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珈琲を飲めば桶屋が儲かる  作者: 弱男三世
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東雲悠真 7


 チカチカと瞬くイルミネーション。季節外れの蒸し熱さを感じる人の波。一足早いクリスマスソングと歌謡曲があちこちで入り混じって、一層忙しなさを感じさせる。

 そんな師走の中頃。

 学生達は既に冬休み気分で、明日も学校だということを忘れている。道一杯を占領して騒いでいた一団を潜り抜け、悠真は「ふぅ」と汗を拭う。


「…………なんだったんだ?」


 だが視線の先は賑やかな笑い声に対してではない。むしろその向こう側にあり、今しがたすれ違った男に対する恐怖であった。


「年末になると変なのが増えるって言うけど……」


 呟きながら、暴れる胸元を擦る。それは思い返せば明らかに普通ではない――というかヤクザであった。

 以前取り立てにきたゴロツキとは違う。黒髪を短く切り揃えた紳士のようでいて、顔つきが尋常ではなかった。

まさに傷物。刃物と思しき古傷が顔中に走っており、ギラギラとした瞳は猛獣のソレである。身体つきもまた屈強であり、灰色のスーツの上からでも隆起した筋肉を窺わせる。


『おい』


 そんな男に睨みつけられ、声をかけられた。伸ばされた手を振り切って、すかさず人混みに駆け込まなければ、どうなっていたか分かったものではない。


「まさか……ねぇ?」


 今更実力行使などと――悠真は考えたくなかった。

 何せ借金の話は少しづつまとまり始めている。先日額を擦り付けて兄に泣きついた結果だった。プロが動くと決まった以上、そうそう無茶をしかけてくるとは思えない。


「ただいまー……」


 それでも怖いものは怖くて、左右前後をビクビクと見回しながら店の中へ入る。

 火照った身体に暖房が熱いくらいだった。カウンターに突っ伏しているマスターも同様で、覗かせたうなじに汗を滴らせている。

 悠真は両手一杯の買い物袋を置こうとして、場所がないことに気づく。あちこちが汚れた食器だらけである。シンクに至ってはとうに溢れていて、危ういタワーを形成している。


「おつかれさま」


 結局レジ脇に放置することにして、袋の中からペットボトルの紅茶を差し出す。

 うつ伏せの顔がのそりと動いて、おぼろげな瞳が悠真を捉える。


「…………おっつ」


「フランクかよ」


「………つかれました」


「だろうね」


まるで頭から煙が見えるかのよう。正真正銘オーバーヒート状態のミミは、ペットボトルの蓋すら上手く開けられない。


「もうオムライスとパスタは当分見たくありません。カレーなんて部屋をスパイス臭くする人類の敵です。パンケーキは人類の二の腕を潰す為に悪魔が生み出したレシピだと知りました」


「はいはい」


 ぐちぐちとした呪詛を聞き流しながら、悠真は代わりに蓋を回してやる。

そうして差し出して、小さな喉がこくこくと鳴り、少しだけ彼女の目に光が戻った。


「ぷはっ…………ふぅ」


「ミミ叔母さん、お疲れ様。今日は特に大変だったね」


「ほんとにです。ユーマ君も」


 と、互いに力なく笑い合う。

 店の散らかりようは激戦の後だ。たった二人で押し寄せる客を捌き続けた結果であった。

 厨房に缶詰だったミミはもちろんのこと、ホールを取り持っていた悠真とて疲弊は激しい。そこに翌日分の買い出しが駄目押しとなって、気を抜くとよろけてしまいそうだった。


「ああ、どうしてこうなってしまったんでしょう? 私がやりたかったのは、もっと静かな喫茶店だった筈なんですが」


「今までが散々静かだったんだからいいでしょ? まだ一週間くらいしかやってないし、せめて返し終えるまでは頑張ろうよ」


「いいえ、これも全部ユーマ君の所為です。ユーマ君の口先に騙されなければ奥様方は押し寄せなかったですし、ユーマ君の口車に乗せられなければ私だって腱鞘炎にならずに済んだのです」


「良く言うよ。元を正せば叔母さんがアホだから始まったことなのに」


 売り言葉に買い言葉であったが、その口調は軽い。ランナーズハイと言うべきか、健闘を称え合っているというべきか。


「ですが」


 やがてミミは緩んだ頬を少しばかり引き締め、それでも柔らかい瞳で店内を見渡す。同じがらんとした風景でも、祭りの跡地との違いだった。


「全部が好転する瞬間って、ほんとにあるんですね」


 そして――慈しむように言った。


「…………まだ始まったばかりだって」


 汚れた絨毯を見つめながら、悠真は即答する。

 まるで何かを急くかのように。或いは何かを言わせたくないかのように。


「銀行への交渉がまだだし、何時までも繁盛するって保証もない」


「…………」


「そもそもミミ叔母さんは学生だし、開店時間も限られてる。そうでなくても人手だって足りてないんだから、これからは人を増やす方向で」


「それなら当てがあります」


「でしょ? だから僕にそんなことを言うにはまだまだ早すぎるっていうか……って? んん?」


 矢継ぎ早の発言が崩れ、素っ頓狂な空気が漏れる。目をパチクリとさせる悠真に、ミミがクスクスと声を押し殺す。


「え……ちょ、それってどういう?」


「だから言ったんです。全部が好転する瞬間ってあるんですねって。さっき連絡したら、明日から来てくれるそうですから」


「い、いやいや! そんな勝手に……っていうか誰!? いつ面接なんかしたの!?」


「経験者ですから多分大丈夫です。それにここのマスターは私です。大人しく私の言うことに従えばいいんです」


 のらりくらりと質問を避わし、ミミはすくりと立ち上がる。

 その背中に先までの疲労は感じない。小さく鼻歌を奏でながら、軽い足取りで歩き出す。


「今日はシチューを作りました。おかわりもありますよ」


 そう言い残して、キッチンに姿を消した。

 程なくしてコンロが付く音。くつくつと煮えるミルクの香り。忙しさにすっかり忘れていた空腹感が刺激される。


「…………」


 それでも悠真はぼうっと立ち尽くしていた。涎を垂らす胃を意識の片隅に押しのけ、頭の中に無数の光景を巡らせる。

 自分の好物をミミに話した時のことを、ちっとも思い出せなかったから。




 その晩、悠真は懐かしい夢を見た。

 ミミのことではなく、両親との朧気な記憶である。

 さりとて思い出と呼べるものは少ない。理由は単純なことで――悠真は両親とほとんど会話をしないからだ。

 家を追い出された時もそうだ。久方ぶりに家に帰った父からの一方的な命令だった。埃の被ったそれらしい定型文をつらつらと並べてはいたが、実際はとうの昔に見限られていたのだろう。


 きっかけは二ランク下の高校の進学。決定打はそこで行った大掛かりなノミ行為。

 口の上手さからネットワークは膨大だった。だから荒稼ぎをして、それがバレて散々殴られた。

 受験失敗からずっと放っていたクセに、問題を起こした時だけは怒り狂う。何せ天下の政治家さま家系だ。そういう家なんだと、冷めた気持ちが芽生えた瞬間があった。


「はぁ……」


 とは言っても、今ではすっかり落ち着いている。一年近くのニート生活を経て、恨み辛みはほとんどなくなった。こうして夜中に目を覚ましてみても「なにくそ!」という気持ちは湧き上がらない。寝相ではだけた毛布を整え、月明りに向かって白い息を吐くばかりだ。


「なんで、今更」


だからこそ『意外』という気持ちが拭えなかった。

 不意に夢を見てしまうくらい――未だ思うところが残されている自分に。


「あぁ……駄目だ駄目だ」


 目はすっかり冴えてしまった。経験から当分眠れないことを察して、ベッドから起き上がる。

こういう時は暖かいミルクが欲しくなる。その為には自室を出て、階段を下りて、店のキッチンを使わなければいけないのだが、


「ミミ叔母さん……もう寝てるよね」


 どうしても隣の部屋に気を遣ってしまう。築五十年の木造家屋は防音性に乏しく、携帯のアラーム音で起こしてしまったこともある。

 故に差し足忍び足。床板さえ鳴らさぬよう細心の注意を払いながら、ゆっくりゆっくりとドアノブに手をかけ――


「…………ユーマ君?」


扉の向こうからの声に、心臓が飛び出しそうになる。

ついでに伸ばしたふくろはぎがピンとつって、湧き上がる悲鳴を奥歯で噛み殺す。


「まだ、おきてますか?」


「う、あ……あぁ……!」


「ユーマ君?」


「う、うん……だいじょぶ。だいじょうぶ、だから」


 患部を擦りながら、悠真は扉を開く。

 寝巻姿のミミが枕を抱えて佇んでいた。それも肩をぶるぶると震わせ、血の気すら引いているように見えた。


「叔母さん?」


「…………」


 一体何事かと声をかけても返事はない。


(まさか昼間のような連中が?)


そんな嫌な予感が沸々と湧き上がり、悠真はゴクリと喉を鳴らして、


「…………ざぶい」


「は?」


「さむい……めっちゃさむいんでずげど……!」


 啜る鼻が張り詰めた空気を霧散させた。ずるずると、ずびずびと、ミミは真っ赤な鼻を露わにする。


「エアコンがうごぎまぜん。どうか、どうが暖を取らせてぐだざい」


「えっ、ちょっと叔母さん!?」


 そして油断も隙もない。悠真の脇をさっとすり抜け、小さな身体をもぞもぞと潜り込ませ、あっという間にベッドインを果たした。


「こっちの布団の方が厚いんです」


「いや叔母さん?」


「まぁその分、部屋にエアコンがないんですけど」


「おい」


 さぞ至福そうであった。凍死間際から一転して、ミミは見るからにぬくぬくとしている。

対して悠真はむかむかとした。エアコンの有無を知らされたこともさることながら、いきなり押しかけては占領するという傍若無人っぷりである。

加えて寝起きということも大きかったのだろう。『すっかり目が冴えた』と思っていたのは本人談。


「おやすみ」


「え?」


 つまりは――寝ぼけていた。

 だから悠真は衝動のままに布団を捲って、先客を追い出すことなく寝転がる。


「…………」


「…………」


「……………………」


「……………………」


 沈黙。

 くりっとした瞳と柔らかそうな唇が目と鼻の先。

 チクタクチクタクと、時計の音が煩く思えた。スーツケースが一つと、外套がハンガーで吊るされているだけの殺風景な部屋である。雑音を生み出す要因など微塵もない。

 悠真にすかさず後悔の波が押し寄せる。ついカッとなってやったと口にする容疑者が、今だけは酷く身近に感じられてしまい――


「ぷっ……!」


 そして吹かれた。睨めっこの終わり際のようにミミが吹きだした。

或いは子供のような――実際に大人ではないのだが――そんなあどけない笑顔が、何故か見ている方の気持ちまで落ち着かせる。


「ユーマ君は、何も変わりませんね」


 続く言葉に合点がいく。

 あぁそうだ。とても懐かしかったから落ち着くのだと、悠真はじんわりとした熱が込み上げるのを感じる。


「ミーちゃん」


 気づけば無意識に呼んでいた。

 それは遥か昔。家庭のいざこざなど知らなくて、彼女が単なる歳の近い親戚であった頃。そんな時分に置き去りにした呼び名であった。


「えぇ……ユーマくん」


 ミミもまたそっと呼び返す。それを待ち望んでいたかのように。


「っ……」


そんな微笑から悠真は逃げる。寝返りを打って、目を瞑って、片耳をベッドに押し付ける。決して照れ隠しなどではなかった。


「ユーマ君、ありがとうございます」


 何故なら分かってしまったからだ。

 その言葉を彼女の口から言わせたくなかったのだと。


「お店のことじゃありません。たとえお店が上手くいかなくても、ユーマ君が来てくれただけで嬉しかったから」


「…………」


「だから――ありがとう。また一緒にいてくれて」


 悠真は答えない。そこに何かを挟める権利なんてないと思った。

 家族の問題ではなく、自分自身のことだ。悠真自身も家から追い出されなければ、たった一人で暮らしていたミミを想うことはなかった。

そう思うと自分も何も変わらない。ずっと冷たいと思っていた両親と自分は良く似ている。結局自分達の損得でしか誰かを思いやれないのだと――胸がズキリと痛んだ。


「ユーマ君? どうしました? もしかして叔母さんの感動的な一言に、ついついうるっと来ちゃいましたか?」


 それに比べて、彼女はずっと彼女のままだ。ミーちゃんであろうと、ミミ叔母さんになろうと、何一つ繋がりを捨てようとしていない。

その頑固さが眩しくて、直視することを躊躇わせる。


「ねぇ、ユーマ君は覚えてますか?」


 不意に打って変わって、緊張したような声色。すぐ近くで息を呑む様子がハッキリと伝わってくる。


「父のこと……いえ、お祖父さんのことを」


 当然答えられるものではない。

 悠真は背中を向けたまま寝息を装い始める。


「ユーマ君達からすれば『失態』だったんでしょうけど、母は言っていました。母は母なりに真剣で、初めて会った時は」


「…………」


「…………寝ちゃいましたか?」


 ずっと返事がないことに気づいたのだろう。ミミは狸寝入りをしている悠真に手を伸ばす。


「おやすみなさい。ユーマ君」


 さらりと流すように髪が撫でられ、くすぐったさに堪えつつ、


「続きはまた今度」


 溢れ出る優しさに包まれ、本当のまどろみへと変わっていった。

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