真っすぐなオレンジ
「緑冠生はこちらへ来てください!」
ざわざわと騒がしい人混みの中で、上級生らしき女子生徒が声を張っている。
気づけば入学式が終わり、三つある寮ごとに分かれ、それぞれでオリエンテーションが始まるようだった。
『ねぇロッカ、ちゃんと聞いている? 寮ごとに特別なルールがあったりするからちゃんと聞いておいた方がいいらしいわよ』
何百年ぶりに塔を出て見るもの全てが新鮮なのか、リリィは頭上でいちいち反応していた。が、その他は大きな問題もなく終わるかに思えた―――のだが。
「では、内容については以上で…」
「なあ、寮長。もう入学式は終わったんだし、フード外そうぜ。顔も覚えられないままオリエンテーションを終える気か?」
寮長の隣にいた、短髪の少年が声を上げる。寮長である眼鏡をかけた男子生徒も、それに「そうか」同意してフードを下ろした。すると、サラリとした栗色の髪が現れる。同時に、何人かの女子生徒が色めきだった。
確かに、物静かそうで落ち着きがあって、優しい雰囲気である。顔立ちも柔和で、物憂げに微笑む様が美しい。女子生徒には密かに人気がありそうだった。
「気が利かなくてすみません。僕の顔も覚えてもらわなきゃいけないのに…フードを外して、改めて自己紹介をさせてください。僕は緑の王冠の寮、寮長のサツキ・ラバーテラといいます。寮内でも学園でも、気軽に声をかけてもらえれば嬉しいです。じゃあ、新入生の皆さん。二、三年生も、全員フードを外していいですよ。それでも暑いようなら、脱いでも構いませんからね」
ロッカは、少しだけ躊躇した。もちろん、自身の本当の髪色を見られてしまえば、ちょっとした騒ぎになることは目に見えているので、対策をした上でこの場にいた。
だがそもそも、素顔で他人と接するのには慣れていない。
脱がない人が少しでもいるのであれば、このままの方が―――。
そう期待して周囲を観察していたが、全員がさっとフードを下ろし、中にはローブを脱ぐ者もいた。
濃紺に濃いオレンジの裏地を付けたこのローブは、学園の制服でもあり、学生の正装。格式高い学園の名に恥じないよう、とても良い生地で作られている。そして、冬でも寒さに耐えられるよう、それなりに厚手でもあった。
そのような生地が、口元以外身体中すっぽりと覆い隠すようなローブになっていれば、春先というこの時期には暑くてしょうがなかったのだろう。または、寮長に声をかけた生徒が言うように、お互いの顔を見たいというのもあるのかもしれない。
あっという間に、ロッカ以外の全員がフードを外していた。
「……」
『逆に、悪目立ちしてるわね』
リリィの言う通り、むしろ皆がフードを外しているときに一緒に外してしまった方が、注目は少なかったのかもしれない。
タイミングを逃したロッカを、多数の目が見つめていた。見つめている人たちに悪気はないのであろうが、そういった視線というのは大概伝染する。ロッカの姿が見えないような位置にいる人も、何故かそちらを見てしまうのだ。人間の習性というか、集団心理というものだろうか。
(当たり前だけど、黒髪なんかいないよね)
黒は、悪魔の色。
アルテミス王国、というより、このローザ大陸全土に言えることであるが、黒髪は、何よりも忌むべき悪魔の象徴であった。過去にアルテミス王国を含めた大陸を襲った大悪魔は、黒髪であり、白目と瞳の色が反転しているという。
本当にそういうことがあったのであれば、黒を排除しようとする気持ちもわかる。しかし、その後何百、何千年にも渡って黒髪は差別されてきた。
悪魔など見たこともない者たちも、ロッカの血筋にあたる人々を迫害したのだ。そのせいで、彼らは悪魔と違わぬ行為を生業として、生き延びるしかなくなったのである。
聖女王と呼ばれる賢君によって差別撤廃法が施行され、黒髪の者にも人権が与えられたが、未だにその差別の色は根強い。あるいは、差別撤廃法が出され数十年後、聖女王の死後に、黒い髪を持つ人々が絶滅したせいでもあるのかもしれない。
黒髪の者でも誰でも、差別してはならないという法律はできたが、その意識が浸透する前に、対象が消滅してしまったのである。
この大陸、この国の人々は、“黒髪を差別しない“という習慣などもっていないのだ。
「別に、嫌ならそのままでも…」
「どんくさいやつだなぁ。早く取れよ」
どうしようか悩んでいると、後ろからフードを引っ張られた。
サァッと心臓が凍り付く。
「…お、お前…」
すぐ近くで震える声が聞こえ、横目に見ると、オレンジ色の髪をした少年が目を見開いて固まっていた。
つい肩が強ばってしまう。
長いような、短いような沈黙の後、目の前の少年の明るい声で、周囲の様子が一変した。
「珍しい目の色だな!」
次々と周囲の視線が興味を失っていくのを感じた。
目にかかるニンジン色の髪を耳に掛ける。
「いつまでもフードを外さないから、見た目に自信が無いのかと思ったぜ」
あっけらかんと言い放つ少年に、無言で微笑みを返す。
自然と、寮生の案内が再開された。
既に、周囲の学生はロッカへの興味を失っていたようだった。
「なあ、名前はなんていうんだ?」
「ロッカ。きみは?」
「ロビン・ヒューバート。さっきは悪かったな、周りの空気が嫌な感じになってたから、一応きみを助けようと思ってやったんだ」
ばつが悪そうに頭を書くオレンジ頭の少年に、少しだけ驚く。
周りがロッカに対して嫌な視線を向けていたのは事実だが、それを全く関係のない他人が助けようとする考えが新鮮に感じたからだった。やり方はどうあれ、少年の様子を見ればその気持ちは嘘ではないように思えた。
『失礼だったけど、悪い子じゃなさそうね』
「…まぁ、一応お礼を言っておくよ。私もタイミングを見失っていたところではあったし。それより、きみ名字があるんだね? ヒューバートというと、子爵家の?」
「知ってるのか? ロッカは貴族ではないよな。わざわざ貴族名鑑を覚えているとか?」
「たまたま最近興味本位で調べたんだよ。そうでなくとも、建国間もない時代からある名家でしょ。王国の人なら大抵知ってるんじゃない」
「俺は次男坊だから、家の恩恵はあんまり受け取れなさそうだけどな。歴史ばっかりで実のない家なんだ」
「ふぅん…ていうか貴族なのに、緑冠の寮なんだ?」
アルテミス学園の寮の振り分け方は、入学試験の結果と、出自による。
ロッカの入った緑の王冠の寮とは、知性の高い生徒が入寮する場所。
金色の鈴の寮とは、比較的家柄の豊かな、気品の高い生徒が入寮し、最後の一つ白い外套の寮には、武力に優れた生徒が入寮する。そのため、子爵家のロビンは金鈴の寮に入寮するのが普通だ。
貴族に名を連ねる者は、学園が貴族専用だったころから存在する、最も歴史の長い金色の鈴の寮に入ることこそ名誉であると聞いていた。
そのため、ただ興味本位で投げかけた質問だったが、ロビンは一瞬困ったように口を噤んだ。
「ごめん、聞かれたくないことだった?」
「いや、ただ説明が長くなるだけで、大したことじゃないよ。機会があったら教える」
「無理しなくていいよ。気にしないで」
そこで会話が途切れた。なんとなく隣同士で案内を聞いてはいるが、気まずい空気が漂う。
(シドやリリィくらいとしかまとも接したことないからな…同年代難しいな)
ロッカは、生まれて初めて同年代の人間関係の難しさを感じた。最近契約を交わした主人は、同年代とはいえ一応主従関係なので除外する。
ややあって、寮長である少年が説明を終え、とりあえずオリエンテーションは終了した。
先輩らしき寮生に連れられて、一人、また一人と少しずつ自分たちの部屋へ移っていく。
「じゃあ、残りの方々もこちらへ」
寮長の言葉で、深緑色の絨毯が敷き詰められた昇降機へ足を踏み入れる。
フロアごとに分けて案内されているらしい。
昇降機の中には十数人程度の学生が乗っているが、誰一人として口を開かない。なんとなく、ロビンへと視線が注がれているのは分かった。そして、その隣にいるロッカにも。
理由は分からないが、視線の主は女子生徒ばかり。なんとなく、感じたことのない嫌な雰囲気があった。ただ、ロビンには好意的な視線が向いているため、尚のこと気に食わない。
(なんだ、これ。なんか疲れる…)
チリン、と鈴の音がして、昇降機がこの階に止まろうとしていることを告げる。
一番目に昇降機に乗ったので、降りるのは最後だった。なんとなく、二人同時に動き始める。
「じゃ、じゃあ、わたしはそろそろ行くから」
「あ、うん…あ」
「え?」
「あのさ、夜の歓迎会、参加する?」
「あぁ、あれね。いか」
「俺、貴族なのに緑冠生なのもあって、知り合いが少ないんだ。よかったら、一緒に行かないか?」
「ないつもり…え?」
予想だにしない申し出に、驚きから返事を出来ずにいると、ロビンは「じゃあ、大聖堂前で待ってる」と言い残して、さっさと自室に戻ってしまった。
『ロッカ、とりあえずわたしたちも行きましょ。次が来ちゃうわ』
その言葉で我に返り、慌てて自室を探す。
初日から予想外のことばかり起こると、ロッカは人知れずため息を吐いた。




