終わるということ。
火あぶりになったり、体中の穴に銀を流し込まれたり、人としての尊厳を無残にも踏み荒らされ、汚物のように捨てられたり…その全ての痛みさえも、強制的に共有することになる。
物心ついた頃からそうだった。きっと、これは呪いの影響の一つなのだろう。呪いとは、少しずつ精神を蝕み、おかしくさせる。一度魂を呪われてしまえば、正しい方法で解呪しない限りは、生まれ変わってもその呪いが消えることはないという。ロッカの胸に刻まれた呪いの証は、きっとロッカの前世で受けたものなのだ。こうやって体験している記憶も、前世の自分の記憶なのだとロッカは考えていた。
だからロッカは、できるだけ眠気を我慢し、耐えきれなくなった時にだけ気を失うように眠っていた。そうすれば、夢を視ずに目覚めることが出来たから。
「はぁっ、はあっ、うっ」
今回は、初めての共有相手だ。ロッカは意識を共有しているだけで、共有している相手の行動に影響を与えることはできない。何度も同じ相手と意識を共有することもあったが、これから何が起こるとわかっていても、それをどうにかして伝えたり、止めたりすることはできなかった。いずれ酷い死に方をするとわかっていて、ただ耐えることしかできないのである。
「うあ”っ!!」
木の陰に身を隠したが、先程とは別の方向から弓矢が飛んできて左肩を掠めた。
即効性の毒だったらしく、激しい痛みと共にすぐに視界が歪む。湿った森の地面に膝から崩れ落ちた。
辛うじて見えた視界に、複数人の男の足が入ってくる。
「手間をかけさせやがって…」
「おい、早く縄もってこい」
乱暴に手足を縛られ、持ち上げられた。その拍子に嘔吐してしまい、頬を一発殴られる。
先ほどの矢がきちんと胸を貫いていたなら、即死できていたかもしれないのに。
きちんと毒が体内に入らなかったことによって、無駄に苦しむはめになった。
「きったねぇな…損な役回りだぜ」
「おい、こっちだ」
リーダーらしき男が呼ぶ方に男が進むと、少しずつ地響きのような音が聞こえてくる。
ロッカにはもう、抵抗するだけの力も残ってはいなかった。
「ここから投げ捨てろ」
ロッカはもう顔を動かすことも出来ないので、どこに投げ捨てられるのかも分からない。
(これで終わる…)
むしろ、死んでしまえばもう苦しむことはない。
そんな考えすら浮かんでしまうほどだった。
体が宙に浮く感覚があって、視界に飛び込んできた景色を見てすぐにそこがどんな場所かが分かった。
そこは、ロッカの寮の部屋よりもずっと高さのある巨大な滝の上だった。
手足には重りをつけられていたようで、弱った体でこの滝に落ちてしまえば、ひとたまりもないだろう。
溺死の苦しさは既に知っている。いっそ、水面に体を打ち付けた衝撃で死んでしまいたかった。
そう思って目を閉じた時だった。
突然、体の苦しさが消失する。
(…?)
見渡すと、そこは見知らぬ森だった。
(一日に二人の人間と意識を共有しているということ…?)
肉体の主はずんずんと森を進む。少し行ったところで、輝かんばかりの美しさをもった少女が佇んでいるのが見えた。
「ディー!」
二人は嬉しそうにお互いに駆け寄る。
いつになく、幸せそうな夢だ。どうせ、これから死ぬのであろうが。肉体の主は、神官のような服を着た少女の手に、自分のそれを絡ませる。
黒髪が差別されていた時代では考えにくい光景だ。現代に近いのかもしれない。
あるいはここは、別の世界なのか、この大陸から遠い国での出来事か、それとも、この二人だけが特別なのか。周囲の風景に大きな特徴はなく、ただ深い森の中であることだけが分かった。
「こんな時間に呼び出すなんて、バレたら母様に叱られるよ」
「私だってそうよ。バレたらおじい様にご飯抜きって言われちゃう」
「じゃあなんで、わざわざこんな時間に…」
そこで、ロッカは小さな違和感を覚えた。
たしかに、今は真夜中と言っていい時間だろう。月明りも無く、手に持った小さな蝋燭だけが視界を作っている。
それなのにディーと呼ばれた神官はなぜ、ついさっきまでお勤め中だったと言ってもおかしくないような、神官の正装に身を包んでいるのか。
(考えてもしょうがないか)
この夢は、時々このような違和感があるが、多少違和感があったとしても、それを確認することはロッカには出来ない。
「今日はね、見せたいものがあるのよ」
手を繋ぎ合い、二人は歩き出す。他愛もない会話が、迫りくる死への恐怖を少しだけ和らげた。
「…ねぇ、なんだか変な音がしない?」
「うふふ、目的地が近いってこと」
地面を叩きつけるような、異様な音が少しずつ近づいてくる。
ひんやりとした空気を、同胞の肌越しに感じた。
「ついたわ。ここよ!」
連れて来られたのは、森の奥深くに隠された、荘厳壮大な滝。
離れた場所にまで飛沫が飛ぶほどの勢いで、十数メートルの高さから川水が落ちているのだ。
(ここは、さっきの?)
「うわぁ、すごい…」
「すごいでしょ! この間探検していたら見つけたの」
少女は、滝から目を離せないようだった。その横顔に、なぜだか淡い気持ちが沸き上がる。
これは、この体の持ち主の感情だろう。
横顔を見つめていると、ふと視界がぐらりと歪んだ。
夢の終わりが近いらしい。珍しいことだが、今回は最期まで体験するわけではないようだ。
「それで、…あれ、なんの話をしてたんだっけ」
「ねぇ」
ぼんやりと遠くを見つめるロッカに、ディーが口を開く。落ち着いた声だった。
だが、どうしてか、顔がぼやけて見えない。
「なに、ディー」
「……」
「なに?」
「―――って、誰?」
聞き覚えのない名が鼓膜を揺らす。
「―――? なに言ってるの?」
ディーが、ゆっくりとロッカの手を自身の頬に近づけた。
これほどまで近くにいるのに、なぜか、相手の顔はぼんやりしていた。
「ねぇ」
「なにってば」
ごつごつとした、胼胝のある手のひらがロッカの頬を撫でる。
「ねぇ、私、あなたのこと…」
ノイズがかった、耳障りな声だった。
女性のようにも、男性のようにも聞こえる。
「愛してるよ」
ザァっと、視界が暗闇に覆われる。
「ちょっと、ディー…」
ロッカは必死で、空を掴んだ。
「―――ッカ」
「あなた、は・・・」
段々と、声が遠くなる。ぐるぐると視界が回った。
ロッカは、握っているこの手を離してはならないと本能的に思った。
強い向かい風に目を細めながらも、必死の思いで手を握りしめていた。しかし、一層強い風が襲いかかり、ロッカは目を閉じてしまった。
意識は、そこで途切れた。




